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画家とAIの絵から子どもは何を感じるか(後編)

生成AI時代、人間の価値はどこにあるのか。人間がすべきことは、目指すべきことは何か。それを考えるのは、これから生成AIと共に人生を歩む子どもたちであるべきであろうと考えて行った授業実践について書く後編です。

前編(1回目の授業)は、プロの画家と生成AIに同じプロンプトを課したところで終わりました。後編では2回目の授業がどうだったかについて書きましょう。

前回の復習

まずは、昨年12月の授業の復習から。長田さんにどんな絵を見せてもらったっけ? それで、どんなプロンプトで絵を描いてと頼んだったっけ? といったようなことをふり返りましたが、子どもたち、よく覚えていましたね。やはりプロの画家が描いた絵の持つ力は大きかったようです。

あ、ここでもふり返っておきましょうか。プロンプトはこういったものでした。

シマエナガという鳥にしてください、絵具を使ったようにしてください。いい感じの色でお願いします。幻想的にお願いしいます。背景をぼやかして、シマエナガだけはっきり書いてください。背景は森の中にしてください。動物はシマエナガが五匹までお願いします。(飛んでいる姿)油絵でお願いします。白黒ではなくて、カラーでお願いします。

12月の授業について確認したら、いよいよ作品の登場です。

作品登場

Divergence (Emi Osada)

長田さんの描いてきてくれた絵にかけてあった布を外したときの子どもたちの歓声、ちょっと忘れられません。自分たちの予想を遥かに超えたものだったのでしょう。様々な声があがっていました。

この後、1グループずつ前に呼んで、作品とじっくり出会ってもらいます。(この遠くから見たり近くから見たりするのって大事なんですよね。)絵を近くで見ながら、遠くから眺めながら、子どもたちは口々に感想を伝え合っていました。

次は長田さんへの質問タイム。色々と出ましたが、核心を突いていたのはこの質問でしょう。
「他の絵にも自分の感情が入っているって言ってたじゃないですか。このシマエナガにも(長田さんの感情が)入っているんですか?」
これに対する長田さんの答えは次のようなものでした。

「上の3羽は同じ枝の方を向いているけれど、下の1羽は地面の方を向いているでしょう? 人間も、周りの人が同じ方向を向いていると『それが正しいのかな』と思いがちなのだけれど、自分の感覚を信じて物事を見てみると自分だけの正解を見つけられたり新しい出会いがあったりする。そういうことがあるといいんじゃないかな、という想いを込めて書きました。」

これはかなりグッときますよね。

生成AIに絵を描かせる

そしてついに生成AIの登場です。私が「じゃあ、そろそろ生成AIにも絵を描かせよう」と言ったら「え、描かせてなかったの!?」と驚く子もいましたが「そりゃそうだよ、だってすぐできるじゃん」と返して、ChatGPTに長田さんにお願いしたのと同じ絵を描かせます。出てきたのがこちら。

長田さんの絵を見せたときの歓声も忘れられませんが、この絵がディスプレイに表示されたときの嬌声も忘れられません。
「どう? この絵?」
と聞いた後、出てくるのは「あそこがダメだ」「ここがおかしい」といったダメ出しばかり。私が「ねえ、いいところはないの?」と聞いて、ようやく何か出てくるという反応でした。

そこで子どもたちに問います。
「この絵じゃ納得がいかないんでしょう? じゃあ、少しプロンプトをいじってみるかい?」
すると子どもたちから様々な意見が出てきます。
「『シマエナガには必ず羽がはえているようにしてください。』と付け足した方がいいです!」
「え、どうして?」
「だって右から2番目、羽がないのに飛んでいるんですよ!」

そういった要望を取り入れ、プロンプトを改良して何回か絵を出力させた後、私から子どもたちに問いました。

「同じプロンプトで人間とAIに絵を描いてもらったわけだけれど、絵を描くことに関しての人間とAIの違いってなんだろう?」
子どもたちから出てきた意見をまとめてその場で作ったスライドがこちらです。

表現は稚拙かもしれませんが、小学校4年生なりに本質を突いているのではないかと私は思いました。

人でなければできないこと

ここで私から長田さんに質問します。
「AIは、出てきた絵が気に入らなかったらプロンプトを修正して何度も描かせることができるわけですが、長田さん、もし今日、持ってきてくださった絵に我々が『こうじゃなくてこうして欲しい』みたいな修正依頼があったらどうしますか?」
私はここで「それはもうあと2週間、時間をいただかないと」とか「だったら新しい絵を描いた方が早いですね」といった答えが返ってくるかな、と予想していました。しかし、長田さんの答えはまったく違うものでした。

「私なりに想いをこめて描いた絵なので、そういうリクエストがあっても『お断りします』と答えます。」

この答えを聞けた時点で、この2回の授業は大成功だったな、と心から思いました。

AIは我々人間の要望に合わせて何度でも生成してくれます。しかし、人間は生成することを断ることがあるのです。その根っこには「人間には想いがあるから」というAIと人間との(少なくとも現段階での)根本的な違いが横たわっています。それを小学校4年生に実感させられたのですから、授業者としては大満足です。

授業の終わりに取ったふり返りに「これから先、人間ががんばるべきことは何でしょうか。(「絵を描く」以外で)」という問いを入れておきました。その答えをいくつかひろっておきましょう。

AIは感情がないので感情をいっぱい持つ

AIは今はまだ完璧じゃないからいいけれど「自分で考える力」や「感情」を持ってしまったら、人間に制御できなくなってしまうから、そのあたりは人間が頑張って、AIを制御できるようにならないといけないなと思いました。

一人一人の人間より、AIだけの方がたくさんの情報を持っているけど、人間は人間でこのままでいいと思う。

答えが分からないことはずっと人間が、探していったり、考えてみたり、行動にしてみたりして人間が答えにたどりつかなくても、考え続けることも大切だと思うから、こういう答えがないものは人間がやった方がいいと思います。

どれが正しくて、どれが正しくない、などということは言えません。私にもわかりませんし。

でも、生成AIが登場した今、子どもたちにさせるべき経験は、例えばこういったやり方で生成AIと人間の違いについて深く考えることではないでしょうか。サクッと「生成AIというのはこういう仕組みでね」と説明して、いじらせれば自然とわかっていくだろうと考えるのは、さすがに乱暴ではないか、というのが私の立場。子どもたちに直接、生成AIを触らせる日は近いと感じていますが、その前にやるべきことはまだまだあるのです。

補足

この実践、ちょっとだけニュースで流れました。
1/26(金) 午後7:00 までNHK Plusで見られます。


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