1期の紫京院ひびきから見たファルルと真中らぁら 『プリパラ』

我々から観える紫京院ひびきの姿は2期からですが、1期の時期の紫京院ひびきのことを考えると、彼女の心情の変化。ファルルやらぁらへの想いの機微の質感に、手が届きそうな気がして、書いてみるものです。

黄木あじみから語られる紫京院ひびきの過去

2期で黄木あじみの口から語られる紫京院ひびきの過去は、次のようなものです。

大きな屋敷に住む紫京院ひびきは、友達と毎日楽しく過ごす日々を送っていた。もちろんプリパラも大好きで、トモチケ交換ごっこにも興じていた。
しかしある日、紫京院ひびきの両親が客船の事故で生死不明となってしまう。両親の財力や権力の後ろ盾を失ったひびきに、親しかった友人や丁寧に仕えていた使用人の態度は一変し、彼女をぞんざいに扱うようになる。
しばらくして、両親の存命が判明。その結果、友人や使用人の手のひらはクルリと返り、再び親しげに接してくるようになる。

この出来事から、紫京院ひびきは友情を全く信じられなくなります。
「この世は嘘とまやかし」を信条に、性別すら偽り、
世界的なムービースターにまで上り詰めていくことになります。

1期の紫京院ひびきがパラ宿のプリパラに観たもの

ここからは妄想です。

紫京院ひびきとファルルの出会い

自分もかつて友人とトモチケ交換ごっこをする程プリパラを愛していた。しかし友情の残酷さを思い知った今、トモチケをシステムの根幹に据えるプリパラに再び思いを寄せることはできない。

友情を信じられなくなり、自らを偽って生きることを選んだ紫京院ひびき。

彼女がたまたま目にしたのは、パラ宿のプリパラに生まれたボーカルドール「ファルル」。
ファルルのライブは、無機的かつ完璧。ひとりで完結し、完成されたライブ。そこにはチームメイトの姿も、ライブ後にトモダチとパキる姿もありません。

これを観た紫京院ひびきは、再びプリパラに期待し、喜んだのではないでしょうか。
友情を忌避している自分が最も美しいと思える完璧なライブを、ファルルは魅せてくれる。
友情なし。チームメイトなし。トモチケ交換なし。
そこには生身の人間の不完全性、それゆえの感情の残酷さや醜さは存在しない。

友情に裏切られてから10年。自らを嘘とまやかしで塗り固め、天才としての地位を確立してきた紫京院ひびき。彼女は、遂に真に安心できる、憧れられる存在を得ることができました。

彼女にとって、ファルルは最高のアイドルであり、安寧の地であり、極楽浄土だったはずです。

ファルルの眠りと変化を目にする紫京院ひびき

そんなファルルを幸せと安寧のうちに垣間見られる時間もそう長くは続きません。
真中らぁらとの出会いと交流、真中のんとの対話を経て、ファルルに感情が芽生えてゆきます。
「トモダチ」「ライバル」という概念を習得し、遂にはらぁらとパキッてしまうのです。

せっかく見つけた完全完璧なアイドル。現実世界がどんなに醜くても不安定でも決してブレることなく、最高の美を観せてくれるファルル。

そんなファルルは、どこの馬の骨ともわからぬ片田舎のアイドル真中らぁらによって、パキられてしまい、永遠の眠りについてしまいます。
友情の象徴「パキる」ことによって眠ってしまったファルル。

ひびきさんはせっかく見つけた理想を、かつて自分に刃を向けた「友情」によって、再び失うこととなってしまいました。
その悲しみ、落胆、残念さは想像に難くないと思います。

ファルルに友情を説き、パキるまでの道程を導いたのは、
他でもない「真中らぁら」です。
彼が憎しみを抱いているかつての友人たち・使用人たち。
その列に「真中らぁら」が加わることになります。

その後、ファルルはらぁらたちの活躍により目覚めます。
しかし「目覚めのファルル」は、九九すら暗唱できず、味覚はトンチンカン。以前の特技であった形態模写もどこかズレてしまいます。
そうしたファルルを観て、紫京院ひびきの怒りはさらに募ることとなります。

友情に裏切られて10年。彼女がやっとみつけた理想の美、安寧の地、ファルル。
それは、再び友情の力によって奪われ、友情の輪の中へと連れ去られてしまいました。
10年前の悲しみと怒りが、形を変えて反復されたといってもよいでしょう。

その思いこそが、2期におけるセレパラ構築とボーカルドールへの欲望へと繋がってゆくのではないでしょうか。

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