月坂架 絃 (Ito Tsukisaka)

フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する学徒たちが、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作…

月坂架 絃 (Ito Tsukisaka)

フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する学徒たちが、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作。今日の日を吹き通る風が、美しい明日を彩りますように。

マガジン

  • 薫風日誌

    つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそものぐるほしけれ。我を知らずして外を知るということわりあるべからず。されば己を知るものを知れる人というべし。ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ夜の貴君を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

  • Blockchain for our tomorrow

    彼等は「歴史は繰り返さない」と言った。「誰もが純粋な愛情と appreciation を手のひらに届けられる時代の到来だ」と。この仮説を証明しようと分散台帳技術を学び始めた、フィドル奏者、化学者、薬学者、物書きを称する学徒が、本郷の小さな喫茶店で綴る編著作。

  • 人体実験

    化学の世界を闊歩してきた ifname_chem の人体実験の記録。

  • フィンカイラの織り布

    読書、映画鑑賞などのメモ。

最近の記事

  • 固定された記事

新元号「令和」の出典を現代語訳してみた

新しい時代が清く美しい光で照らされ、やわらかで爽やかな風に彩られますように。 この日本語、この祈りが、令和の二字を目にしたとき、まっさきに浮かんだことでした。 新元号の発表に感激しています。 それは和歌(とくに古今集)が大好きなツキサカの、大好きな序文の、指折りの大好きな一文の引用だから、というだけでなく、それよりも、今この時代にこの一節が選ばれたことへの感激です。 今までの多くの元号って、「平和に統治する」「大きく事を成す」といった意味合いが大きかったと思うんです。

    • 新種の「生物のような何か」環状RNA “Obelisks” の発見

      新種の「生物のような何か」がヒトのRNAデータから見つかった。ウイルスとウイロイドの中間に位置しそうな存在で、地球全体として微生物叢などにも存在している。 ということで、わくわくさんです。 テンションがぶち上がる所以を、なるべく分かりやすく書き連ねます。 https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2024.01.20.576352v1 【前提】 ・生物の条件 ①内と外界とを分ける膜をもつ ②膜を介して物質のやり取りをし代謝する ③

      • 涙が止まらなくて心も胸も決壊しているのに何しても止まらなくて書き殴ってしまった

        • お母さんが、お父さんが、クラスメイトが、部活の友達が、当たり前にできることを、難なくできる子、こなせる人間に、私もなりたかった。 やさしさがあれば、誠実さがあれば、努力があれば、できる人間になりたかった。 どれだけ憧れて生きてきたことか。1桁の年齢の時から、生きてきた日の数だけ、ずっと。 思いやりがあれば、誠実さがあれば、努力があれば、できるのだと思ってた。私には努力が足りないんだと思った。方法が間違っているかもしれないと思って、たくさん調べて、論文も読み漁って、すべて試し

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        記事

          花びらの海 僕たちの祈り

          ほんとうにだいじなことは、おおっぴらに言ったりしない。 だいじなことには、ふたつの種類がある。 ひとつは、ずうっと思っている、だいじなこと。 もうひとつは、ぽつりぽつりと泡沫のようにわきあがり、しずかに記憶の海にとけていく、だいじなこと。 かくしているわけではないけれど、やたらと打ち明けたりもしない、私を貫く普遍の哲学や、移ろう生を彩るささやかな感動が、道行く日日に咲き乱れている。 その花びらを共有できる人がいてくれることは、かけがえがない。 ほんとうにだいじなことは、わき

          花びらの海 僕たちの祈り

          啓風

          内臓に鉛の錘(おもり)がくくりつけられ、脳ミソの毛細血管に湿った濃霧が巻きついて、その無数の錘と立ちこめる霧が、どこからともなく降りてきた錨(いかり)でぐっとトメられ、ニッチもサッチも動かれへん〜いう時。さいごに頼りになるのは、翼が生えている時にのこした自分の言葉だ。錘を融かし、霧を晴らして、何も錨に括られるものがなくなるよう、仕込んでおいた魔法だ。 もうアカン〜思いながら、何してもアカンのちゃうか〜思いながら、命からがら魔法陣の中に潜り込み、じっと膝をかかえて、きらめく魔

          しあわせは

          しあわせは、大きさを測るものじゃないよ。人と比べるものじゃないよ。 目をつむって、深く呼吸をした時、からだに巡るきらきらとした感覚、じんわりと灯るぬくもり、口角を上げる記憶、わくわくする予感。私にしか感じられないもの。私だけの、とっておきの感覚。 測ろうとしている時、比べようとしている時には、せっかくの感覚を手放してしまっている。うまく立ち行かない気がする今日も、あれこれ考えて憂鬱な今日も、大丈夫。しあわせの魔法は、ちゃんと私の中に宿っている。深く深く呼吸をしても涙しか溢

          女性性とルッキズム 私と貌

          「女を武器にも弱みにもせず生きていく」 と、中学1年、セーラー服を着た時に言ってから、女性性にふれる話題をなるべく避けて通ってきた。 ルッキズムにも、中指を立てて生きてきた。 すきなものを纏うこと、心地よい私でいること、私が私にとって魅力的であることには関心があるけれど、ルッキズムには何も共感できない。 しかし、今の仕事をするようになって、 女性であること・女性として取り扱われることに向き合わざるを得なくなり、また、外から見た姿形に対しても考えさせられることが多くなった。

          女性性とルッキズム 私と貌

          まぶ、発つ。

          日本人女子0のラボに入って3ヶ月後 カフェでランチをオーダーした時 「あれ、日本人女子とリアルで話すの、3ヶ月ぶりでは…?」 と気づいたのが東京生活の始まりだった そんな私に親友ができた はーちゃんはマサチューセッツへ🇺🇸 まーちゃんはジュネーブへ🇨🇭 2人ともけっこうな時差のある土地へとんでいった✈️ さみしいきもちもあるけれど 「はなれてない」ってきもちの方がつよくて 小学校や中学校で 転校してしまう友達を前に大泣きしたこと 思い出して、ふと、いとおしく思った 毎日

          I Can Appreciate Myself More

          わたしのどうしようもないとこぜんぶ分かって仲良くしてくれてる友だち本当生きててくれてありがとう。あなたたちと父母の存在がわたしのお守りだよ。 じぶんのだめなところばかりが過剰に目について、他者の好意に対して感謝以上の申し訳なさを感じて生きてきた、ずっとそうだったけれど。わたしが気にしてることを認識すらしてなかったり、笑い飛ばしてくれる人がいるっていう事実に「向き合って気づく」ことができて。「あの人は優しいから許して仲良くしてくれてるんだ」っていう思考から抜け出せたよ。なんて

          I Can Appreciate Myself More

          まものとようせい

          家族大好きで、地元の友達大好きで、地元大好きで、神戸帰りたいのに、何でこんなに離れとるんや、何で東京におるんやって問う声が何度も心に浮かんできたけど、すべての好きをうず高く積み重ねても敵わないくらいやりたいことがまだあるんだって毎度思う。8年、9年。迷ったことがない。変わらない。 好きなことよりやりたいことを選んで、好きな場所よりやりたいことに手が届く場所を選んで、その繰り返しでここまで来たけれど「だからもう引き返せない」とか「せっかくここまで来たんだから」という気持ちはひ

          まものとようせい

          歳重

          薄く。花びらのように、白雪のように。たくさんのものが積もって、重なりながら繋がって、ちぎれて、埋もれて、養分となって、礎となっていく。 降って来たときに質量のなかったそれが、培って、培われて、ちいさな質量となっている。絡みあって、もう易しくはほどけない部分がある。もう、私を離せない。 歳を重ねるとは、いつのまにか、色をつくり、音をつくり、薫りをつくり、言葉をつくり、感動に鼓動をし、辞書を編んで、眼鏡をかけ、世界をつくることだ。

          おきまどわせる白菊の花

          心あてに折らばや折らむ 初霜のおきまどはせる白菊の花 拙訳: 「朝、手に息を吹きかけながら縁側へ出てみると、庭の白菊の上に初霜が降りている。寒いわけだ。 白い霜と白い菊とが合わさって、どれが花なのやら。摘もうにも、あてずっぽうに折るしかないな、これは」 朝の凛とした寒気(かんき)と白菊の可憐な白、誰も触れていない初霜の真っさらな白を合わせ、清らかな美を詠んだ歌だ。末尾に「白菊の花」を置いたことで徐々に焦点が絞られ、「高潔な白」の接写でクライマックスを迎える。 思うに、花

          おきまどわせる白菊の花

          ぼんやりとよく思うこと

          「明日死んでも後悔しないように生きろ」って言うじゃない。 たしかにそうなんだけど、でも、どのように生きたって何かしら後悔する余地はあって。結局のところその余地の意味を決定するのは、どう生きたかではなく、どう折り合いをつけるかの方だったりするんだよな。 一生懸命生きたから、じゃない、生きてきた道を受容できているか、だ。

          ぼんやりとよく思うこと

          「エヴァが本当に終わったんだ」という事実

          「エヴァが本当に終わったんだ」という事実、信じられないようでもあり、当然のようにも思う。何を言っても平たい言葉になってしまうと思う、それなのにそわそわするから、第3次アニメ革命を牽引した庵野監督に感服しつつ、気がすむまで日本のアニメ史を回顧してみる(書きなぐり的なとりとめのないやつ) 絵画、音楽、演劇、活字本、漫画、写真、実写、アニメ、…人類はいろいろな手法から「伝えたいこと」の共有を試みてきた。明示と、沈黙による余白。リアルと虚構。「物語を伝える」ことにおいて、コミックと

          「エヴァが本当に終わったんだ」という事実

          幾夜の流れ星

          七度目か八度目かの冬を 一緒に過ごしているパジャマさんと 冬を越すことなく 今お別れをする。 カメラを向けてまじまじと見てみると 思っていたよりも 着古している様子なのだと気づく。 いろんな夜を過ごしたんだなぁと ありがとうの気持ちがふくふく込み上がる。 やっぱりさみしいな。 しばらくはうっかり 箪笥を探してしまうんだろうな。 ポニーテールよりもツインテールで 髪を結っていた頃 ふるさとの雑貨屋さんで 母と選んだパジャマさん。 お姉さん