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生きづらさを感じるあなたへ

上手くいかないときって、何か方法はないかと必死で考える。けれど「方法が無いから上手くいかないわけで考えたって無駄だ」ってことが結構あると思う。

「真剣に懇々と悩み続ける」ことができる大人って案外少ない。ここで言う「真剣に懇々と」というのは「答えのない内的問題について1時間休まず考え続ける」というようなこと。
「考えることをやめられなくて生きづらい」と感じている人へ、生物学・医学・心理学を根拠に、メモを共有するためのノートです。

「つらい」に向き合うことこそが、つらい。逃げずに誤魔化さずに向き合うことこそが本当につらいのだ。
少し擦りむいただけで泣きじゃくっていた小学生も、大人になった今はもうそれをしないように、一般の場合、私たちは中学生くらいから「つらい」を誤魔化す技を自然に得るものである(と学問により証明されている。以下同様)

また、人は「1時間本当に真剣に悩み込むと、1日分の心のエネルギーを使い果たす」。だから、真剣に懇々と悩み続けるだなんてコスパの悪いことをしてしまえる人間が、他人より疲れやすいのは当たり前。

試験問題を解くときに「5分考えても分からない問題はとりあえず捨てろ」と言われたことがあったと思う。あれは結構真理だ。

内的問題は、往々にして、未来か他人を含む問題なのだ。未来と他人のことなんて考えたって分かるわけがない。分かるわけがないのに、悩む。答えが無いものについて考え続けたら、そりゃあもう、沼地にはまるに決まっている。

とはいえ、真剣に懇々と考え続けられてしまう人にとって「考えるな」というのは、もっと難しい。
もしもそこに、何でも言語化をする癖がついていると、もっと厄介だ。言語化はときに愛であり、ユーモアであり、祈りであり、喜びであるけれど、それらも含め、呪いだ。頭の中を、いつもいつも、何かの言葉が占有していて、消えてもまた新しい言葉が出てくる。「頭を空っぽにする」ことが滅多にできない。
(もしもそこにさらに、音楽を聴くと胸がいっぱいになって恍惚となるような過敏な感受性や、音符が浮かんでくる絶対音感を携えている場合、音楽で言語化の蓋をすることも事実上不可能である。それをやったところで頭を占めるものが、言葉から音楽に替わるだけだ)

従って、このような「考え続けアダルト」は「脳の空白状態」を意識的に作り出さないと、確実に生き疲れる。自然に触れること、身体を動かすこと、1つに集中して頭を動かすこと、というように、複数のジャンルでそれぞれ脳を空っぽにする方法を持っておくと良い。脳を全く空っぽにして、そこに透明な風を吹きこんだり、単一の情報で埋め尽くしたり。「5分悩んだら空っぽにし直す」という癖をつけるとよい。

感じなくてもいいことを感じてしまう、というような場合も同じ。私が悲しまなくてもいいことでひどく悲しむ、周りの誰もが笑って忘れていることを私はいつまでも思い出してその度に涙を流す、といったような。「考え続けアダルト」は、神経が肌の表面に露出してしまっているような敏感なオトナでもあることが、結構ある。

「考え続けアダルト」にとって脳を全く空白の状態にすることは「なんとなく」で出来ることではない。技術だ。だから、練習をせねばならない。どうすればよいのか。

心理学的にも医学的にも、気分の転換は「行動」の転換に伴うことが多い。じっとしていてはいけない。まずはお家の周りをぶらんとして公園に行ってみたり、本屋さんに行ってみたり、カフェやコンビニに行ってみるだけでもいい。動き出すまでがたいへんだけれど、ほんとうにこれが効く。

もうひとつ重要なこととして「悩みの多くは答えがない。だから考えたって無駄だ」というのを自覚することだ。難しいけれど。この自覚は決して、人生や自己の放棄ではない。事実だ。(統計的には「考え足りない」という人の方が多いので、考え続けアダルト以外にはこんなこと言ったらだめだけれど、あなたたちは特別に「考え充ちている」人々である)

ちなみに私は、今、いつもに輪をかけて考えてしまう時期を迎えていて、朝がべらぼうに弱いのにもかかわらず、起きた瞬間の最強に鈍い頭でいろいろ考え出してしまう。それがつらくてつらくて、そこを何とか10分以内に抜け出してお外にお散歩に行って整体する、というのを始めている。予想していたよりずっと最高なので続けられたらいいなと思っているのだけれど、季節は寒くなってゆくばかり。寒がりの私に続けられるのだろうか。。。

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