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花束

一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、本当に大切なことをやる暇がないうちに一生が終わってしまう。

1987年「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」によって、日本人初のノーベル生理学・医学賞を受賞された利根川進さんの言葉だ。

推敲するものではないので、手の動くまま書こう。 

弔う、とはどういうことかと、考えたことがある。
あいつの分も生きる、なんてできない。
忘れないようにする、なんてご丁寧に言われなくたって、忘れられない。
私は私なりに、花束を贈る方法を見つけていた。気取った花束でなくていい。胸の中で、向き合って、贈りつづける方法を。

今日、クラス会の前に、お墓に手を合わせてきた。
目に見える花束を、花立てに供えた。
刻まれた名前を目の当たりにして、初めて、本当にいなくなってしまったんだと実感が湧いた。 

ユーモアに溢れていて、底に知性のある、心の優しい人だった。一番仲の良かった男友達の1人。
また会いたいね、と言ったまま、会えなかった。
東京で一人暮らしをしていて、亡くなってからおよそ2ヶ月が経過した状態でご両親が発見した。心不全という死因は、あまりにも彼に似合わない。 

彼が目指していた大学のキャンパスに自分が生徒として足を踏み入れたときは、どうにもできない悔しさや張り裂けるように痛む熱が込み上げてきて、締め付けられて、涙が止まらなかった。
研究で普段使っている実験ネームは、私が当時嫌がっていた、彼のつけてくれたあだ名だ。 

何歳でも、どんな理由でも、かけがえのない命がなくなってしまうことには変わりない。
それにしても、この歳にして。 

部活で共に夢を追いかけた仲間の1人が、バイトの夜勤明けに原付で帰る途中、トラックに巻き込まれて亡くなったとき。慕ってくれていた後輩が、旅行帰りに高速を走っていて、単車事故で亡くなったとき。 
「この歳にして」という声を、このときもたくさん聞いた。

しかし、誰でも、若くても、不規則な生活をしていれば、突然血管が詰まったり心臓が痙攣を起こして死ぬリスクはうんと上がる。毎日大勢の人が交通事故で命を落としている。なにかとんでもないウイルスが知らないうちに誕生しているかもしれない。それに日本は、自然災害という文脈において、世界で最も危険な地理を持つ。
けれど、日常に潜んで転がっていることを、私たちはまるで意識していない。 

一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。研究テーマなんてごまんとある。ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、本当に大切なことをやる暇がないうちに一生が終わってしまう。

長期の計画を立てるのはたしかに大切だけれど、1日先のことなんてわからない。
それは、いつ死んでも悔いのないように、という話ではないのだと思う。
人の気持ちなんて1日もあれば簡単に変わってしまう。消失もするし、形を変えるし、芽生えもする。だから長期の計画も含めて、今の気持ち、今一番楽しいこと、今一番わくわくすること、今一番やりたいことを選択する、ということだと思う。 

会いたい人には、時間を惜しまず、お財布とは極力前向きな会議を開いて、できるだけ早く会おう。
大切な人に伝えたいことは、今伝えよう。
愛の言葉、感謝の笑顔は、いつでも伝わる形で届けよう。 

昨日は、心にないことを口にしたまま、別れてしまってはいないか。
今朝は、些細なことでむくれっ面をして、ろくにいってきますも言わずに玄関を飛び出してはいないか。
はたして大切な人とのいちばん新しい「またね」は、心に温かい花束を贈り置いて別れられただろうか? 

「悔いのないように生きよ」という台詞は、よく考え、よく想像し、そして素直に生きよということだ。 

「あいつの分も生きる」なんてできない。
心の中の「あいつ」の友達でありつづけながら、目の前の人を思いっきり愛おしんで、自分の生を全うしようと思う。
まったく、眩くて瑞々しいよ、いつだって。
花束をありがとう。

2017/08/12 05:14 以前のブログの投稿より

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