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最相葉月『証し 日本のキリスト者』KADOKAWA、2023

 日本のキリスト者の信仰の告白を135人分、著者がインタビューを再構成して綴った本。最終的には135人になっているが、そこに絞られる前に、著者は数千人のクリスチャンに会ってきたという。聞き書きではあるが、インタビューそのままを掲載しているというわけではなく、あくまで著者は著者という位置付けで、再構成したものらしい。

 登場する人々の教派もさまざま、年齢もさまざま、社会的な立場、信仰理解もさまざまである。(やや年配の人びとに偏っている感も否定はできないが、そこは著者の年齢も関連しているのかもしれない。若者の集まる教会には入りづらかったかもしれない)。

 じっくりと1人1人の証言を味わいながら、少し読んでは頁を閉じて考え、落ち着いたらまた次を読む、といった風に少しずつ読み進めたい本だ。そして頁を開くたび、次はどんな人が登場するのだろうと、楽しみになる。だから、相当に分厚い本でありながら、読んでいて飽きないし、何度か戻って読み返したい証しもある。

 キリスト者は日本ではマイノリティである。しかし、この本の中にはキリスト者の間でも、さらにマイノリティの立場に置かれている人たちがたくさん登場する。例えば女性、性的少数者、在日外国人、沖縄で差別と米軍基地に対して戦う人びと……。

 また、戦争、迫害、震災、病気、差別、移民、暴力、身内の死、生活の困窮など、幾多の艱難辛苦を乗り越えて、生き延びてきたキリスト者の姿が掘り起こされてくるにつれ、キリスト者が単に内心の心情にだけ集中している浮世離れした集団なのではなく、この世のさまざまな難題に直面して、何とかして生きていこうともがいている、生身の人間に他ならないのだということが、わかってくる。
 つまるところ、皆ふつうの人間なのだ。そして、ふつうの人間がすごいのである。
 そして、そのふつうの人間を、すんでのところで死なせずに繋ぎ止めているもの。それが神を信じる心なのかもしれない。

 加えてこの本は、東京などの都市部で、おそらくキリスト者の人口も比較的多いであろうと思われるところだけでなく、むしろ沖縄や九州、小笠原、東北、北海道など、地方部にいるキリスト者の掘り起こしに注力している。
 また、日本基督教団のようなメジャーな教会ではなく、救世軍や正教会など、キリスト教の中でも少数派の教会に多くの紙幅を割いているところにも好感が持てる。

 ここにこうして多くの証しが表舞台に引き出されたことで、私個人としては、自分の狭い視野には入っていなかった、さまざまなキリスト者の生き様、死に様が実にたくさんあるのだということを知り、粛然と襟を正す気持ちになった。
 この本を手にとって、自分に近しい人や、自分の所属している教派の人の証しだけを読んで済ませている人がいると聞く。それは非常にもったいないことだ。自分の知らない世界の人の証しを数多く読むことができるのが、この本の醍醐味である。

 ただ、単に日本のキリスト者の群像を描いて終わりなのかと思いきや、最後にあとがきで著者のキリスト教思想の捉え方が明らかになる。著者は洗礼を受けてはいないが、ある傾向のキリスト教神学に共感を覚えているようだ。
 このあとがきを先回りして読んで、買うのをやめたというクリスチャンがいたとも聞く。あとがきの内容についてはもちろん、あとがきに著者の信仰理解を明らかにしたこと自体にも賛否は分かれるだろう。

 筆者は著者のキリスト教信仰への理解そのものに、たまたま違和感は無かったが、これを書き込んだ行為自体については賛否が分かれても仕方がないかとは思う。ひょっとしたら、このことで、この本のニュートラルさが失われてしまったような感がしないでもないので、少しもったいないようにも感じる。
 また、人名の誤植もあった(612ページ、堀江有里さんのお名前が堀江「由里」になっている)。内容が素晴らしいだけに、このようなミスのために本の信頼度が下がってしまうのが非常に惜しい。

 しかし、本編におさめられた大勢のキリスト者の証言をただ読み継ぐだけでも、深い感銘を受ける、味わい深い本である。これだけの大部の本を3000円代で読めるというのもありがたい(キリスト教出版物の相場では、これだけの大著なら7000〜8000円はくだらないだろう)。
 是非一読をお勧めしたい。


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