見出し画像

第4章 ドイツ

この記事は、外務省HPの「ハーグ条約関連資料」-「3 子の連れ去りに関する法制度について」-「子の連れ去りに関する各国法令の調査報告書」の「第4章 ドイツ 立教大学教授 深町晋也」を転記したものです。

1.はじめに¹

 我が国の未成年者略取誘拐罪(刑法224条)に相当する規定として、ドイツには、未成年者を親などから引き離す行為を処罰する規定(ドイツ刑法 235条)がある。1871年のドイツ刑法典制定以来、本条は繰り返し改正されたものの、その基本的な構造は1998年の第6次刑法改正に至るまで維持され続けており、その間に展開された解釈論は、1998年改正後の本条の解釈に対しても 大きな影響を有している。
 また、ドイツ刑法典制定後のかなり早い時期²から、離婚訴訟の係属中に一方的に、あるいは裁判所の命令に反するなどして、一方の親が他方の親から未成年の子を引き離す事例についてドイ ツ刑法235条が成立するかが争われており、こうした事例に対して最上級審である帝国裁判所や連邦通常裁判所の判断が繰り返し示されている。
 そこで、以下ではこうした最上級審の判断を参照しつつ、ドイツ刑法235条の未成年者引離し罪の議論状況について概観する。まずは、1998年改正前のドイツ刑法235条を巡る解釈論について検討を加える。なお、1998年改正以前のドイツ刑法には、①婚姻外の性的行為をするために、18歳未満の未婚の女子の意思に基づき、その親などの承諾なく当該女子を誘拐した(entführen)者を処罰する規定(ドイツ刑法旧236条)や、②女子の意思に反して誘拐した者を処罰する規定(ドイツ刑法旧237条)が存在した(①はドイツ刑法235条と同様に親権又は配慮権を保護する規定であった)が、現在は存在しない規定であるため、本報告書では言及しないこととする。こうした検討ののち、1998年改正後のドイツ刑法235条について検討を行う⑶。同改正後のドイ ツ刑法235条には、新たな処罰規定や加重規定、未遂処罰規定など、様々な規定が付加されてい る。こうした改正の理由・内容を踏まえつつ、その後の判例・学説の展開について検討することにする。

2.1998年改正前のドイツ刑法235条

⑴ 1871年当時の規定と現行規定³

 以下では、ドイツ刑法典が制定された1871年当時の規定、及び1998年改正の直前になされた1975年改正による規定を紹介する。一定の行為手段(策略、脅迫又は暴行)や親などからの引離しが要求されている点で、本条の基本的な構造は一貫している。

①1871年制定時の規定

ドイツ刑法235条 
未成年者⁴を策略、脅迫又は暴行により、その両親又は後見人から引き離した者は、軽懲役に処する。また、物乞いのため又は利欲的若しくはわいせつな目的若しくは業務の ために未成年者を利用する意図で、当該犯行が行われたときは、10 年以下の重懲役に処する。

②1975年改正時の規定

ドイツ刑法235条
① 18歳未満の者を策略、脅迫又は暴行により、その両親、後見人又はその保護者から引き離した者は、5年以下の自由刑又は罰金刑に処する。
② 特に重大な事例の場合、6 月以上10年以下の自由刑に処する。行為者が利欲目的で犯行を行ったときは、原則として特に重大な事例である。

⑵ 保護法益

 ①総説
 ドイツ刑法235条の保護法益⁵を巡る議論の軸は複数存在するが、本報告書の課題との関係で重要なのは以下の2つである。第1に、本罪の保護法益は親権(elterliche Gewalt)又は配慮権(Sorgerecht)⁶なのか、それとも子の身体的・精神的利益なのか。第2に、親権又は配慮権が保護法益だとして も、それはどの範囲で保護されるのか、特に、親権又は配慮権を有しない親⁷が子に対して有する訪問権(Besuchsrecht)又は面会交流権(Umgangsrecht)についても本条で保護されるのか。
 第1については、子の同意が犯罪成立を阻却するか、また、子が親元を自ら離れる行為が処罰されるかと関連して問題となるが、本条の保護法益が直接的には親権又は配慮権であると解されている点では、判例と学説との間に特に大きな対立は存在しない。第2については、判例は一貫して、親が子に対して有する訪問権又は面会交流権もまた本条の保護法益だとするが、学説には有力な反対説も存在する。以下ではまず、判例の展開について分析し、その後、学説についても検討を加えることにする。
 ②判例の展開
 1) 第1の軸について
 第1の軸に関するリーディングケースと言えるのは、RGSt 18, 273(帝国裁判所1888年11月27(30)日判決)であり、そこでは、ドイツ刑法 235条における侵害客体は常に、両親又は後見人の未成年者に対する処分権限であって、このような権力関係が刑罰により保護されているとの理解が採用されている。
 また、同判決は、ドイツ刑法235条の事例に関与した未成年者自身が、犯行への共犯として処罰されることはあり得ないとし、未成年者自身は、ドイツ刑法235条の正犯としても共犯としても責を負うことはないが、未成年者に関与した第三者は幇助でなく(共同)正犯である限りは処罰される、とした。
 2) 第2の軸について
 第2の軸に関しては、一方の親に単独の養育権・監督権が帰属する場合ではなくともドイツ刑法235条で保護される旨の判例が存在する⁸。更に、一方の親に親権や配慮権が存在せず、単に訪問権又は面会交流権しか存在しない場合に、なお本条による保護が認められるのかについても、判例は一貫して肯定している。この点に関するリーディングケースは、RGSt 66, 254(帝国裁判所1932年5 月30日判決)及び BGHSt 44, 355(連邦通常裁判所 1999年2 月11日判決)である。特に重要なのは、面会交流権の法的位置づけが変更された後にも依然として面会交流権を本条の保護法益として正面から認めた後者の判例である。
 1999年判決は、ドイツ刑法235条の保護法益は、第1次的には、若年者に対して責任を有する 立場にある者の配慮権及びそこから導かれる監護養育権・居所指定権であるとする。したがって、一方の親から他方の親に対してなされる場合にも、それぞれの親に部分的にでも身上配慮権が帰属する限りで、原則として本条の成立が肯定される。そして、この理は、一方の親に専ら配慮権が帰属し、他方の親はドイツ民法旧1634条(新1684条以下)による面会交流権のみを行使する場合であっても、何ら変わる所はない(すなわち、面会交流権のみを有する親に対して配慮権を有する親がその面会交流権を侵害した場合にも本条が成立しうる)。
 まず前提として、配慮権を有しない親の面会交流権(ドイツ民法旧1634条、新1684条以下)は、今日ではもはや(ドイツ刑法235条が保護する)身上配慮の構成要素の残部ではないとされ、むしろ基本法6条2項1 文によって保障された親の自然的権利から導かれるものと位置づけられる。すなわち、面会交流権は、もはや養育権も養育義務も含まない。しかし、それにも拘らず、憲法上保障された面会交流権の侵害が(本条による)当罰性を有することは否定できないとされる。
 その理由としては、①面会交流権とは、子の身体的・精神的状態やその発達を、顔を見て相互に会話を交わすことによって継続的に確かめ、子との親族としての関係を保ち、疎遠になることを防止して相互の愛情の必要性を考慮することを可能にするものである点、及び②ドイツ民法1678条2項、同 1680条2項・3項及び同1696条に基づき、配慮権のない親はいつでも再び配慮権を取得して子の更なる養育に責任を持つべき可能性があるため、配慮権が帰属しない親と子とが疎遠になることを防止し、親子の交流(Eltern-Kind-Beziehung)の継続性を保障する必要がある点が挙げられている。
 これらの理由から、面会交流権は、現時点では失効しているものの、一定の事情によっては再び復活する配慮権を保護するものであり、それゆえ、最終的には子の健全な発達に資するものとされる。したがって、配慮権を有しない親の面会交流権は依然としてドイツ刑法235条により保護されるものとされている。
 ③学説の展開
 1998年改正以前の学説は、第1の軸については、基本的に判例に賛同するものが大勢と言える⁹。すなわち、ドイツ刑法235条の保護法益は第1 次的には両親の監護権又は配慮権¹⁰(ドイツ民法1626条、同1631条 1項)であり、児童の保護は間接的なものに過ぎないと解されている。このような観点から、判例と同様に、児童の同意があるとしても本条の成否には影響を与えないと される¹¹。また、間接的にではあれ児童が保護されていることに鑑み、当該児童が本条の正犯・共犯たり得ないことについても見解の一致が見られる¹²。
 これに対して、第2の軸については、判例に賛同する見解¹³と、判例に反対して面会交流権を本条の保護対象から排除する見解¹⁴とが対立する。後者の立場から主として唱えられているのは、1980年のドイツ民法の改正により、面会交流権(ドイツ民法旧1634条)がもはや養育権や養育義務を包摂せず、ドイツ刑法235条が保護する配慮権とは質的に異なるものとなっているとの批判である¹⁵。しかし、こうした批判に対しては、前述の通り、1999年判決は、①基本法6条2項1文を援用して面会交流権の重要性を基礎づけつつ、②配慮権の「復活」に備えた権利としての面会交流権との位置づけにより、配慮権と面会交流権との連続性にも言及しており、学説においても相応の説得力があるものとして受け止められている¹⁶。

⑶ 「引離し」の意義

 ① 総説
 ドイツ刑法235条が規定する犯罪はかつて「児童の強取(Kinderraub)」と呼ばれており、1871年ドイツ刑法典の制定以前まで遡ると、「人の強取(Menschenraub)」¹⁷の一環として、窃盗罪のような奪取罪に類似した犯罪として理解されていた。しかし、こうした理解は徐々に支持を失い、 窃盗罪との類似性は否定され、また、「児童の強取」は「人の強取」とは別個の犯罪であるとの理解が強くなった¹⁸。こうした議論の経緯を背景として、ドイツ刑法235条における「引離し」には、窃盗罪において物に対する新たな占有設定が要求されるのと同様に、行為者又は第三者による新たな支配を設定する必要があるのかがまずは問題となる¹⁹。
 次に、本条の「引離し」について、行為者又は第三者による新たな支配の設定を不要と解するとすれば、どのような基準によって「引離し」の有無を判断すべきかが問題となる。判例・学説においては、場所的離隔を伴う一定時間に渉る配慮権の著しい侵害の有無といった点が判断要素として問題とされているが、なぜこのような判断要素を考慮すべきなのか、また、個々の判断要素についての考慮の仕方が問題となる²⁰。
 そこで、以下では上記の2つの問題につき、判例の展開を分析し、学説に検討を加える。
 ②判例の展開
 1) 別の新たな支配の要否について
 この点に関するリーディングケースとして挙げられるのが、RGSt 18, 273(帝国裁判所1888年11月27(30)日判決)である。本判決では、被害者が両親の支配を脱したものの、依然として被 告人の実力支配下にあったとは言えない場合にも、本条の規定する「引離し」を肯定した。すなわち、本判決は、ドイツ刑法235条が排除された支配関係に代わって別の支配関係を設定することを要求していないことを正面から肯定した。
 その実質的な理由としては、ドイツ刑法235条の保護法益である両親又は後見人の未成年者に 対する権力関係は、別の事実的な支配関係が設定されなくとも、引き離すことによって侵害されている点が挙げられている。
 2) 引離しの有無の判断基準について
 この点に関する最上級審の判例は数多いが、判例において特に問題とされているのは、どの程度の時間に渉って子を両親などから引き離せば、配慮権の行使が著しく侵害されたとして本罪の「引離し」が肯定されるか、である。前出の RGSt 18, 273(帝国裁判所1888年11月27(30)日 判決)は、引離しが「一定期間に渉る状態の作出」に向けられる必要があるとするが、具体的にどの程度の期間に渉れば良いのかは、必ずしも明確に示されていない。こうした判例の中でも、 BGHSt 16, 58(連邦通常裁判所1961年 4月21日判決)は、事案ごとに問題となる全事情を考慮して判断しつつ、「一定期間」について極めて短い時間(10分間の連れ去り)でも本罪の「引離し」に該当し得る旨を示した点で、ドイツにおいてはリーディングケースとされている。
 ③学説の展開
 1998年改正以前の学説は、新たな支配関係の設定の要否については判例に賛同するものが大勢と言える。かつては、前出の RGSt 18, 273(帝国裁判所1888年11月27(30)日判決)に反対し、別の新たな支配関係の設定を要求する見解が有力であったが²¹、少なくとも1998年改正の直前には、判例に賛同する見解が通説となっている²²。
 次に、「引離し」の判断基準については、未成年者の要保護性や脆弱性など事案ごとに問題となる全事情を考慮して判断するという判例の一般論には賛同する見解²³が通説的と言える。しかし、具体的な判断、特に「一定の期間」が極めて短時間(10分間)でも足りるとされている点については批判が大きい²⁴。

⑷ 本条の行為手段─特に「策略(List)」について

 ①総説
 ドイツ刑法235条の行為手段としては、1871年ドイツ刑法典制定時から、1998年改正前まで、一貫して「策略、脅迫又は暴行」が規定されていた。こうした行為手段は、被害児童、両親などの配慮権者のみならず第三者に向けられることでも足りる。他方、こうした行為手段が用いられな い場合、例えば嬰児を誰にも見られずにそっと連れ出す場合(いわゆる「嬰児窃盗」)には、およそ本条の処罰対象に含まれないとされてきた²⁵。
 本条の規定する行為手段のうち、両親の間での子の奪い合いという観点から見て最も重要なの は「策略」である。もちろん、両親の間で子を暴力的に奪い合うという事例もありうるが、実務上は、離婚手続きなどにおいて子の引渡しが問題となる際に、一方の親が他方の親に真意(例えば、子が一旦引き渡されれば二度と他方の親には会わせないと思っていること)を告げない事例や、一方の親が子の引渡しを拒んで他方の親の知らない場所に子を隠すような事例が問題となるからである。そして、こうした事例では、一方の親が他方の親を積極的に欺罔(Täuschung)する場合のみならず、単にその真意や真の事情を告げない場合が特に問題となる。
 そこで、以下では「策略」が問題となった判例の展開を分析しつつ、学説の展開について検討を加えることにする。
 ②判例の展開
 「策略」の解釈に関しては既に RGSt 17, 90(帝国裁判所1888年1月 27日判決)が、欺罔によらない「策略」の存在を認めており、行為者が自己の真意や真の事情を隠蔽したことが「策略」に当たることを肯定したリーディングケースと言える。本件では、被告人Xは、離婚訴訟係属中に、夫Aの下にいた子Bを密かに連れ出した。そして離婚成立後、後見裁判所により、その養育のためにBをAに引き渡す旨の決定が下された。しかし、Xは決定の執行を妨げるためにBの身柄を隠し、その居場所を知っているにも拘らず、Bの居場所に関する回答を頑として拒絶した(結局、Bの居場所は明らかにならなかった)。
 Berlin 地裁は、Xは欺罔を用いておらず「策略」に当たらないとしてドイツ刑法235条の成立を否定したが、RGは「行為者の意図を巧妙に隠蔽する」こともまた「策略」に当たるとして、本罪の成立を肯定した。この判断は、戦後のBGHSt 10, 376(連邦通常裁判所1957年9月13日判決)に引き継がれている。
 ③学説の展開
 学説においては、判例に従いつつ、ドイツ刑法235条の「策略」を「巧妙かつ手際よく真の意図あるいは真の事情を隠蔽することで行為者の目的を達成することを目指す行為」と解する見解が通説的見解と言える²⁶。すなわち、欺罔のように相手方に積極的に錯誤を生じさせる行為は十分条件ではあっても必要条件ではない。
 これに対して、本条の「策略」は欺罔の要素を含まなければならないとする見解は、古くは通説的な見解であったと言えるが²⁷、現在では強い批判が向けられている²⁸。

⑸ 小 括

 1998年改正前のドイツ刑法235条の解釈論については、以下のようにまとめられる。
 ①ドイツ刑法235条の保護法益は両親などの配慮権であるが、本条は間接的に未成年者の保護にも資する。したがって、未成年者の同意があっても本条の成否には影響しないが、未成年者自身は本条ではおよそ処罰されない。また、本条の保護法益としては、親の配慮権の他に面会交流権も含まれる。したがって、面会交流権のみを有する一方の親が、単独配慮権を有する他方の親によって面会交流権を侵害された場合には、本罪が成立しうる。
 ②ドイツ刑法235条の規定する「引離し」は、未成年者と両親などとの間の場所的離隔を伴う 一定時間に渉る配慮権の著しい侵害であり、未成年者に対して新たに支配を設定することは不要とされている。
 ③「引離し」においては、未成年者の要保護性や脆弱性などの全事情を考慮した上での事例判断が重要とされており、「一定時間に渉る」という点には必ずしも決定的な意味があるわけではないが、極端に短い時間でも足りるか否かには議論がある。
 ④ドイツ刑法235条の規定する行為手段である「策略」とは欺罔に限定されるとの見解が古くは通説的であったが、判例やその後の通説は、必ずしも欺罔に限定されず、行為者の真の意図を巧妙に隠蔽する場合も含まれるとする。

3.1998年改正後のドイツ刑法235条

 ⑴  ドイツ刑法235条の1998年改正について

 ①現行規定の確認

第235条(未成年者の引離し)
① 1.暴行を用いて、相当の害悪を加える旨の脅迫により、若しくは策略により、18歳未満の者を、又は、
  2.親族ではないのに、児童を両親、親の一方、後見人又は保護者から引き離し、又はこれらの者に引き渡さなかった者は、5年以下の自由刑又は罰金刑に処する。
② 1.国外に連れ去るために、両親、親の一方、後見人若しくは保護者から児童を引き離し、又は、
  2.児童が国外に連れ去られた若しくは児童が国外に赴いた後に、第1 号に掲げた者に対して児童を国外で引き渡さなかった者も、前項と同一の刑に処する。
③ 第1項第2号及び第2項第1号の罪の未遂は、罰する。
④ 行為者が
  1.被害者に犯行によって死亡の危険、重大な健康障害の危険若しくは身体的若しくは精神的な発達への著しい障害の危険を生じさせたとき、又は、
  2.対価により、若しくは自己若しくは第三者に利得させる目的で、犯行を遂行したときは、1年以上10年以下の自由刑に処する。
⑤ 行為者が犯行によって被害者の死亡を引き起こしたときは、3年以上の自由刑に処する。
⑥ 第4項の比較的軽い事案では、6 月以上5年以下の自由刑に、第5項の比較的軽い事案では、1年以上10年以下の自由刑に処する。
⑦  未成年者の引離しは、第1項から第3項までの場合においては、刑事訴追機関が刑事訴追について特別な公の利益があるために職権による介入が必要と考えるときを除き、告訴に基づいてのみ訴追される。

 ②1998年改正前の条文との異同
 1998年改正前の本条と比較すると、現行規定には新たな処罰規定や加重規定、未遂処罰規定など、様々な規定が付加されている。両者を比較して特に重要と思われるのは、以下の点である。
 1)本条の保護法益に、親などの配慮権の他、直接に未成年者の利益も含まれるようになったこと
 2)1項1号については基本的にその処罰範囲に変化がないこと
 3)本条の行為として、「引離し」の他に、「引き渡さなかったこと」(不引渡し)が新たに規定されたこと
 4)本条の保護客体として、18歳未満の未成年者の他に、14歳未満の児童について特に規定しつつ、1項2号において、親族以外の者による児童の引離し及び不引渡しにつき、暴行、脅迫又は策略という行為手段の限定なく処罰する規定を設けたこと
 5)2項において、14歳未満の児童につき、国外移送目的引離し及び国外での不引渡しを処罰する規定が新設されたこと
 6)1項2号及び2項1号につき未遂処罰規定が新設されたこと
 そこで、以下では、上述の点に関する改正の経緯・趣旨について検討を加える。
 ③1998年改正の経緯及び趣旨
 ドイツ刑法の各則規定を大きく変更することになった1998年の第6次刑法改正は、生命、身体、性的自己決定といった法益を所有権や財産といった法益よりも重大なものとして保護するため、またとりわけ、児童を様々な侵害から保護するため、新たな処罰規定を新設し、また、法定刑を加重するものであった。ドイツ刑法235条の改正も、その一環として行われたものである²⁹。政府草案の説明によれば、本条の改正理由は以下の通りである³⁰。
 1) 保護法益
 本条の改正に当たっては、まず保護法益として、親などの配慮権に加えて、未成年者の身体的・精神的な発達が阻害されないことをも直接に保護することとした。4項1号が、未成年者の身体的・精神的発達が著しく阻害された場合を加重事由としていることは、こうした趣旨の表れである³¹。
 2) 1項1号について
 1項1号は、18歳未満の未成年者を客体に、1998年改正前と同様、親族・非親族を問わず、暴行などの行為手段により、犯罪が既遂に達した場合のみ処罰する³²。これは、家庭内の揉め事に対して、1998年改正前に比べてより広く刑法が介入する必要性は基本的に存在しないと判断されたからである。なお、「両親(Eltern)」に加えて、「親の一方(Elternteil)」が新たに規定されたのは、従来、親の一方が他方から子を引離す場合に、他方の親に配慮権あるいは面会交流権が存する限りは本罪の成立が判例・学説によって肯定されていたところ、このような場合に本罪が成立しう る旨を明確にするためである。したがって、従来に比して処罰範囲を拡張することは意図されていない。
 3) 「不引渡し」の規定
 1項1号・2号において、「引離し」に加えて新たに「不引渡し」が規定されたのは、2項2号との関係による。すなわち、一旦は両親や一方の親の同意に基づき適法に国外に連れ出された児童を、そのまま不法に留置するような行為を独自の構成要件とするためには、「不引渡し」という概念を用いることが不可欠であったからである。したがって、1項との関係では、「不引渡し」という概念を付加することで処罰範囲を拡張することは、およそ意図されていない。というのは、従来から、「引離し」の中には積極的引離しのみならず、消極的引離しも含まれると解されていたからである。
 1項・2項の「不引渡し」は、子の引渡しを拒む場合のみならず、子の引渡しを困難にする場合、 例えば、子の居場所を秘匿する行為や配慮権者による子の引渡し要求に従わずに子を匿う行為なども含まれる。これに対して、子に住む場所や食事などを提供はするものの、それ以上は専ら消極的な態度に終始し、子が親元に帰ることを妨げていない場合には、なお「不引渡し」には当たらない³³。
 4) 児童に関する処罰拡張規定:1項2号
 1項2号は、14歳未満の児童を親族以外の者が「引離し」又は「不引渡し」をする場合には、それ以上に暴行などの行為手段を充たさなくとも成立する³⁴。当該規定が特に意図しているのは、いわゆる「嬰児窃盗」と呼ばれる、暴行、脅迫又は策略を用いることなく乳幼児を親から引き離す行為を処罰することである。こうした行為は、1998年改正前の本条では処罰し得ないと解されており、処罰の間隙が生じていると批判されていたが、本改正はこうした処罰の間隙を埋めるものである。また、1項2号については未遂処罰が規定されたことで、児童の保護がより厚くなっている。
 5) 国外が関係する場合の処罰拡張規定:2項1号・2号
 14歳未満の児童が、配慮権などを有する一方の親の意思に反して国外³⁵に連れ出された場合には、通常、配慮権に関するドイツの司法機関による決定はその執行が不可能又は著しく困難になる。また、一旦は一方の親の同意の下に他方の親が子を国外に連れ出したが、その後、他方の親が子を元の居住国に返すことを拒む場合にも、同様の問題が生じる。2項は、こうした事例を処罰すべく、1項2号と同様、暴行などの行為手段の有無に拘らず、上述のような引離しや不引渡し³⁶を処罰対象とした。
 6) 未遂規定
 1項2号については、未遂規定により、児童に対する保護が厚くなっている。また、2項1号に関しては、未遂規定により、国外に移送する目的で子を引離す行為が既遂に達する前に捜査機関が介入でき、子が国外に連れ去られることを未然に防止しうる。これに対して、1項1号については、従来の処罰範囲をおよそ拡張させないことが意図されていたために、未遂処罰が規定されていない³⁷。
 ④ドイツ刑法235条1項・2項の整理1項1号・2号及び2項1号・2号の各要件を表にまとめたものを以下に掲記する。1998年改正前からの処罰対象が1項1号であるのに対して、1998年改正で追加されたのが1項2号、2項1号・2号である(太い黒枠で囲んだ部分)。1998年改正で追加された犯罪類型は全て、客体が14歳未満と特に保護の必要性が高い場合に、行為手段の限定なしに処罰するものである。その中で、1項2号は、家族間での子の奪い合いについては処罰範囲に含めないために主体を限定しているのに対して、2項は、親族法上の解決が困難な国外事案の場合につき、処罰範囲を家族間での子の奪い合いにも拡張している。

 ⑵ 1998年改正後のドイツ刑法235条を巡る解釈

 ①概説
 前述の通り、1998年改正によって本条には様々な規定が付加されたが、その核となる規定である1項1号については殆ど変化がない。そのため、現行規定の解釈においても、基本的な概念の多くにつき、判例や学説においては1998年改正前の解釈がそのまま援用されている。したがって、 2で論じたことは基本的に現行規定の解釈にも妥当する。
 そこで、以下では、1998年改正によって変更された点や新たに問題となった点を中心に分析・検討を加えることにする。
 ②保護法益
 前述の通り、政府草案の説明によると、本条は親などの配慮権・面会交流権と並び、未成年者の心身の健全な発達をも直接に保護する規定とされており、学説においてもこの理解は広く受け容れられている³⁸。これに対して、判例は、一方で、(1998年改正前の規定に関する判決である) 前出の BGHSt 44, 355(連邦通常裁判所1999年2月11日判決)を引用しつつ、「ドイツ刑法235条によって第1次的に(vorrangig)保護法益とされているのは若年者に対して責任を有する立場にある者の配慮権及びそこから導かれる監護養育権・居所指定権」であるとするが³⁹、他方で、1998年改正が4項1号を加重事由とした趣旨を、(配慮権の保護のみならず)未成年者の発達が阻害されないこともまた保護法益として考慮したことにあるとする⁴⁰。したがって、1998年改正によって本条の保護法益に関する判例の理解が変更されたのかは、なお不明である。
 しかし、本条が直接的に未成年者を保護する規定であると解されるようになっても、依然として、かかる未成年者の同意は本条の成立を阻却しないと解されている。その理由としては、1)本条はあくまでも親族法上の配慮権と並んで未成年者を保護するものであること⁴¹や、2)本条で保護されているのは未成年者の人格的自由ではなく、(未成年者自身が処分し得ない)その心身の発達であること⁴²が挙げられている。また、1998年改正前から、未成年者自身が本条によって(間接的に)保護されている以上、本条の正犯・共犯となり得ないとする解釈が採用されているところ、1998年改正によって、この解釈はますます妥当することになる。
 なお、1998年改正前の本条はいわゆる「絶対的親告罪」であり、告訴権者の告訴なくしてはお よそ訴追がなされ得なかったが(ドイツ刑法旧 238条)、1998年改正により、7項において、本条1項から3項の罪については、いわゆる「相対的親告罪」とされた。すなわち、特別な公益が存在する場合には、告訴権者の告訴がなくとも公訴提起が可能となった⁴³。
 本条の告訴権者に配慮権者が含まれることは当然であるが、拐取された未成年者も告訴権を有するかが問題となる。本条が未成年者の心身の健全な発達をも直接的な保護法益にしたことに伴い、これを肯定する見解が有力であるが⁴⁴、立法者は主として未成年者の利益を考慮して相対的親告罪とした⁴⁵(すなわち、一定の場合には告訴がなくとも訴追を可能とした)ことに鑑みれば、未成年者を告訴権者に含めることを立法者は意図していないとする見解⁴⁶もある。
 ③「引離し」の意義
 1) 新たな議論動向
 本条の「引離し」については、未成年者を親から引き離す場合が従来は問題とされてきたが、これとは逆に、配慮権を有する親に対して暴行、脅迫又は策略を行い、子から親を引き離す場合にも本条の「引離し」に当たるかが問題となる。
 この点が正面から問題となった BGHSt 59, 307(連邦通常裁判所2014年9月17日決定)は、被告人が妻に対して2人の子をドイツに置いてトルコに戻るように脅迫したため、やむを得ずトルコに戻ったという事案において、「場所的離隔によって養育、監督及び居所指定の権利が、一時的な期間ではなく一定程度の期間、著しく侵害されたためにその行使が不能となった場合には、未成年者が両親から引き離されたと言える」としつつ、未成年者が一方の親から遠ざけられる場合のみならず、一方の親が未成年者から遠ざけられる場合にも本条の「引離し」が成立するとした。その理由として、本条で第1次的に保護法益とされている、若年者に対して責任を有する立場に ある者の配慮権及びそこから導かれる監護養育権・居所指定権はこの場合にも侵害されている点が挙げられている。
 2) 学説の検討
 学説においても、従来から、親から子を遠ざける場合のみならず、子から親を遠ざける場合、例えば親を一定の場所に閉じ込めて子に近づけなくさせるような場合についても、本条の「引離し」に当たるとされてきた⁴⁷。したがって、2014年決定が採用する解釈は、1998年改正によってもたらされたものではなく、それ以前から既に存在していたものである。
 これに対して、主として「引離し」という語の日常用語的な意義を元に判例を批判する見解も存在する。すなわち、本条は、あくまでも引離す行為の客体が未成年者であることを要求しているのであって、親が未成年者から引き離される場合には、本条では捕捉されないとの批判である⁴⁸。
 ④2項及び4項1号の成否
 1998年改正によって新設された2項の適用及び4項1号の適用が問題となった事案として、BGH NStZ 2006, 447(連邦通常裁判所2006年2月 9日判決)が挙げられる。以下では、事案と判旨をやや丁寧に紹介する。
 1) 事案
 イスラム教徒である被告人Xエジプトで生まれて育ち、1992年にドイツを訪れて1993年にドイツ国籍を有する女性Aと婚姻した。1998年にXはエジプト国籍を放棄してドイツ国籍を取得した。2001年に離婚するまでに、XとAとの間には2人の子(娘と息子)が生まれた。2000年 5月に、Xによる暴力を理由として、AはXと別居した。Aは、離婚手続において最終的な判断が下されるまでの間、家庭裁判所から仮命令によって、2人の子に対する単独の居所指定権を取得 した。更に、裁判所の決定により、Xは2人の子をドイツ国外に連れ出すことが禁じられ、また、2人の子については、予防的措置として、シェンゲン加盟国の情報システムに名前が登録された。Aは2001年12月28日に、面会交流の取り決めに従って、Xに2人の子を預けたところ、Xは同 日、取り決めに反して2人の子を氏名不詳の共犯者に委ね、共犯者は2人の子をエジプトまで連れて行った。その後Xもエジプトに行き、2003年9月にドイツに帰国し、2004年に逮捕された。その後も、Xは2人の子の居場所については供述しなかった。Berlin地裁は、Xにドイツ刑法235条1項1号及び2項1号の成立を認めた⁴⁹が、4項1号の加重事由の成立は否定した。これに対し て検察官は、4項1号の成立を争って上告したが、棄却された。
 2) 判旨
 「地裁は正当にも、Xが自分の2人の子どもを国外に連れ出すために、策略によって母親から 子どもを引離したことを理由に、ドイツ刑法235条1 項1号、2項1号に基づいて、未成年者の引離しについてXに有罪判決を下している。」
 4項1号の成立については、「当該犯行により、被害者⁵⁰の身体的・精神的な発達が著しく阻害される具体的な危険が惹起されることが必要である」。こうした具体的な危険を認めるためには、「たとえ当該児童を国外へと連れ出すことに結びついているとしても、児童の単なる引離しそれ自体では十分とは言えない。(中略)他の文化的領域に連れ出すことは、未成年者の身体的、精神的、心理的な発達に対する具体的な危険と結びついている場合、例えば、他の宗教の圧倒的な影ラム教徒に改宗したこと、②XはAと、娘が生まれた後に、娘をイスラム的な価値観や生活ルールにも従って育てることで一致したこと、③娘に豚肉を食べさせなかったこ と、④XとAは娘を連れて何度もエジプトに行き、「第2の故郷」としたこと、⑤息子が生まれた後は、2人の子をドイツ語とアラビア語のバイリンガルにすべく、A自らもアラビア語を習得し たことなどをかかる事情として挙げている。
 ⑤犯罪の終了時期
 本条は1項及び2項で「引離し」及び「不引渡し」をそれぞれ行為態様として規定するが、これらはいずれも継続犯であると解するのが通説的見解である⁵¹。そして、例えば「引離し」については、場所的離隔を伴う一定時間に渉る配慮権の著しい侵害が生じた時点で既遂に達するものの、配慮権者による影響力行使の可能性が回復するまでは犯罪が終了しない⁵²と解されている。

4.終わりに

 親による子の奪取に関しては、親族法上の対応が優先し、刑法の介入はなるべく抑制的であるべきとの価値観は、ドイツにおいても広く見て取れる。しかし、具体的な本条の成立要件との関係で、こうした価値観がどのように反映されるのかという問題が存在する。ドイツにおいては、一方の親の配慮権者としての地位を、他方の親が家族法に違反して完全に「乗っ取った」場合に限って本条の「引離し」を肯定すべきとの見解が有力に主張されている⁵³が、こうした限定を本条の文言や目的から導くことはできないとする批判もなされており⁵⁴、依然として解決されていない問題であると言えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?