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今夜、エンタメ~テレで放送。 『おまえら行くな~日本古代ロマンSP』が21:00より放送【中山市朗ブログ】

中山市朗です。

今夜、エンタメ~テレで放送。
『おまえら行くな~日本古代ロマンSP』が21:00より放送されます。

おそらく、ですが、京都の太秦から始まります(私も未見なので)。
アークが日本にあるならば、日ユ同祖論がここに絡んでくることでしょう。となれば、ここは外せない。
日ユ同祖論の痕跡を追って、太秦、四天王寺、淡路島、そして徳島県へと入ります。

三柱鳥居のある木嶋神社の元糺の池にて。

失われたアークが日本にある?
まあ、世界の人々からするとこれは珍説となりましょうな。
ただ、これがなぜ日本にあるということになったのか、誰が言いだしたのかは番組内で言及しています。
特に3月に放送される#3では、そこを詳しく解説し、私なりの結論を言っております。
このブログでも、放送に準じて解説していこうと思っております。

さて、アークについての年表をここに表記しておきます。
紀元前のことで、しかも『旧約聖書』に書かれているとはいえ、伝説、伝承に近いもので、また宗教上のことなので、アークやソロモンの神殿が実在したかもよくわからない、というのが現状です。年号もはっきりしていません。

まあ、流れとして知っていただければ、失われたアークについてのロマンを求めるには、よい参考になるかと思われます。

■BC13世紀
モーセによるヘブライ人たちの出エジプトが起こる。ヘブライ人たちの奴隷からの解放である。
40年間、彼らはシナイの砂漠を流浪。その間、神がシナイ山にてモーセに十戒を授ける。
この十戒の書かれた石板を納めるために造られたのが「契約の箱」あるいは「アーク」である。
※『旧約聖書』出エジプト記第25章に、契約の箱について詳細が書かれています。

砂漠を流浪する間、神官たちによってアークは担げられて移動。キャンプを張って生活をし、アークは幕屋という移動式神社のような場所に納められた。

■BC13~12世紀
ヘブライ人たちが、現在のイスラエルの地に定住する。

■BC11世紀 
ペリシテ人たちによりアークは奪われるが、ペリシテ人の元に災害が起こり、返還される。

■BC1020 年
初代王サウルの元に、イスラエル王政が始まる。

■BC1000年頃
ダビデ王の時代となる。首都がエルサレムとなる。

■BC960年頃
ソロモン王の治世下、ソロモンの神殿の建築が始まる。
神殿が完成すると、神殿の至聖所の中にアークは納められる。

■BC930年頃
イスラエル王国が、南イスラエル王国と北ユダ王国に分裂。ソロモンの神殿は北ユダ王国に残る。

■BC722年
北イスラエル王国、アッシリアにより滅亡。

■BC586年
南ユダ王国、新バビロニアにより滅亡。この時ソロモンの神殿は破壊されたが、あるはずのアークが無かった。
以後、失われたアークとされる。

アークは現在も失われたままだが、候補地はある。

■エチオピアの古代都市、アクスム。
古代アクスム王国の初代王メネリク一世は、ソロモン王とシバの女王との間に生まれた息子とされる。
シバの女王は『旧約聖書~歴代誌下』やエチオピアの伝説『ケブラ・ナガスト』などに出てくる伝説の女王。『ケブラ・ナガスト』は13世紀に編纂されたものだが、この文献にはメネリクによってアクスムに運ばれたとある。

映画『ソロモンとシバの女王』(1959年)は、キング・ヴィダー監督。ソロモン王をユル・ブリンナー、シバの女王はジーナ・ロロブリジーダが演じました。

■エルサレムの地下

もともとソロモンの神殿のあった場所であり、実は持ち去られずに地下に埋められたという説。あるいはイエスが磔となったゴルゴだの丘の地下にあるという説もある。
これを発見したという人もいて、ジョサン・グレイ著『契約の櫃~失われたアークは発掘されていた』にこのことが書かれているが、真偽は不明。

■エジプトのタニス
インディ・ジョーンズが発掘したのがここ。
タニスはエジプト第20王朝時代に造られた古代都市の遺跡がある。19世紀にイギリスの考古学チームにより発掘されているがアークが見つかったという報告はない。

■死海周辺
インディ・ジョーンズのモデルという探検家ヴェンデル・ジョーンズは、かつて死海文書が見つかったクムランの洞窟の中に銅の写本が含まれていて、ここにアークが持ち込まれたと記されている、という論説により発掘。これも発見されたという報告は無い。

■四国、剣山。
なぜここに?
それは番組を見て!!

ちなみに私が持っているのは『聖書』です。
『聖書』と『古事記』はいつも持ち歩いています。
でも、キリスト教徒ではありません。あしからず。






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