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J.G.バラード クラッシュ(1973)第二回 ヴォーンの話

さて、今回は「ヴォーン」という男について書きます。この男、危険すぎます。

バラードが衝突事故を起こした直後から彼につきまとうようになった、謎の男ヴォーン。
 
おでこと口の周りの傷跡は、はるかな恐ろしい暴力の名残。たくましい腕の不良っぽい医者として登場します。アタッシュケースにはたくさんの写真が詰まっていて、病院で撮ったエロ写真を売り歩いている、そんな雰囲気漂う、患者をあからさまに敵視するタイプの若い外科医風です。彼は病院に出入りするために白衣を着て医者に化けてるだけですが。
 
「クラッシュ」がとても読みにくい小説なのは、読者はなんにも知らない「ヴォーン」の起こした事故と、彼の死から始まるからです。
 
自動車の衝突と、セックスの関係について、えんえんと比喩を連ねた独特の文体で、しかもそれがすごく暴力的なので、読んでると気分が悪くなってきます。
 
裏表紙のあらすじには、

「バラードは雨上がりの道で車をスリップさせ、正面衝突を起こした結果、事故の相手を死に至らしめた。その事故の直後から、謎の男ヴォーンが彼の周囲に出没する」
と書いてあるから、ものすごく混乱しました。

えっ事故を起こしたのはバラードじゃなくてヴォーンなの??死んだやつがどうして現れるの?意味不明!

読み始めは、バラードとヴォーンは同一人物だと誤解してしまい、しばらくさっぱり意味が分からなかったです。
 
でもある意味、ヴォーンとバラードは同一人物なんだと思います。バラードのモデルは、作者のバラード自身みたいだけど、ヴォーンもそうなんじゃないかなあ。
 
ヴォーンと音信不通になってから、バラードは彼は自分の夢想と強迫観念が生み出した投影物で、それを捨て去ることができるようになったと感じます。
 
ヴォーンが事故を起こした車は、バラードのアパートのガレージから盗んだものなので、警察は当初、死んだのはバラードだと思ったくらいです。
 
バラードの前で、ヴォーンが妻のキャサリンとセックスをしているのに、バラードは二人のセックスの手助けをして、祝福してあげたくなっています。笑 これはガソリンスタンドの洗車機の中で、ローラーと水しぶきで車の中がわからない状況でのできごとですが、洗車一回分の短い時間の情事だと思ったら、バラードが、洗車が終わるたびに、コイン投入口に小銭を入れに行って(笑)、さすがに情けないと思いました。
 
あろうことかヴォーンは情事の後で急に冷めて、怒りと疲労の顔をして、妻キャサリンを殴っています。
 
バラードはついにヴォーンのお抱えの運転手になり、空港で客待ちしている娼婦を買うお金を与えています。ふつう自分が運転する車の後部座席でセックスをされたら、たまらないと思うけど、バラードは自分の運転で、後ろで行われているセックスを操っている感覚を覚えて、喜んでいます。
 
こいつバカじゃないのか、よく我慢してるな!と思ったけど、ヴォーンがバラードの投影物だと思えば、理解できますよね。
 
ヴォーンとは、実はバラード自身なんだ、と考えると、この作品はとてもわかりやすくなると思います。
 
ヴォーンは本当に危険な男です。バラードの秘めた、内なる攻撃性、暴力をぜんぶ体現する存在ってことなのだ。
 
 空港で立ちんぼをしているやる気マンマンの娼婦、外科手術の教科書に出てくるような怪我した女に惹かれ、白衣を着て医者に化けては病院をうろつき回り、警察無線と救急無線を傍受して事故から事故へと飛び回り、女運転手の事故に一番乗りしては写真を撮りまくり、事故現場でカメラを構えて救急隊員にはたき落とされ、野次馬とたたかい、置き去りになった事故車のまだ熱いラジエーターに放尿して湯気を立ちのぼらせ、車体のいたる所に性器を押し付けては上からチョークで輪郭をなぞってたくさんの性器を描いて遊びまわり、盗んだ衝突車で走り出し、暴力的な手淫とセックスに取り憑かれている。
 
自動車の正面衝突によって実現される、テクノロジーとセックスの融合に、美女や有名人が巻き込まれたらどれだけ特別なんだろう。その強迫観念はヴォーンを自傷行為に走らせ、陰鬱として、囚われた獣のように車で暴れまわるようになり、壊れていきます。
 
ヴォーンはエリザベス・テイラーと死ぬことをずっと夢見ていますが、こんな小説に登場することになってえらい迷惑だよね。笑 ガルボ、ディートリッヒ、ラクエル・ウェルチ、モンロー、ブリジット・バルドー、ジェイン・マンスフィールドの名前が出てくるよ。グレタ・ガルボの名前は頻繁に出てくるなあ。衝突事故の実験でギロチンにされたマネキンにガルボって名前を付けてて、ひどいと思った。
 
キンクスのアルバム「この世はすべてショー・ビジネス」の「セルロイドの英雄」の歌詞に「Don’t step on Greta Garbo」とあります。時代的にぴったりだよね。ラクエル・ウェルチは訴えると思うよ。笑
 

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