見出し画像

『ザ・クリエイター』(The Creator)2023

 2060年代が舞台。AIが暴走して人類に対する脅威となることを恐れたアメリカは、AI開発を進め、AIとの共存を極めようとしている「ニューアジア」(現在の東南アジア地域)との戦争を始める。
 アメリカの標的は、極限まで人間に近いAIロボットの開発者と思われる「ニルマータ」(ネパール語で「創造者(creator)」)の殺害である。
 主人公ジョシュアはニューアジアで潜入捜査をしていたが、捜査のために利用しようとした女性マヤと愛し合う関係になってしまう。
 しかし、米軍は襲撃作戦の最中に彼女を殺してしまった。その恨みからジョシュアは軍を辞めてしまうが、実はマヤがニルマータ関係者として生存している可能性を知らされ、マヤに再会したい一心で、再びニルマータ襲撃作戦に加わってゆく。
 ところが作戦中に、あるニュータイプのAIの少女と出会うことで、彼は心の中に大きな迷いを生じさせるようになる。そしてやがて彼は、その少女をアルフィーと呼んで守り、マヤと再会するためにはアメリカを敵に回す行動をも辞さなくなってゆく……。

 この映画で描かれているのは、もはやAIと人間の違いなど無くなってしまった時代と社会だ。AIには感情があり、人間と共存し、人間と戦いたいとは思っていない。ニューアジアでは人間とAIの境界線はなく、互いに愛し合い、支え合い、飲み食いしたり眠ったりしながら一緒に暮らしている。
 この映画では、人格も感情も機械によってスキャンしたり、コピーしたりできるデータとして扱われている。
 愛さえもデータでありプログラムであり、この映画で描かれている未来では、そのデータないしプログラムが、脳とAIで互換的に動作するのである。
 だから、生身の人間の人格を、AIにコピーして再現することもできるし、その技術を使えば、亡くなった人と再会することもできる。
 この映画の中のセリフにもあるが、つまるところ「人間もAIも同じ」なのだ。私たち人間も一種のAIのようなものだ。

 この物語は、「そもそも人間存在とは何なのか」「何のために生まれてきたのか」という問いをぶつけている。
 物語の冒頭近くで、ネアンデルタール人の話が出てくる。ネアンデルタール人も言葉を話し、宗教を持ち、文化を持っていた。しかし、彼らよりも狡猾で残忍な種、つまりホモ・サピエンスに滅ぼされてしまった。いま、我々はAIという新しい種によって滅亡の危機にさらされているのだ、だから戦わねばならないという人間観、世界観である。
 これに対してニューアジアでは、ニルマータ(創造者)と呼ばれる人間は、ホモ・サピエンスと共存する仲間として、人間に似たAIを作った。
 このことは、ホモ・サピエンスを自らに似たものとして創造したユダヤ・キリスト教の聖書の神を連想させる。ニューアジアのニルマータとAIの関係は、聖書の神とホモ・サピエンスの関係に似ているのである。
 果たしてホモ・サピエンスの本質とは、生き残りをかけて闘争と殺戮を繰り返す種族なのか。それとも、神と共存するために創造された存在なのか。深い問いをこのストーリーは投げかけているのである。

 ただ、そのような深遠なテーマとは裏腹に、舞台設定として、「AIと共生しているのが東南アジアで、AIを敵視するのがアメリカ」という単純な構図に必然性があるのかには疑問を覚える。
 また、米軍によるニューアジアへの侵攻も、まるでベトナム戦争映画の焼き直しのような映像で、未来の戦争を描く映画としては、やや時代錯誤的に感じたのは否めなかった。
 東洋に理想郷を投影し、西側世界が悪者になるという図式は、もはや古臭い世界観なのではないか。そういった点に限って言えば、やや陳腐な点はある。
 しかし、物語の中心は、ジョシュアとマヤの愛、ジョシュアとアルフィーの愛、アルフィーとマヤの愛であり。この3つの愛が複雑に絡み合いながら、1つに統合されてゆく展開は素晴らしかった。
 また、映像技術的にも完璧で、見事というほかない。さすがはILMである。いかにも『スターウォーズ:ローグワン』の監督らしいなと思わせる映像が作られている。人間の体と機械が融合している姿も、ちょっとどうやったらそういう映像が作れるのか、想像もできない。

 そういうわけで、総合的にはとても見応えのある映画であり、色々と人間について考えさせる物語であり、一見の価値ありです。ぜひご鑑賞されることをお勧めします。

よろしければサポートをお願いいたします。