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甲殻類散文

ワタリガニのブルース


アジアの片隅でワタリガニを食べる3人の男
水を飲む、詩について語り合う、その目には疲れが見える
「なぁ、あの星のにおいを嗅ぐことができるか?」
「母親の腹の中で嗅いだにおいに近いのかもしれない」
「だったら…」
「やめよう。こんな話は死の気配がする。」
ワタリガニは解剖されてばらばらになる
関節の隙間から身を吸い上げられる
食べられたワタリガニの母親は海水の中、涙をこぼした
「おれは知ってる…」
「おれだって…」
日が落ちて男たちは片付けもせずに帰った
テーブルの上で食い散らかされたワタリガニの殻ひとつ、メモ書きひとつ、風ひとつ

ロブスターのワルツ


おれは踊り方を知らない
村の暮らしの中では教えられなかった
町に出て、生き延びて、何者かになれた時、踊る必要があった
綺麗な女の靴を見て、膨らんだ胸を見て、その髪の艶やかさに嫉妬すら覚えた
パーティーはグラスに入ったシャンパン
飲み干せば子供の頃に食べたガムの味がした
ふくよかな女が近づいてきて踊りに誘ってきた
おれはそれまでによく周りを見ていたからなんとなく踊り方を覚えた気になっていた
「なぁ、ガラスの明かりだの泡の出る酒だの煌びやかにしているがほんとうは…」
「ほんとうは?」
「夜の風になびかれた草っぱの囁きや、月が意外と丸くないことや、獣臭い老婆の煙草のにおいすら知らないのに本物らしくいるってのは笑えるな」
「そうよ。みんな足りないものを求めて恥をかきながら集めるの」
「さぁ、踊りましょう。最後の列車が行ってしまう前に…」

詩「ロブスターの剥製について」


10日前にやってきた
箱と、緩衝材と、袋と、匂いと共に
ロブスターの剥製がうちにもやってきた
今じゃどこの家にも置いてある
立派だって思われるためのインテリア
頭部の穴から覗くとぼおっとした暗闇が広がっていた
それは深夜の地下鉄を思わせる
ぬるい風の吹く、いやらしい場所
おれは妻に見せてやった
「ついに我が家も他の家と同じく立派な家だ」
「そうかしら」
「そうだよ。みんなそう思ってくれる。」
「縁起物ってこと?」
「違うよ。とにかく立派だと認められるための勲章みたいなものさ」
初めは良かった
だが2日も3日もするとその剥製の空洞からぼおぼおと音がするのだ
時には女の悲鳴も聞こえた
おれたちは耐えられなくなりついに10日目にして
それを車に乗せて海に返すことにした
おれたちは寝不足の頭で黙り込んでいた
妻がラジオのボタンを押した
映画「ひまわり」の劇中歌が流れた
おれはそのことを言おうとしてやめた
車は風を切って海沿いの道を走り続けた
まるで家を捨ててこのままどこかへ行っちまうような気がした

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