誰の影響も受けないなんて世界は。


ずっと憧れてる人がいて、その人に近づきたい、言うなればその人のようになりたいと、長いこと思っていたけれど、今年念願の彼女に会えて、私は凄く嬉しくて、でもそれは何かが違うって、ぽふっと小さく終わる音がした。

それは生きる希望だったし、目標であったし、彼女の存在に感謝でいっぱいなのだけれど、私は彼女ではない。そう、彼女にはなれないのだ。当たり前のことなんだけど。

彼女の写真は好きなのだけど、その向こうにある彼女の生き様がそれ以上に好きだった。まるで素人から始まって、でも人脈と運とセンスでスターダムにのし上がっていく姿は、見ていてとても爽快だった。私はきっと、彼女の中に、必死で自分の可能性を投影しようとしてた。

想像の中の彼女は、お日さまのような温度で、周りにはhappyな事しか転がってなくて、疲れや愚痴なんか言葉すら知らない雰囲気だったけど、現実の彼女は、俗な世界でとても、いい意味で計算が出来て、そして演技上手だった。完全に彼女は、彼女を演じきっていた。笑顔の下には色んなモノを抑えて、それは圧巻でしかなかった。だからそこの高いところに立てているんだこの人は、と。私とはまるで意気込みが違う。

「彼女になれない」ことを知った時から、私の「好き」かもしれない色んなことも、全部思い込みだったのではないかと思えてしまった。ずっと、真似をしていただけだったのだろうか?

もはや期間が長すぎて、自分と現実と妄想の境があやふやなんだけど、今、確かなことは、私には「何もない」こと。

目標も自分色も、目指す場所も、なりたい姿も、撮りたい写真も、全てがそれであって、全てがまた、それでない。昨日は黒がいいと思ったのに、今日はピンクだったりする自分が、病気ではないかとさえ思う。

でも、なんだかほっとした。このまま彼女に会わなければ、私は私でないままこの先を、生き続けていたのだから。

彼女は会うことで私をリセットしてくれた。これはきっと必然だったのだろう。

真っ白とまではいかないグレーな状態で、冬が来たら少し休もう。今までとは違う何かをひっそりと蓄えるために。

人間も植物のように、休むときがなければ、また新しい芽は出せないのかもしれない。

暖かくなる頃には、違った自分を歩き出せているかな?

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