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映画「狂猿」を観て感じたこと

 『狂猿』は、葛西純を中心に、文字通りの血と汗を流しながら闘い続けるプロレスラーたちの姿を追った本邦初のデスマッチドキュメンタリーである。カメラは復帰に向けてトレーニングを積み、カリスマと呼ばれてもなお、見果てぬ刺激を求め続ける葛西純に密着。子煩悩でも知られる葛西のプライベートや、過酷なリングの舞台裏にも迫る。  監督を務めたのは、『山口冨士夫 / 皆殺しのバラード』(2014)、『オールディックフォギー / 歯車にまどわされて』(2016)、 『THE COLLECTORS ~さらば青春の新宿JAM~』(2018)など、先鋭的な音楽ドキュメント作品で注目を集める俊英、川口潤。(映画「狂猿」公式サイトより)

 季節の変わり目が苦手である。体がだるく、頭がぼんやりして、あまり物事を集中して考えられなくなる。特に春から夏にかけての時期はしんどい。寒暖差が激しいことや、天気が不安定なことが原因なのかもしれない。単に私の根性が足りないだけなのかもしれない。タイガー・ジェット・シンによるアントニオ猪木襲撃事件でお馴染みの新宿伊勢丹前の交差点。ガードレールに腰かけて友人Kを待ちながら、街ゆく人を眺める。暖かくなって薄着の女性が増えた。頭がもやもやする。

 私とKはプロレスが好きで、デスマッチが好きで、葛西純が好きだ。そんな葛西が主役のドキュメンタリー映画を映画館の大画面で観る。それによって刺激を受け、明日からまた生きるためのエネルギーを補給する。感染対策のため間隔を空けられた新宿シネマートの座席に身体を沈め、上映開始を待つ私の中には、そのようなイメージが広がっていたように思う。が、エンドロールを見つめる私を支配していたのは、名状しがたい異様な疲労感であった。エンドロールが終わり、館内の照明が灯る。私は疲労感のあまり、すぐに席を立つことができなかった。

 この疲労感の正体を言語化することは不可能ではないかもしれない。が、自分の中でいい感じに発酵してくるまで、もう少し置いておきたい思う。映画のほうも、全編を通して不用意に言語化することを避けているように見えた。字幕は必要最低限。ナレーションはない。私はそれを誠実だと思う。プロレスラーだって、言語化できないから身体を張って表現しているのだ。

 四十代。二児の父。決して金銭的余裕はない。葛西純の境遇は、私の境遇とよく似ている。勿論、私はデスマッチファイターではないし、葛西のようにカリスマ的存在として名を馳せているわけでもない。とはいえ、スクリーンの向こう側で日常生活を送っている葛西は、多くの面で私と同じであるように見えた(そう感じた同世代の父親は多いのではないだろうか)。そんな葛西は言う。

「若い頃は夢も希望もあったけど」

 我々が生きていくためには燃料が必要である。それは食事だけではない。精神や感性など、肉体的でない部分に対しても、見えない薪をくべ続けなければいけない。その意味においては、夢や希望は最も上質の薪であると言える。一方、歳を重ねるほどに人生はリアルになってくる。リアルは我々に「今、ここ」を徹底的に意識させる。それは夢や希望とは対極にあるものかもしれない。そして、良質の薪が手に入らなくなっても、我々は生き続けなければいけない。やり続けなければいけない。

 この映画は「人生なんとかなる」とは言ってくれない。私はそれを誠実だと思う。事実、人生はなんとかならない。自力でなんとかするしかない。私には、この映画は「夢や希望だけが人生にくべる薪ではない」ということを提示してくれているように感じられた。どんな状況だろうが、やっている人間はやっている。映画の中の葛西は愚痴もこぼすし、弱音も吐く。でも最終的にはやっている。そして、やっている人間は美しい。

 勿論これは、季節の変わり目に弱い四十代の二児の父である私の感じたことに過ぎない。通過してきた物語が違えば、当然ながら受け取るものも違うだろう。現に、いつも一緒にプロレスを見に行く関係である私とKですら、抱いた感想は同じではなかった。映画館を出て飯を食いながら、私は私が感じたことをKに伝えたかったが、私の頭の中は見事に散らかっていた。何を言ったかあまり覚えていない。Kには正直すまんかった(佐々木健介)と言いたい。DVDが出たらまた一緒に観よう。

 パンフレットだか監督のインタビューだかで、始め葛西は映画の話には乗り気ではなかったと読んだ。確かに、ドキュメンタリーは難しい。編集の仕方ひとつで、受け手へ与える印象を恣意的にコントロールできてしまうからだ。最終的に話を受け、試作品を見た葛西は「面白かった」と言い、一発OKを出したという。それは、この映画が誠実に作られているというひとつの証明になるエピソードかもしれない。映像や音楽の入れ方もかっこよく、私も純粋に映画として良質であると感じた。

 これはプロレスラーの映画である以上に、普遍的な人生の映画であるように思われる。その意味では、葛西純に詳しくない人のほうが楽しめるかもしれない。観た人がいたら、是非感想を聞かせてほしいと思う。物凄いシーン(竹田誠志の肉片がリングの上に……)があるけれども。


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