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発信する勇気が湧くプロセス

注目を浴びることや、人前でべらべらしゃべることがあまり好きではありません。職業は学校の先生で、ストーリーテリングが好きで、noteで結構記事を書いていて・・・となると、そんな風に見えないかもしれませんが。

こうやってnoteに書くことも、内心ためらいながらやっています。すぐにひっこめたくなる!

なにがそんなに怖いかといえば、人に嫌われるかもしれないこと。何かを発信した結果、「なんかヤな感じ」を与えてしまったり、人を傷つけてしまったり、自分が間違っていたり、批判されたりするかもしれない。

(でも、人前に立つことや発信することは、深いところではやりたいことなんです。矛盾しているようですが。)

では、そんな怖さとどう付き合って発信をつづけているのか。わたしなりのプロセスを書いてみたいと思います。

嫌われるのが怖い。ということは、好かれるために、共感を得るために発信しているのか?という問いが生まれてきます。

答えはノー。

では、なんのためだろう?と考えていくと、だんだんその怖さがやわらいでいきます。

というのも、わたしが人前に立つことを選び、noteなどで発信しているのは、自分の取り組みを見せることで、周りの人に「自分も何かやってみようかな」というきかっけを与えたいからです。

好かれるため、説得するため、洗脳するため(笑)、攻撃するためではありません。

たとえば、「わたしバレットジャーナルというノート術を取り入れています。おかげで仕事も私生活も充実して最高です!」と熱く語っているときでさえ、「みんなをバレットジャーナル色に染めてやる♡」とはあまり思っていません。

もちろん、染まってくれたり、共感してもらえたらうれしいですが、どちらかといえば「わたしも、この人のバレットジャーナル熱くらいの何かを見つけよう」と思ってもらいたいです。その人の領域に返って、何かに勤しんでもらえたらうれしいです。

言い換えれば、その人のその人らしさを引き出せたらOK!

ということは、

「バレットジャーナルなんてクソ!使えない」
「へぇ〜、もっといいノート術があるのに、知らないんだ」
「はいはい、キラキラしてますアピールですか」
「説教くさくてなんか嫌」

こんな反応がかえってきたとしても、その人の考えを引き出したという点では、貢献できたと言えます。

一見わかりにくいけれど、共感であれ、反感であれ、その人らしさが強められています。(そう考えると、すべての表現は尊い!)

嫌われるという形でも役には立てるし、やりたいことにつながれる。ということを思い出せたら、また表に出て行こうという勇気が湧いてきます。

※もちろん、意図して攻撃・挑発するような発信しない前提です。未熟なので数パーセントはいじわるが含まれることもあるかもしれませんが・・・気をつけます!

教育者としては、生徒や親御さんから反発されたり、嫌われたりするリスクがつねにあります。

(ジャッジはこわい。だから、学校の先生にはなりたくなかったんだ〜。)

でも、少なくとも子どもたちが大人になったとき「あの時言われて嫌だったけど、先生が言っていたのはことはこういうことだったのか」と気づいてもらえるかもしれません。

最悪でも、「やっぱり先生は間違っていた。わたしはこう思う。」という形でも貢献できるかもしれません。

そうであることを願って、「目先の人気を取りに行かない覚悟」を決めたいこの頃です。2年目だから、そろそろね!

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