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極力、霊感、金縛り、ラップ音、背後霊、守護霊、浮遊霊という言葉を極力排除した『新耳袋』!!

中山市朗です。

『オカルト解体新書」で、金縛りについてお話ししております。


詳細は、動画を観ていただきたいわけですが。

『新耳袋』を書いていたころ、まだ実話系怪談とか怪談実話という言葉も無かったわけです。それでも一般の方たちに取材をしてまわるわけです。
当時、怪談と言えばお決まりの言葉が、その一般の方からよく聞かれたのが、

霊感、金縛り、ラップ音、背後霊、守護霊、浮遊霊という言葉でした。

まず枕詞で「私、霊感ないんで」、あるいは「〇〇ちゃん、霊感があって」
当時、怪異に遭う人は霊感がある人、でも、私は無いから怪異には遇わない、という先入観。
まあ、当時メディアで怪談を語っていたのは稲川淳二さん。彼は自分の体験という体で話していて、また、池田貴族さんとか、森公美子さんのような霊感がある人が怪談を語るというイメージがあったのかもしれません。そういう怪談もあっていいですよ。

でも、霊感がある、ないというのも主観的なことで証明のしようがない。
仮に霊感というものがあったとしても、それを感じたり視たりするのはその人にとっては日常のことなので、怖くはないんですね。そうではなくて、普通に日常生活を送っている普通の人が、ふと、日常の中に怪異に触れたり、闇を視る瞬間が怖かったり、不可解だったりする。
あと、金縛りにあってから始まる怪談も当時多かった。つまり怖い夢を見た、ということを聞かされるわけです。まあ、本人は確かに怖かったんでしょうけれども。

そして、ラップ音という言葉。
「うち、たまにラップ音がするんですよ」
これ、怖いですか?
「うち、たまに夜中になると、部屋の中でパタパタパタっと誰もいないのに、スリッパで走り回る足音がして、同時に台所で、食器がカラカラと鳴り出して、バーンと何かが壊れる音もするんです。しばらくして治まって台所に行って見たら、誰もいないし、何の異常も無い。おかしいなあと思っていると……」と何があったのかの描写が怖いんですけど、これがラップ音の一言で終わる。もちろん、「そのラップ音とは具体的にどういうものでしたか?」と、聞きだすわけですけども。

それに背後霊、守護霊、浮遊霊という言葉も多かった。
「それ、私の守護霊といわれました」「そこに浮遊霊がいたんです」
この守護霊とか背後霊、浮遊霊と言った言葉は明治以前には無かった言葉。仏教にも無い。
おそらく、19世紀末から20世紀にかけての欧米でのスピリチュアル・ブームの中で使われた造語でしょう。Earthboud Spirit 、Guardian Spirit といったのを浅野和三郎が、地縛霊、背後霊と日本語に訳したものでしょう。
いわば、怪異の記号化です。この背後霊とか浮遊霊という言葉は、当時のテレビのバラエティや心霊もので、中岡俊哉さんがよく使っていた言葉です。

でも、記号化されたものは、使う方は便利でも聴き手には、読み手には、状況が伝わらない。
『新耳袋』は、その一般の人の前に現れる、怪異の状況を鮮明にしようとしたわけです。それが怖いわけですから。
だから、『新耳袋』は、極力、霊感、金縛り、ラップ音、背後霊、守護霊、浮遊霊という言葉は排除していったわけです。記号化された言葉ではなく、現象を表現して、聴き手読み手に、疑似体験してもらう。『新耳袋』ではそれをやりたかったんです。

最近は、怪談というものが認知されてきて、そういう記号化された言葉を使う人も少なくなってきましたね。それとも中岡俊哉という存在が過去のものになって来た、ということかな?






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