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【BOOK INFORMATION】「アジアの世紀」に課題山積み

『アジア開発史-政策・市場・技術発展の50年を振り返る(Asia’s Journey  to Prosperity: Policy, Market, and Technology over 50 Years)』
アジア開発銀行(ADB)は、アジア経済の歴史を独自の視点から分析した本書(英語版は無料でダウンロードが可能)を出版した。編集・執筆に深く関わった中尾武彦・前総裁に刊行の狙いを聞いた。
(聞き手:本誌編集委員・竹内幸史)


民間企業と市場が大きな役割

―3年がかりで編集した大著です。編著者としての力点は何ですか。
 経済成長には民間セクターや市場の機能が重要だった、という点だ。私は長い間、アジアの経済的成功についての見方に単純すぎる面を感じてきた。特にアジア域外の学者は、国による介入とガイダンスの役割を強調し過ぎる傾向がある。もちろん、政府も必要な分野で市場を支える積極的役割を果たしたが、各国は国による介入から市場志向に政策を転じてから、より高い成長を遂げた。その発展は、アジアの商業や技術の長い伝統にも根差している。例えば、日本のように私鉄がこれほど発達した国は珍しい。首都圏では2社の地下鉄が戦時体制下で営団地下鉄になり、東京メトロになった。民間が公共交通網の構築に大きな貢献をした。電気もずっと民間企業が供給してきた。製造業ではパナソニックが自転車用ランプから、トヨタが自動織機から始まるなど企業が国民に良い暮らしを提供しようとして発展した。決して国家主義が強く働いたわけでなく、「資本主義のエトス」が近代化と戦後の成長を支えた。
 中国やインドでも20世紀初めに繊維、紙、薬品、鉄鋼、造船などの分野で民族資本の産業が盛んになった。上海などに多くの工場ができ、「宋家の三姉妹」のような歴史に登場する実業が育った。
 戦後アジアの経済的成功については政府の組織、経済体制、法的枠組みなど効果的な政策と強い制度に支えられた。政策の選択では政府のプラグマティズム、自国や他国の成功や失敗の経験から学ぶ能力、改革導入時の決断力にも助けられた。多くの国で、明確な国の将来像を先見力のあるリーダーが提唱した。それを社会の多くの階層が共有し、有能な官僚層が支えたことも成長に寄与した。


女性の教育向上も成長要因

―「ジェンダーと開発」も一章を設け、重視していますね。
 アジアでは女性への教育投資が伸びているが、意外に知られていない。各国の教育年限を見ると、昔は男性の方が長かったが、最近は女性の方が伸びて逆転しつつある。女性の教育に投資するのはリターンを生むということが分かってきたのだ。東南アジア諸国連合(ASEAN)の平均は男性2.7年対女性1.4年から8.9年対9.1年に、日本でも9.3年対8.0年から13.1年対13.7年に逆転した。
 バングラデシュも1960年(当時は独立前の東パキスタン)は1.5年対0.2年だったが、8.1年対8.6年と逆転した。繊維産業で働く女性たちに基礎的な教育が必要となり、底上げが進んだ。私が面会した女性宰相のシェイク・ハシナ首相も女性教育には大変熱心だ。こうした女性の教育向上は、経済成長に好影響を与えている。
 開発途上国では貧困削減が大きく進み、絶対的貧困層は減っている。ただ、経済成長で所得分配が平等となってきたかと思いきや、例えば外国直接投資が入ると、パートナーとなる富裕層が一層強くなる。より教育のある人、資産がある人が儲かる傾向になっている。開発途上国、先進国とも技術発展とグローバル化の中で、富裕層と庶民の格差が拡大しており、もっと再分配機能が必要だ。
 特に中国は相続制もないし、所得税のカバレッジも十分でない。戸籍制度があり、都市と農村の移動は自由ではない。


アジア通貨基金(AMF)も解説

―アジア通貨危機もアジアの視点から分析していますね。
 マクロ経済の中で、1997年のアジア通貨危機と2008年の世界金融危機の分析を入れた。通貨危機では巨額の資金が短期間に流出したが、その後は各国がマクロ政策を強化し、財政規律を高め、中央銀行の独立性を強めた。そうした構造改革で競争環境を整え、金融システム全体のリスクを把握して安定を図る「マクロプルーデンス」を改善した。このため、アジアではその後の世界金融危機の影響は比較的小さかった。
 通貨危機ではマレーシアが為替レートを固定し、批判されたが、悪影響を封じ、国際通貨基金(IMF)の助けを得ずに済んだ。IMFの対応は危機と無関係の自由化、構造改革まで迫ったとアジア諸国では不評だった。結局、ドミニク・ストロス=カーンIMF専務理事(当時)は2010年、通貨危機を振り返り、「私たちは幾つかの間違いを犯したが、危機の経験から教訓を学んだ」と記者会見で述べた。
 一方、日本は通貨危機に際し、「アジア通貨基金(AMF)」の設立を提案した。私は当時、財務省国際局で企画官を務め、当時の榊原英資財務官を助けてコミュニケの準備などをした。IMFのミシェル・カムドシュ専務理事(当時)は「IMFの資金を補完するなら」と理解を示したが、中国は乗ってこず、米国のローレンス・サマーズ財務副長官(当時)は激しく反対した。「IMFの高い規律を緩めてモラルハザードになると困る」というのが反対理由だった。
 結局、AMF構想は実現しなかったが、提唱した効果は出た。「マニラ・フレームワーク(金融安定を促進するアジア地域協力強化の枠組み)」に発展し、外貨の相互供給、マクロのサーベイランスを強化し、これはさらにASEANプラス日中韓による緊急時のスワップ協定「チェンマイイニシアティブ(CMI)」にも発展した。これは2012年、総額2,400億ドルの資金規模に拡充された。また、ASEAN+3マクロ経済調査事務局(AMRO)も2011年、シンガポールに設立され、マクロ経済と国際金融の監視、分析が強化された。


感染症対策の一層の強化を

―今後のアジアの課題は。
 私は「21世紀はアジアの世紀」との言い方に慎重な見方をしている。アジアは世界人口の半分以上を占め、2050年までに世界の GDP の半分以上になっても驚かないが、まだまだ多くの課題がある。貧困、所得格差、ジェンダーギャップ、環境悪化、気候変動などだ。医療や教育、電気、安全な飲料水などの普及も不十分だ。自己満足の余地はない。今回の新型コロナウイルスの感染拡大を教訓に、保健衛生と感染症対策も一層の強化を図るべきだ。
 アジアの経験と技術革新は目覚ましいが、欧米が過去5世紀に発揮してきたような影響力を持つには時間がかかる。アジアは世界の科学技術の発展にさらに貢献し、国際的課題に取り組む責任をさらに果たす必要がある。アジアが世界でより大きな役割を果たすことが、より公平でまとまりがある、より繁栄する国際社会を築くことにつながると期待している。


『アジア開発史: 政策・市場・技術発展の50年を振り返る』
出版社 ‏ : ‎ 勁草書房
アジア開発銀行【著】/澤田 康幸【監訳】
本体¥4,000


・英語電子版(無料ダウンロード可)

・Amazon

・紀伊國屋書店


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本記事は国際開発ジャーナル2020年5月号に掲載されています
(電子版はこちらから)

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