2023.10.11 沈黙

もう涼しくなったその路地の行き止まった冷たい風が、それは爽風ではない、袖口に入り込み、僕の身体を冷やして、なんとなく、やはり火照っていたのかもしれない、と思う。

季節が変わる度に、その季節の振る舞い方を忘れている、気がする。

夏が終わって、学校が始まって、どこに行っても人がいて、教室のドアノブは冷たく重く、喧騒が僕を包み込んで、僕はやはりなんとなく笑顔を貼り付けたように笑っていて、もうこんなことはしたくなかった、本当のことだけ喋っていたい、と思った。

金木犀でも咲いていたら、良かった。

秋の草木のあの匂いがすればよかったのに、秋雨のせいで風邪をひいたけれど、あの秋雨の匂いが包み込んでくれればいい、と思ったのに、ずっと、冷たい。

寒い季節の雨がどうにも好きで、煙草を吸う時に、わざと、濡れながら吸ってみたりして、日々なんて自己憐憫の繰り返しだよな、と嘯いて、大きな雨粒が煙草に落ちて、不味くなり、やはり、止める。

あんなに近づいた夏が遠くなっていく、記憶が断片的に浮遊している、時間からも空間からも自由になれないまま、自由になれないのに僕から離れていく、僕は、どうにもできないまま、煙草を吸い、気づけば、この平日もあの週末も全てが、遠ざかっていく。

この秋に暖かい瞬間などないのだろうか、暖かい瞬間がもしあったのなら、暖かくて、寒気がするだろう、クシュ、と、くしゃみをするだろう。

僕はもうこれから何も書けないかもしれない、と思いながら、言葉は何も浮かんでこないから、そうだな、誰かの話をずっと聞いていたい。

それはつまり、これからも生きていくと試みていくことだな、と思い、机の端に置きっぱなしになっていた携帯電話を眺め、ふと、手にとって、誰からも連絡が来ていないことに気づく。
喧騒は僕を襲うほどに、側にいたりするのに、僕が話を聞きたい時、誰からも連絡は来ない、僕からは連絡できない、臆病さのせいで、そうやって誰かに現実の無化を求めているから、どうにもならないんだ、と怖くなるから、そんな考えが間違ってることなんて分かっているのに。

最近食欲がめっきり減って痩せてしまった。痩せた方が健康なぐらいの体型だったけれど、秋のシャツに袖を通した時に、肩周りの肉が減って、シャツが少し大きいように感じて、このまま無くなっていったらいっそ、と思うのに、体は残り続けるし、やがて体重も戻ってしまうだろうし、これもまた生きていくことか、生活は終わらない、と思う。

伸び切った髪を指摘されることが増えたので床屋に行った。鏡の前に座って、眼鏡を外して自分の顔を見た時、どうにもこの時間が苦手なのだ、と気づく。
自分の顔をどうしようもなく眺める、その顔つきは十代の鋭さもなく、ただ生活や責務や社会に疲弊し切って、怒ることを忘れてしまった屈折だらけの青年の顔で、数年経った時に僕はどんな顔付きで景色を眺めているのだろう。
外に出て窓ガラスに映る自分の髪を見たら、やはり似合っていなくて、二十年も生きていて自分に似合う髪型すら分からないのか、と思い、せめて、と、前髪をかきあげて、クリアになった視界に少し驚く。

多くの悩みの帰結なんて、毎日一個ずつ出来ることを虱潰しにやっていくしかない、ということでしかないのに、こんなに悩んでいるのは、僕がどうやっても解決できない問題を、諦められないからなんだよ、諦められないことでしか人は悩まない、昔みたいにすぐにくだらないと吐き捨てたって、どうしようもない現実が迫ってくるんだから、諦めだけは言わないよ、大事なことを虚勢でくだらないと吐き捨てたって、意味がないから、どうにも出来ない、手から滑り落ちていく大事なことたちを抱きしめるのは僕しかいないから。

僕に今出来ることがあるなら、その沈黙を引き受けることだろう。

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