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2/2 福田裕子先生『どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう』 本について

アニメ『プリパラ』で初めて、脚本家 福田裕子先生のお名前を知り、先生の作品の数々に大変感銘を受けています。
また、このようなことを申し上げるのはおこがましいのですが、福田先生の作品作りへの姿勢や、生活や趣味、またファンの方々との交流など、Twitterのご投稿を拝見するにつけ、その情熱や誠意に、なんと尊敬できるお方なのだろうと、我が身を振り返るといいますか、姿勢を正される思いがいたしております。

先生の最新作である『どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう』を拝読しました。これについて内容に想起され考えたこと・感想・批評ともつかぬものを描いてみる次第です。所謂「ネタバレ」を含みますので、ご注意ください。

また、僕は今まで、動物と暮らしたことがなく、また近々暮らす予定もありません。しかし、動物の生や人間との関わり方については以前から関心をもっています。そうした境遇の人間の文章として(なるべく普遍的な記述を心がけていますが、)読んでいただけると助かります。

『どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう』

物語の「いま」「ここ」は、クリスマス前。小学五年生の「みく」が、近所に住む「あやさん」の家を訪れている場面。
動物が大好きなみくは、クリスマスプレゼントとして子犬を欲しがっており、そのことを母から反対され残念に思っています。その気持ちをあやさんに伝え、慰めてもらいたい。あわよくば母を説得してもらえれば、と考えます。あやさんは動物に囲まれて暮らしていますが、期待通りの言葉をかけてくれません。代わりに、あやさんが関わってきた動物たちの物語を語って聞かせてくれることになります。
このあと、あやさんが今まで関わってきた動物たちについて、4つの物語が語られます。それぞれ、犬や猫が異なった境遇におかれ、辛く厳しいときを乗り越え、人間の優しさに救われた物語です。
そして最後の章では、物語を聴いたみくが、あやさんの家で保護犬の「ソラ」と新たな出会いをします。みくの「ソラ」との関わり、「ソラ」の周囲との関わりが描かれます。
エピローグでは、みくのその後が描かれます。

動物に共感し、共に生きるということの素晴らしさと大切さ

この作品は徹頭徹尾、内容はもちろん形式に至るまで、本全体を使ってこのことを表現されています。作者もあとがきで下のように述べています。

「動物を飼うのは、とても大変なこと」というテーマだけを、伝えたかったわけではありません。それ以上に、あなたと分かちあいたかったのは、『人が、動物たちと共に生きることの、尊さ、すばらしさ』です。
福田裕子. どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう. 株式会社KADOKAWA, 2022, 188

そして、登場人物のあやさんはみくに物語を語る際、このように前置きをしています。

でもね、飼うかどうかよりも先に、まず、みくちゃんには、この子たちの気持ちを知ってほしいなあと思って
福田裕子. どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう. 株式会社KADOKAWA, 2022, 14

物語の構成

物語の一番外側は、前述のとおり「みく」と「あやさん」の物語です。
この物語は、大きく次のように進んでいきます。

  1. 子犬を飼いたいが、母親に否定されたみく(プロローグ)

  2. あやさんはみくに動物たちの物語を語って聞かせる(1章~4章)

  3. それを聴いたみくは、動物たち・ペットへの考えを新たにする(5章)

  4. みくはあやさんの家で、保護犬「ソラ」に出会う(5章・エピローグ)

みくは、おそらく読者の共感の窓として想定されていて、読者である子供たちや我々は、みくと一緒にあやさんの物語を聴き、動物たちについての考え方、接し方を考えることで、それを自分のものとできるような構成になっているようです。

みくの考え方・心情の変化

プロローグにおいては、動物たちの物語を聴く前のみくの思いや姿が描かれています。
どんな子犬がほしいのか、子犬が来たら、どんな楽しいことをしようか。と想像します。
もちろんこうした動物とのふれあいが、ペットを飼う楽しみのひとつであることは間違いないと思いますが、どちらかというと自分本位で刹那的、ペットが「与えてくれるもの」に関心が向いているという感じでしょうか。

彼女は、あやさんの物語(1~4章)を聴いたあとで、大きく考え方を変えています。
子犬がほしいと軽々しく言ってしまったことを後悔し、今、世界中にいるであろう、辛く悲しい状況にある動物たち、それでも前向きに生きようとしている動物たちに思いを馳せます。

そして、あやさんから、保護犬の「ソラ」を紹介されます(5章)。
ソラは、ひどい境遇から助け出されたばかりで、皮膚病を患い、毛が抜け、皮膚が真っ赤にただれています。その身の上から、他者を信じることができず、クレートの奥から「ガァルル」と吠え、みくやあやさん、動物たちを威嚇してしまいます。

みくは、ソラの様子を見て、想像をめぐらせます。どのようなひどい境遇にいたのか。今どんなに痛く、かゆく辛い思いをしているか。怯えた気持ちでいるのか。
そして、どうしたらソラを癒すことができるのか、どうしたらソラが笑顔になれるのかと、考え始めます。

みくはソラのもとに通い、ソラに人を信じてほしい、外の世界の素晴らしさを知ってほしい、心を取り戻してほしい一心で、毎日話しかけます。

当初、「こういう子犬がほしい」「子犬とこんなことがしたい」と考えていたみく。
ソラは、みくがほしいと思っていたような子犬ではありませんが、みくはソラを友人として、「ソラをなんとかしてあげたい。」「力になりたい」「心を取り戻してほしい」と思えるようになりました。

5章 みくとソラの描かれ方

実際に本文を読んでいただきたいのですが、5章のみくとソラの描かれ方が卓越しています。

冒頭では、みくが自らの視点で語り始めます。そして次の節では、ソラの視点から語られます。突然やってきたみく、そして周囲の動物たちの迷惑な振る舞いが描かれます。

さらに次の節、みくはクリスマスが近づくと、お手伝いでお小遣いを稼ぎ、サンタクロースになって、ソラに玩具をプレゼントします。

ソラが玩具に近づいて、音を鳴らします。
そしてクレートから出てくるソラ。
みくを見つめて再び音を鳴らします。

今まで節を分けて語ってきたみくとソラでしたが、この瞬間、この節の語り手であったみくの言葉に続けて、ソラの言葉・心情が語られます。
ソラが心を取り戻し、みくに心を開いてくれた場面。
みくがソラの気持ちを理解できた、ソラがみくに心を開いてくれたこと、
一人と一匹の気持ちのシンクロが見事に文章で表現されています。
読者である我々も、みくとソラそれぞれの心情に寄り添いながら読むことができます。

そしてみくは、ソラと心を通わせられたことに、今までにない幸せを感じます。

辛そうなソラを目の当たりにしたことや、そこからの毎日、心を開いてくれないソラの元に通うことは、楽しく愉快な日々ではなかったかもしれませんし、そこだけに目を向ければ、あやさんの物語を聴く前の、辛く厳しい動物たちを知る前の日々のほうが、穏やかなものだったのかもしれません。

しかし、「こんなあたたかい気持ちは、生まれてはじめてだった。」とみくはふりかえります。

あやさんの物語のはたらき

このように、みくの考え方や心境が変化し、ソラと接することができたのは、みく自身が動物が大好きだったことはもちろんですが、あやさんが語ってくれた4つの動物たちの物語にありました。

「モモや小梅たちの話を聞いた、今の私には想像がつく。」
福田裕子. どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう. 株式会社KADOKAWA, 2022, 158

この4つの物語のはたらきは大きく二つあると考えます。

一つは、動物たちを取り巻く環境や、ペットについての問題、そしてペットを飼うことで起こり得る、陥り得る出来事の具体例をみくに(我々に)啓蒙することです。(この一つ一つの内容は本項では詳述しませんが)

そしてもう一つは、動物たちの状況や気持ちを想像し、理解すること。そして動物たちに共感することとは、どんなことなのかをみくに(我々に)語り、伝えること。

動物たちに共感するということ

動物たちに共感することについては、前の項「福田裕子先生『どうぶつと暮らすということ ペットの声を聴いてみよう』 1/2 考えたこと」で考えましたので、割愛し、概要を書きますと、

  • 動物の身体的・精神的特徴や特性についての理解

  • 動物の振る舞いや行為をつぶさに観察すること

この2つでもって、
彼らの身体的・精神的な状況や気持ちについて想像し、理解し、共感すること
ができるのだろうと思います。

お腹が空いていそうだからといって、人間がおいしいと思うものを食べさせてはいけないわけです。

この2点があやさんの語りではとても詳細に描かれています。
動物たちの語りは、もちろん我々の言語で描写されてはいますが、それは単なる擬人化ではなく、それぞれの動物たちが、個性をもって、そして動物としての性質や特徴をもった存在として、語られます。
服に違和感を感じること。
野原を走り回ることを自然だと感じること。
自身の排泄に無自覚であること。
外の世界を知らないこと。
人の気配を避けること。などです。
そして、そうした動物たちの個性や特徴とあわせて、細かな感情の機微も語られます。

これを読んだ子供たちは(もちろん我々も)あやさんの動物たちへの深い理解と共感を目の当たりにするでしょう。
そして、我々のような言葉を持たないどうぶつたちに対しても、友人や身近な人々と同じように、共感し、想いを至し、ともに生きて行くことができるということを知ります。
そしてそれができることによって、動物たちへの慈しみに満ちた手当てができ、幸せな生活を送ることができるのだとと理解するのです。

登場人物のみくは、まさにこのあやさんの話を読む読者と同じ過程をたどり、ソラに相対することができました。

動物への共感と、物語への共感

上述した動物たちに共感する過程は、我々が物語を読んで共感する過程と一致します。
別な世界・別な人称・別な時制で語られる物語に、我々は共感し、登場人物たちの一挙手一投足にはらはらどきどきします。たとえ全くのフィクションで、我々と全く異なったつくりの宇宙人が銀河の果てで繰り広げる物語であったとしても、注意深く描かれた物語ならば、我々は深く共感し、そしてそこから普遍的な命題を読み取ることができます。
このことは、動物たちという、我々とは身体の作りが異なり、我々のような言語をも持たず、それゆえ感じ方や感情も異なるであろう(そもそも感情という分類が適切でないかもしれない)存在に対して、寄り添い、共感し、理解する過程に一致します。

当書では、動物たちという我々と異なる存在を精密緻密に描くことによって、動物に対しても共感できること、ここまで共感できると、ここまでも感情の繋がりと幸せを感じることができるのだということを、まさに物語という人類の叡智を最大限に活用して、描いているのではないか。と思うのです。

そうして、当書は「人が、動物たちと共に生きることの、尊さ、すばらしさ」を存分に伝えているのだと思われます。

一人でも多くの方が当書を手に取り、動物たちのありかたに深く寄り添うことで、幸せに暮らす動物たちが一匹でも多く、辛く苦しい状況の動物たちが一匹でも救われることを願っております。


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