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【考察】撞着語法(Oxymoron)とジャック・ジョンソン


先日稚訳した、ジャック・ジョンソンの「Inaudible Melodies」を知る上でどうしても外せない撞着語法(Oxymoron)といわれる表現について、少し解説を交えた上で歌詞の考察をしてみようと思います。

撞着語法とはなにか?

簡単に説明すると真逆の言葉を組み合わせることによる違和感を用いた表現です。

例えば「負けるが勝ち」という言葉。

負けたといった事実だけをみれば、当然「負け」なのですが、その「負け」が相手を消耗させたり、はたまた自分を成長させたりといったことで、結果的に次の大きな勝ちにつながる。といったような複雑な因果を含む言葉を短く表現することができるのです。

それでは、Inaudible MelodiesにおけるOxymoronを見ていきましょう。

1 shortcuts can slow you down

和訳ではざっくり「急がば回れ」としましたが、直訳では、近道はあなたを遅くすることができる。という表現になります。

近道は当然はあなたを当然早く到着させるものですよね。

でも世の中の近道はあなたを遅くすることができるというのです。

例えば、知識は最短距離で事実を知ることよりも、紆余曲折して、実体験からたどり着いた事実のほうが、結果的に頭に残っていきますよね。

この言葉は、なんでも効率化していくことが正義なのだ!という考えに対するアンチテーゼなのかもしれません。


2 Solar powered plastic plants

太陽光で動く人工植物と和訳した部分となります。

プラスチックの植物と直訳してもよかったのですが、撞着語法としてのコントラストを意識してあえて人工植物と和訳しました。

ソーラーパネルは植物における光合成のアナロジーとして用いることができますが、人間(人工物)と自然が不可分になっている様を表現することもできます。

西洋では人間と自然を二元論で捉える傾向にあります。

そこから自然は、人間がコントロールできるものといった発想が生まれまれるのは当然でしょう。

しかし、この複雑な世の中において、一体どこまでが自然で、どこまでが人工といえるのでしょうか?

そしてその二元論的切り分けによって自然は破壊されているのではないか?といったメッセージとして読み取ることもできそうです。

3 Pretty pictures of things we ate

これは「僕らが食べたモノのきれいな写真」と和訳しました。

通常我々は、食べ物のきれいな写真をとる場合、食べ物が提供されたときのきれいな状態を写真に収めます。当然ですよね。

しかし、食べたモノのきれいな写真とは一体なんなのでしょうか?

イメージとしては、完食した後の食器の写真といったところでしょうか。

人間が食べるものとは、換言すれば「いのち」と言えます。

その「いのち」がない写真、すなわち中身のない写真(作品)を揶揄しているのかもしれません。

4 Inaudible melodies

そして、この曲のタイトルこそが撞着語法となっています。

音のしないメロディ。当然そんなものは、存在しません。

メロディを構成している要素が音なのですから。

しかし、無音を奏でると言い換えると、なんとなく音がないことがメロディにもなりうるかもしれないと感じてきます。

物事の陰と陽。影で光を語る日本人なら、無音が奏でるメロディというリリックから、より深い意味を読み取ることができるのではないでしょうか。


おわりに


ということで、ジャック・ジョンソンの用いる撞着語法について、若干考察を交えて綴ってみました。

それにしても、人間て不思議なもので忘れることで覚える生き物だと実感することが多々あります。

とくに英単語なんて、覚えようと努力しても全然覚えられないのに、忘れて再会することを繰り返すと自然と覚えてくんですよね。

人間がどこか矛盾した生き物だからこそ、撞着語法が心に残る表現となりうるのかもしれませんね。


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