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秋たちぬ 寺山修司詩集

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 今年(2021)のノーベル賞受賞者 科学者の真鍋 叔郎まなべ しゅくろう氏にアーティスト(芸術家)を感じとりました。

  大学に入学したころ(1971)劇作家 寺山修司氏の映画『書を捨てよ、町へ出よう』に出会いました。実際の寺山修司氏(演劇実験室 天井桟敷)に会ったことはないのですが、大阪ではそのころ松本雄吉氏(劇団 維新派)の稽古場に伺ったことはありました。いろんな顔を持つ著述家 寺山修司氏の詩人として向かいあったのは、彼の没後(1983)だったように思います。没後三十八年を経てもなお脳裏から離れない、寺山ワールドの魅力にはいまだ虜です。それは舞台美術や前衛短歌などの領域を飛び越え、さまざまな表現に影響を与え続けている芸術家だったからです。
 詩歌を語るほどの感覚は持ち合わせていませんが、本作が書かれた高校時代の未発表の詩集は、寺山自らの詩の創作は当然ながら、編集からカットまでにいたる詩集編纂の力量を含めて、逆思考への転換の発想と口語調の自由詩に近い語調に、どこか未知の満ちあふれる青春のエネルギーを感じた一冊でした。
 「黒猫たちが」塀の上で魔法で話す(12)、「Joker」が赤い涙をこぼした(78)、「青い肺のなかに」月見草がひらいた(108)。風がめくった頁は「理科のノート」(142)……色彩のマジックが、目に飛び込んでくる。タイトルは堀辰雄『風立ちぬ』でしょ。

 時期はずれの『秋たちぬ』(2014) でした……

 内容紹介
 寺山修司が高校時代につくった,新発見・未発表詩集の登場です.寺山自らが「秋たちぬ」とタイトルをつけ,編集,レイアウト,カットまで手がけた本書は,これまでは俳句・短歌から出発したと考えられていた寺山観を決定的に変えることでしょう。
 編者の田中未知さんが所蔵していたもので,田中さんは天井棧敷の結成から寺山の死まで,公私にわたり活動を支えた方です。
 詩編には一部日付の入ったものがあり,一番早い時期で昭和25年10月(このとき寺山はまだ中学生),遅い時期で27年4月9日と記されています.中心的なものは寺山の15歳から16歳,県立青森高校の1,2年の時期です.
 この頃すでに寺山は全国の高校生に呼びかけて,俳句雑誌「牧羊神」を創刊,中央俳壇と交流を持つ早熟ぶりでした。
 少年の孤独やロマンを描いていても,虚構世界の中で書かれ,すでに「寺山修司」です.少年の青春をどう描くか,寺山ファンのみならず,文学に関心ある読者に必読の書です。
岩波書店Web より

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