見出し画像

ある民事訴訟の報道について


最近のある報道に関連して
このnoteを利用して
「心覚え」として自分の考えをまとめる場にしている
これまで書いてきたものを列記すると
1~ある民事訴訟に関する私のツイート1
2~Twitterの「匿名」について思うこと1
3~Twitterの「匿名」について思うこと2
そして今回は報道について書きたいと予告していた

無視されるがよかろうかと
「ある民事訴訟」とか「ある報道」という書き方にしているのは
問題を特定して私の考えを書くには
それほどの根拠と自信があってのことではないので
もし批判されると反論もできないようなお粗末なものだと
自覚しているからだ
もしかして
各界のそれぞれのオーソリティーの方々が
万が一にもこの文章が目に留まり
批判されようものなら
そんなことはあるはずはなかろうが
私ごとき名もなく何の実績もない一老人なれば
恐れをなしてすぐさま退散する自信がある
というか先に降参しておきますので
どうか無視されるがよかろうと
平身低頭お願いしておきまする
ではなぜ書くのか
だからあくまで私個人の心覚え
考え方や思考の過程を書き留めておこうという
まったく個人的な欲求からであります
なにせ今朝食べたものも
昼には忘れているほど記憶の低下
痴呆というのでしょうか
それが進行しておりますのでな
さらに申せば
世間様に物申すというものではないということ
だからこんな私の駄文など目にするも時間の無駄でござると
重ね重ね申しておきまする
ただ一応書いたものはツイートして公開しますがな
これまでの記事はほとんど読まれておりません
そんな私の一文であることも書き添えておきましょう

あるニュースに接した場合
新聞は読んでおりませんので
ニュースを知るのはツイッターの記事でとか
一応テレビはNHKをつけっぱなしにしてはいますが
私からは観えない位置にありますので
音声が耳から入っては来ます
ツイートからのリンクでニュース記事を読むことになります
ある民事訴訟の記者会見のニュースも
そのような流れで知ったということです
NHKのニュースをかつては信用できるものと思っておりましたが
そうではなさそうだとさすがの私にもわかってきた昨今
新聞記事といってもペーパーではなくWeb版で読みますが
それとて報道されたものをそのまま信じるということはしません
例えば記者会見の記事の場合
原告側訴えた側の主張ということですからね
被告相手側は原告の主張を否定するのが大方の流れ
だからこそ裁判に訴えどちらの主張が正しいか
証拠に基づいた審理?がなされるわけで
提訴したという段階では誰もが原告被告のどちらに真実があるかは
断定できないでしょうね
ただ記事を読んだ人はその人なりの感触は持ちます
それは記事を読んだ誰もが自分の感性経験である判断をする
そういうことはあるしその考えから自分なりの主張を展開する
それも有りますね
そしてそれは誰にも止められないことです
ただそれぞれの思い判断が正しいかどうかは別です
違う考えを持った人はそれを批判するでしょう
そんなやり取りが起こるのは自然だし避けられません
まして双方の主張が真っ向から対立している場合
ニュースを知って記事を読んだ人の主張も当然分かれます
原告側を擁護する人
被告側を擁護する人
それぞれの立場でそれぞれの主張が展開されます

私はどんな立場をとるか
すでに書きましたが
先ず民事訴訟の原告側の主張を報じる記事を
そのまま信じることはできないし信じません
真実・真相を知りたいと強く思うし
そのために関連ニュース記事を探し目を通します
関係者の発言ツイッターやブログでの発信も追って目を通します
自分なりの感触からある推測はしますが予断は禁物
断定することはしません
軽々に発言することもしないようにします
発言するときは慎重にを心がけます
原告本人や弁護士や元関係者の発言にも
被告本人や関係者の発言にも
それぞれの擁護者の発言にも真摯に耳を傾けたい
それは何よりも真実・真相を知りたいと思うからです
その上で問題点を自分なりにじっくり考えてみたい

報道の「真実」とは
次に私が考えたいのは
報道された記事が偏っていないか
真実を伝えているか
記事自体に問題はなかったかどうかということ
民事訴訟を起こした原告側の記者会見を報じる記事
その記事は報道としての規範に基づいたものだったか
 〇裏どりをしているか
 〇公平性に欠ける偏った内容になってないか
 〇記事が真実であるかのような誤認を読者に与える内容になっていないか
 〇記事に欠陥はないか
 〇原告の主張に依拠して真実であるかのように書いていないか


少なくともこのような批判がある場合
その批判の検証が必要になるだろう
記事としての報道としての正当性が問われるからだ
民事訴訟において原告被告の主張が相反する場合
どちらの主張に真実があるかは裁判で争われる問題だが
記事の正当性については裁判の結果を待たずに
ある程度検証できると思う
それでもこれに関しても裁判になることもあるだろう
いずれにしても相対立する主張が存在しても
真実はいずれかにあり
いずれ明らかになる
その時
いずれかの主張を擁護した人は
その判決結果をどう受け止めどう行動するか
つまりどう責任を取るかが問われる
特に社会的地位のある人
その発言に影響力のある人は
その責任は大きい
真摯に自分と向き合い
その後の活動に生かされなければならない
記事・報道についての正当性の判断は
最初のボタンだ
最初のボタンを掛け違えるなら
後々その結果を引きずることになる
最初のボタンにかけ違いはなかったか?!

最初のボタン~記事は正当だったか?
そこで私なりの検証を試みたい
まったくの部外者が経験ないものが
畏れ多くも検証とは
なにをとち狂ったことをと
お叱りを受けるだろう
そりゃそうだろう
こんなこと私もしたくはない
もともとめんどくさがり
楽な道を行くと20代の頃に選択し
なにもせずにこの年までやってきた者が
何をいまさらということですけどね
しかもいい加減に生きてきた者が
書きながらも考えてしまいますよ
こんなことにかかわらなくても
なるようになるだろうから
じっと見てたらいいんだとね
正直そう思いますよ
でも乗り掛かった舟
ってことあるでしょ
この先どうなるか分からないけど
やれるところまでやってみましょう
では問題を一個一個見ていこうかな
面倒になったらやめればいいさ

〇裏どりをしているか
この場合の裏どりとは
被告側の主張の一つ一つの裏をとるということではないよね
主張は主張であって双方言い分は違う
対立は対立として続いていく
記者会見での原告側弁護士側の主張に対して
被告側の主張はどうかと確認するのが
この場合の裏をとるということになるだろう
私が読んだ民事訴訟の記者会見の記事の末尾に
被告側に取材を申し込んだことと
訴状をみてから対応を検討するという意向を示したと書いてあった
訴訟に関する報道ではテレビのニュースでもよくあることだが
訴状が届いてないのでとか
責任者がいないなどの理由で
コメントを得られないことが多い
「そこで訴状を見てから対応する」というコメントが添えられる
この件に関しては被告側は報道した会社に
記事に関する抗議と取り消しの要求をしている
場合によっては法的措置を取ると・・・
ある訴訟に関する記者会見についての報道の場合
被告側取材を申し込んでいることは確認できる
その取材ができたかどうかは相手側の事情にある
相手側のコメントが得られるまで報道できないかというと
これまでの多くの事例を見るまでもなく報道されている
〇公平性に欠ける偏った内容になってないか

原告側の記者会見の報道とその記事である場合
原告側の主張が記事の大半になる
被告側がどんな状態に置かれていたが
その内容が衝撃的であれば主張に沿って
詳しく報じられることがむしろ求められる
記者会見の内容が正確に伝えられたか問題になる
読者・視聴者に予断を与えぬような内容になっているか
私は記事を読んで感じたことは
記者会見の内容が誇張されることなく
ある予断へと導びく内容にはなっていないと思った
記者会見の内容を正確に伝えていると感じた
読み手はすでに学習している
一方の主張をそのまま信じることはできないと
〇記事が真実であるかのような誤認を読者に与える内容になっていないか
この問いかけは逆に
このようなことがあると主張し
記者会見の報道・記事を非難する人たちがいるということ
それは実際記事がどのような文章で書かれているかを見て
果たしてその批判が的を射ているかの参考にしたい
 ・・・が原因だなどとして
 働き続けていたという。
 賃金が支払われなくなったという。
 繰り返したという
 程度だったという。
原告側の主張を断定的には書いていない
原告や弁護士を主語とする文章については
 主張している。
 と語った。
などの断定文になっている
〇記事に欠陥はないか
記事に欠陥があるという批判
これは次の項目に関連して
原告の主張に依拠して真実であるかのようにかいているので
記事に欠陥があるとの主張・批判になるのだろう
ならば次の項目について検証しなければならない
〇原告の主張に依拠して真実であるかのように書いていないか
「真実であるかのように書いてはいけない」というのが鉄則
そうはなっていないので民事訴訟の取材記事としては
欠陥があると批判
しかしこれまでいくつかの点を検証したように
「真実であるかのように」は書かれていない
まして
「原告の主張に依拠して「真実」として書いている。」ことはないと
私は読んだ
そうは思わない人もいて当然
人の考えや判断や感性やその他もろもろ
人それぞれの人生の経験も違うし育ち生活してきた環境
人間関係もさまざまなのだから
それぞれの個性のごとく違って当たり前
それぞれは
自分を信じそれぞれの道を歩んでいけばいい
真実を求める気持ちは一緒
いずれ真実は明らかになると信じる

報道・記事の問題について
私なりに考え書いてみた

次回は
現時点での私の立ち位置と
関係者の立場と対応について考えてみたい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?