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他人に興味を持つこと

 女子高において学級日誌上で絵しりとりをし、先生の観察日記をつけたこともある経験を共有するものとして「女の園の星」にハマり、そこから「夢中さ、きみに。」、「カラオケ行こ」、「ファミレス行こ」と、課題やら仕事のご褒美にしながら読み進めてきました、和山やま作品。当初、細かい温かい笑いのネタと温度感がストライクゾーンなだけかと思っていたものの、そうじゃないもっと根本的なところでの共感があることに「ファミレス行こ(上)」で気付き、anone,のセクシュアリティ診断をしてみた話です。ちょこちょこネタのネタバレはしますが、ストーリーについてはしないつもりです。

和山やま作品の好きなところ

 ある個人が別の個人に興味をもつ、という感覚の解像度の高さ。これまで好んで読んできた小説のそれだけれど、そこは往々にして恋慕か愛情か憎悪か畏敬か、よりはっきりとしたラベルのものに落ち着くものが多かったのに対し、和山やま作品では、ほんのちょっとしたことで興味を惹かれて名前のない感覚で宙に浮いたまま。それを可能にするくらい自分に素直な思考回路と行動原理を持っていてかつモラルが高いキャラクター達である、というのもあるけれど、その感覚が個人的にはとてもリアルに思うし、それを色々な角度とグラデーションで描いてくれているのが嬉しい。
 
 ちなみに、「女の園の星」シリーズは、風邪の日のカレーのエピソードがとりわけ好きです。

きみ、に夢中になるとき

 星先生の誕生日を全力で祝おうとする鳥居さんのように、二階堂の笑顔を守りたいと思った目高のように、何らかのきっかけから、ある特定の人の何かに惚れこんだり、気になって仕方なかったり、何となく心許せる場所になったりすることがある。それは必ずしも恋愛感情でないようだけれど、そう見なして恋バナ(ごっこ)ができるくらい、自分でも曖昧だし、人によっては完全にそうだと捉える。そしてその対象に性別は関係ない。
 更に、どんなに好きだと思っていても付き合いたいにはなかなかつながらない。ただもっとその人のことを知りたい、若しくは、ただその人の言動が愛おしく守りたい、なのであって、独り占めしたいとか甘い言葉をささやかれたいとか、カップルとして認められたいとは思わない。その人が楽しく健康に人生を生きてくれていることが大切で、そこに貢献させていただければ本望。好きであろうとそれ程でなくても、同じような感覚が幸運にも矢印がお互いを向いていた場合、友達と呼んでも違和感のない関係を築けるような気がする。
 ただ大学入学当初、専らカップルがすることだとかモテだとかの話を聞いては、そういう文化はリアルに存在するんだなあ、面白いなあ、とパラレルワールドに生きてきた気分で思っていた。一方で、この「好き」の対象が異性の場合、付き合う狙いで相手がフリー(かどうか知らない場合も一応含む)という場合でしかサシで会うのは結構問題がある、という暗黙のルールを知ってショックを受けた。

診断曰く、

 恋愛傾向はアロマンティック(愛に恋愛感情はない)だそう。以前からnoteで恋愛傾向について綴ったものを読む度色んなラベルがあるのだなあ、と他人事のように思っていたけれど、ここにおるやん!となりました。表現したい性はノンバイナリー、となって、そこまで名前つくんか、と。自分事としてこうした名前が身近になるのは良いことだと思いつつ、説明読んでいるうちに食傷気味になりました。確かに、パーマかけた後メンズライクな服を着て「綾野剛っぽい!」と大喜びする一方、レースにチュール、ピンクや花柄にも目がない。どのジャンルでも自分については似合って納得できるスタイルができれば良いし、他人についてはなおさら素敵であれば性別は関係ないし、正直そこを第三者が気にする感覚がわからない。とはいえ、ラベル付けしないと生きづらい人がたくさんいる以上、世の中は変わっていくべきところ。
 
 自分以外の誰かにただ何とはなしに興味をもつ、名前も目的地もなくても、その感覚がそもそも尊いことを思い出させてくれる。それが和山やま作品のユーモアだけで終わらない魅力だと思うわけです。

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