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海外子育ての現実

海外子育てをしたことがない方、もしくは初心者の方は何かと夢みがちある。特にここカナダは渡航要件が緩いこともあって、子供の留学を主目的として滞在されている親子が多くいらっしゃる。その多くは残念ながら現実を事前に知ろうとせず、夢を抱いたまま来てしまっている方が多いように思える。自身が帰国子女であり、子育てもしている立場から私見を述べようと思う。なお、子供の成長には個人差があることから当然例外はあるものと思って読んでいただければ幸いである。

1.バイリンガル妄想

2〜3年の駐在期間を経て我が子がバイリンガルになってくれると思ったら大間違いである。これにはいくつか論点があるが、大まかに次の二点に集約されるだろう。

①2〜3年では大した英語力は身につかない

学校で仲良さそうにお友達と遊んでいる姿を見て、我が子はもう英語が話せていて凄い!などと思いがちなのだが、よくよく冷静にやりとりを聞いてみると知っているわずかな単語を繋いで最低限のコミュニケーションをとっているだけなのだ。2~3年では複雑なとを表現できるほどの英語力はまず身につかないと言って良い。低学年であればなおさら、英語ができるようになったうちに入らない程度しか身についていないのだ。厳密な統計があるわけではないが、小学校高学年にかかる形で最低でも4年はいないと高度な表現力は身につかないだろう。

②使わなくなれば一気に忘れる

さらに帰国後、英語を使う環境に身を置かなければその拙い英語レベルでさえもあっという間に失われてしまうのだ。週1〜2回程度の英会話のレッスン程度では英語力はあっという間に失われてしまう。本格的に英語力を向上させて行きたいならインターナショナルスクールに入れる他ないが、多くの家庭にとってインターナショナルスクールの学費を負担できるほどの経済的余裕はないだろう。

私自身の経験を述べれば、小2〜小5という中途半端な年齢でアメリカに滞在し、その間、英語がペラペラに話せることなく帰国した。3年間で身についた英語は大したことはなかった上、普通の公立学校に通い続けたため、英語は全く喋れなくなった。ただし、小5という高学年で帰国したおかげで、読む、聞くの2技能についてはその後大学受験までお釣りが来るほど大きな恩恵があったのは間違いない。特に読むことに関しては、既にある程度はフィーリングで読めるようになっていたため、あとは日本式の学校英文法をしっかり身につけて、語彙を強化するだけで大学受験まであまり苦労することはなかった。私には外交的な性格の弟がいるが、弟は数年もかからずに英語を全て忘れ去った。二つ上の姉は高学年で渡航したためアメリカ滞在中は死ぬほど苦労したが、その苦労が報われて3妹弟のなかで最も英語ができる。高学年の英語が残りやすいのは、求められるレベルが高いからだと思う。Middle schoolともなれば、日本の大学受験レベルの英語がテキストに用いられているのだから当然だ。

3年でペラペラに話せるようになる人もいないわけではないが、それは本人の性格によるところが大きく、外交的で恐れを知らない性格の子ほど上達は早い。ただし、ペラペラといっても年齢相応の英語力に留まるし、先に述べたように使わなくなれば失うスピードも早いことに注意が必要だ。

2.バイリンガル妄想を捨てよ

以上を踏まえると、多くの家庭の皆様にはバイリンガル妄想を捨てよ、と厳しいことを申し上げざるを得ない。特に滞在期間が短く(2~3年)もしくは低学年(小4以下)で帰国する場合には、さくっとバイリンガル妄想を捨てて、海外生活を有意義に使うことをお勧めしたいところだ。英語を忘れてしまうからといって海外生活の全てが無駄になるわけではない。

自身の経験で言えば、アメリカでは自分の意見をはっきりと言うことが大事で、わずか3年ながらも、他者に流されずに自分の意見をしっかり持ち、発言していく力の下地はその頃に身につけることができていたと思う(帰国後、日本の学校で浮くことになるのだが)。またアメリカはほめて伸ばすカルチャーで、他人より秀でた能力がある人を人種問わず手放しで讃えてくれるのが良いところだ。そうやって様々なことに自信を持って取り組むことができるようになる(日本ではほめられるどころか妬まれがち)。また、アメリカ滞在中に父がロードトリップでアメリカ中を連れ回してくれた思い出は今でも心に深く刻まれているように思う。特に国立公園の雄大さは筆舌に尽くし難い。日本の自然も勿論美しいのだが、種類が違う美しさのように思う。特に雄大さは比べ物にならないものがある。他にもアメリカの合理主義など、日本との違いを幼いながらに多く学ぶことが出来たことは自身の人格形成に大きく寄与しているように思う。これらが全て武器となって現在の自分があると確信をもって言える。

3.バイリンガル教育の落とし穴

英語力の維持・向上がいかに難しいかを述べてきたが、ではバイリンガル教育を本気で狙える幸運な環境にある場合はどうしたら良いだろう?その場合にいくつかの落とし穴があるので述べて行きたい。

①日本語を失うリスク

これは滞在期間が長期化(帰国予定がない)場合や帰国後にインターにいれる場合に陥る確率が高いリスクだ。想像もつかないかもしれないが、一日の大半を占める学校生活が英語中心になると、たとえ両親が日本人でも家でも英語を使うようになり、いつしか日本語が全く話せなくなる子供が数多くいるのだ。知人の家庭でも、気づいたらこうなってしまって途方に暮れているご家族がいる。バイリンガルに夢を抱いている人々の多くはまさか我が子が日本語を失うなど想像も及ばないことだろう。日本語は努力しなくても維持できると思いがちだが事実は異なる。英語環境中心の生活になってしまった場合は考え方を改める必要がある。その子にとっては、英語が母語であり、日本語が第二言語なのだと親が認識して第二言語である日本語教育に取り掛かる必要があるのだ。

②英語は武器になるようで武器にならない

ただし、英語ができればそれでよいではないか、日本語よりもむしろ英語の方が世界で通用するからそれでいいじゃないかという考え方もある。この考え方自体は全く否定しないが、その場合に考える必要があるのは、英語はもはや武器ではないということ。日本人が英語が母語の世界で生きていくということはマイノリティとしてアメリカ等の国で生きていくということだが、マイノリティが良い仕事を見つけるには、英語はできて当然であって武器ではない。英語以外の武器を身につけさせる必要がある。

日本に普通に住んでいると英語ができることはキャリアアップ上の大きなメリットであり英語ができる人への憧れは強くなるだろう。だが、何かが武器になるかどうかは相対的だ。英語が武器になるのは、英語が苦手な人が大半の日本の中での話であって、英語圏に出れば英語は武器でも何でもないという至極当然のことなのだ。

アメリカやカナダの教育に謎の憧れを抱いている人の多くはマイノリティとして生きていく我が子を育てていくのだという覚悟が足りないように思う。周りのアメリカ人やカナダ人と同じような教育を受けさせているだけで十分だろうか?ということを深く考える必要がある。特にSTEM分野ではアメリカやカナダの教育はアジアや欧州の水準をずっと下回っており、この差は大学院レベルで顕著にでてしまう。実際、大学院になると途端に外国人だらけになるのだ。シリコンバレーのテック系企業で働いている人の多くは優秀なアジア人達で占められており、アメリカではアメリカ人達がテック系企業の就職に不利にならないようにSTEM教育に力を入れねばならないという論調もあるほどだ。その中でもマイノリティとして生きていく我が子にどのような教育をしていくべきか、は真剣に悩めねばならない問題だろう。

インターに入れた場合も同様だ。インターでは言語の問題に加えて、日本の学習指導要領に基づく教育が行われるわけではなく、主に英語圏の大学への進学を前提とした教育が行われることになると思って良いだろう(もっとも、最近ではインターの中にも様々なものがあるが)。大学に進学するまでは良いが、その先に英語圏の国で生きていくことを考えると何らかの武器を持たせない限りはマイノリティとして埋もれてしまうことになる。

こうした点を全て踏まえて、割り切って英語だけで良いと考えるのであれば問題はないが、中途半端な気持ちでいると日本語ができず、かといって英語圏で通用する武器がない大人に育ってしまうリスクがあることを想定して考えてみてほしい。

③バイリンガルは武器か?

英語が武器かどうかの是非は上で触れたが、日英バイリンガルであることがどれぐらい武器になるかを考えてみよう。日本ベースであれば日英バイリンガルであることは圧倒的に武器だ。外資系企業への就職は有利になるし、そうでなくともグローバル案件に携われる機会に恵まれるのはキャリアアップ上のアドバンテージになることは間違いない。

逆に英語圏をベースにした場合日英バイリンガルであることは有利になるだろうか?これに関しては特別な場合を除いてNoであると言わざるを得ない。かつて日本が経済大国であった時代なら話は別だろうが、今の時代、日本はほとんどのビジネスシーンで相手にされることはなく、日本語を武器に良いキャリアを手にすることは極めて難しい(そういう仕事がないわけではないが、数があまりに少ない)。例外として、日系企業が進出しているエリアに住んでいる場合は日本語ができれば有利になるが、かなり特殊な事例だし、言い方は悪いが、日本語ができれば有利になるような日系企業はグローバル企業とは言えないだろう。

④真の才能を殺してしまうリスク

最後にもう一つのリスクを記したい。帰国子女にありがちなのが、自分は帰国子女なのだから英語が強みであり、そのアイデンティを守るためにも英語を頑張らなきゃいけない、というものだ。

英語ができると日本では確かに有利になるが、だからと言ってそれで英語ばかりに力を入れてしまい、自分に備わった真の才能を活かせずに大学まで進んでしまう人が多いように思う。帰国子女枠受験はその一端を担っているように思う。英語は数ある可能性のうちの一つでしかなく、もっと多くの可能性を模索すべきだ。

滞在期間が長くかつ高学年で帰国すれば、現代の日本では英語教育に力を入れている私立の中高一貫校が多くあり、帰国子女枠でそうしたプログラムがある学校に入学すれば日英バイリンガルを達成することはできる。だが、それだけで本当に良いのか?

ここまで考えるのはなぜかと言うと、最終的に英語だけでは進路に行き詰まるからだ。大学の学部選びの際には朧げながらも自分の将来就きたい職業のイメージを持つ必要がある、英語だけでは選択肢は限られたものになる。当然就職の際にも、英語だけで就職先を選べるわけではない。英語が活かせる仕事など無限にあるのだ。英語は単なる手段でしかないわけで、英語が目的かしてはいけない

他にも書きたりないことは多くある(特に永住者向けの話題)ような気がするが、だいぶ長くなったのでここで筆を置こうと思う。海外で子育てをしている多くの家庭にとって耳が痛い話かもしれないが、少しでも参考になれば幸いである。

なお、筆者は日本式の教育もアメリカ・カナダ式の教育もいずれも一長一短があるという立場であることを最後に明記しておきたい。これは自身の両国での教育経験に基づくものである。

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