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近況と雑感。

夏休みに入ってからの長い撮影実習を終えた。

それだけは確かな疲労を抱えた、急行の通過を待つ各駅の電車内で、僕は色んなことにうんざりし、苛つきもしていた。

少なくとも今日は雨に濡れて帰って、暫くは何も考えずに暮らそう、それも出来るだけ長く、と考えた。

最寄りの人気のない小さな駅に降りると、屋根がないからすぐに傘をささなくては、と思っていたのだが、雨は止んでおり、僕は、濡れることも叶わないか、と溜め息をついて家に帰った。

そしてその湿った、夏夜の分裂の中で、熱帯夜に、身体を確かめてくれ、と呟き、俺は東京という街を嫌いなまま、そして好きな街もなく慣れた街しかなく、朽ちていくのだ、と気付く。

誰もいないからと歩き煙草をしたが、二箱目の終わりかけのその煙草は、ただ身体に刺激を与えるだけの惰性そのものでしかなく、煙が喉につっかえるだけだった。

なんだこれは?俺はいったいこんなところで何をやっているんだ?と、よく考える。

大体そんなことをよく考える時期というものは、心中が穏やかでない時期であって、それは勿論そうなのだけれど、ただ夏が盛りだから、とか、前期で疲れているから、だとかそういう理由でもなかった。

十代の頃の一つの学びとして、何でも自分のせいにするのは何でも他人のせいにするのと同じくらい愚かなことだ、というのがあるのだけれど、だから僕はやはりこれは俺のせいだけではないだろう、と考えた。

撮影をするとその結果の素材を「ラッシュ」という無編集の繋げただけのものとして見るのだが、それを見ている教室から、腐敗臭がして、実際に、鼻にツンと香った。

ここには馬鹿しかいない、ここに座っていられる時点でまともじゃない、確かな日本語で会話しているやつが一人もいない。教授も、生徒も、腐っているやつらしかいない。

俺はこんなところにいていいのだろうか、俺はこんなところで作家になれるのか、いやこんなところにいては作家どころか、まともな人間として生き続けられないかもしれぬ、俺が俺でなくなる、そしてこの大学にいる限りこの腐った連中に敬意を払って丁寧にコミュニケーションをしてチームでやっていかなくてはならないのだ、それは難しいことだ、とてもやっていられない。

幸い、大学には信頼できる友人が何人かいて、信頼できるスタッフが何人かいる。
しかしそれにしても、それだけでは、この衆愚そのものの教室で、僕はどう生きていけばいいのかわからない。

しかし、高校の頃のように、学校という権利と抑圧に塗れた腐敗した社会を辞めることもせず、コミットすることもしないまま、ただ逃げなかったという実感だけ欲しさに、あるいはただ流されただけのように、通い続けてしまうのだろう。

逃げなかったという実感が僕にとってどんな慰めにもならなかったとしても、高校に比べて大学がどんなに酷い場所であったとしても、辞めるほどの決断力も実行力もない。
学費を垂れ流し、その学費で制作でもすれば余程力になるのに、と思いながら、仕方がない、と大学の批判を言うしかないのかもしれない。

僕の役割は別に、この腐った大学を変えることでも、まともなスタッフでもまともな作家でもないクラスメートを責めることでもないし、そこまで驕り高ぶったわけでもないのだから、自分を守るために、小さな共同体の、僕の世界に、閉じこもるしかない。

そして、たとえ僕が二時間の映画を撮れる環境にあったとしても、僕の実力ではそれは出来ないのだから、やはり学び続けるしかないのだろう。

二年生の前期を終えて、少しは映画監督志望としての自分に実感が湧いてくるようになったし、それはこれからどんどん増えていけばいい、と大学が面白くなってきた頃のことだったのだから、残念ではあるのだけれど。

僕は何も分からない状態から一生懸命現場に食らいついて少しずつ色んなことをわかるようになっただけだ。今でも何も分からない。

でも何も分からないけれど現場にいる限りどんな役職でも現場に責任があるから、また一生懸命現場に食らいつくしかない。

そして分からないことは言い訳にならない、常に答えを出し続けないと、そして間違えたら反省して次に繋げないと、そう思い、特に前期はその繰り返しだった。
どんなでもいいから、後期が終わった時に、今より学びがあればいい、とにかく春には長いドラマを撮ろう、それがなんとかなるように、また頑張らないといけない。

僕がどんなに一生懸命やっても失敗はするし人に嫌われもするし、僕も人間だから周囲に腹が立つこともあるけれど、ただ僕が僕を正しいと言ってあげられるように、自分を保ち続けたい。



そんなことを考えている焦燥と失望の日々の中で、長いこと入院していた祖母が、今日亡くなった。
認知症の祖母がまともに話せたのは何年前だろう。
また、六年前の祖父と同じように、僕が良い子だと信じたまま亡くなってしまった。
こうして僕は罪の意識に苛まれていって、夏の暑さで分裂していく。

僕に僕はいない。僕は僕の側にいてくれない。
だから分裂するけど、分裂したところで1と1ではなく、0.2と0.8だったり、0.4と0.6だったりして、もう耐えられない。

だから人は恋人を作ったりしなくては生きていけないのだろうな、と凡庸に思い、しかし僕はそういった類のことには全く疎いのだから、孤独に生きていくしかない。

もうあの頃のような孤絶ではなく、まさに群衆の中で立ち上がることもできず、群衆の中に沈む孤独そのもの、でしかない。
二十代になると、そこには慰めも憐憫もない。

暫く実家に引きこもって考えることをゆっくり考えて、小説を書いて、もう行かないだろうから、広島の今まで見たことのある景色と見たことのない景色を、せっかく映画を学んでいるのだから、カメラで好きに、撮りにいこう。
それも嫌になったら、カメラで撮らずに、ただ目で見ていよう。

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