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人間はミカンじゃないけど未完だ。笑

(おもしろい話が書きたいんだけど、精神的にものすごく無気力な状態で何も思いつかないから、いつかこれをおもしろいSFにしたい)

おれは腐ったミカンじゃない、という金八先生の有名なセリフがある。

段ボールに腐ったミカンが一つあると、他のミカンも次々と腐っていく。

これを学校の教室に例えて、クラスに一人落ちこぼれの不良生徒がいると、他の生徒もダメになっていき、やがて学級崩壊すると先生たちが恐れている。これを「腐ったミカンの方程式」と言う。

「人間」と、「ミカン」の違いとは何だろう。「人間には完成がなく、ミカンには完成がある」ということじゃないかな。

ミカンは、樹にオレンジの果実が熟した時に完成、完熟する。熟しすぎたら後はブヨブヨになって腐っていく。

一方で人間はいつか死ぬということに例外はないけど、成熟した大人になったら、それは完成したと言えるのか。後は成長もなく、腐って崩れ落ちていくだけなのか。そうじゃないよねえ。

人間とは死ぬ瞬間に完成するわけでもないし、いつも未然で、未完成なのが人間。いつか来る死の可能性をもっているのが人間だ。

蜜柑ではないけど、「未完」なのが人間。笑

学校とは生徒を果物のミカンにしてしまう場所かもしれない。人間というのに完了はないのに、生徒はこうあるべきだ、おいしいもぎたてのミカンであるべきだ、と生徒は箱の中の売り物の柑橘にされてしまう。

人間は蜜柑ではないし、それでも蜜柑に例えるのなら、腐った蜜柑でもいいじゃないか。

人間と蜜柑はちがうということがわかった。

おれの考える金八先生には「ムーン先生」が登場する。

月光仮面のコスプレをした怪しいオッサンだ(おれが小学生の時に月光仮面の歌をいつも歌ってる先生がいました。笑)。この先生、学校の廊下を二丁拳銃をもって、スクーターで移動する。

三日月は満月になるけど、月が欠けているからといって、月は未完成というわけじゃない。三日月が満月になるにつれて、質量が増大するわけではない。完成した満月の姿を三日月はもっている。

「腐ったミカンの方程式」ならぬ「満月の方程式」というのはどうかと思ったけど、これもイマイチだな。

クラスの先生の言うことを聞く生徒は「満月・フルムーン」。

先生の言うことを聞かなくて、クラスの輪を乱す不良生徒は「三日月」。

この不良生徒もいつか満月にもなれるけど、今はただ三日月であるだけだ。更生して満月になろう。

でも、これはこれで型にはめてしまっている。人間を完成形のある、ミカンや満月にすることはできない。

やっぱり、人間は未然の、未完の、問題だらけの存在ということが他の物とは違う。

いい話を書いてしまった!





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