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暮れのはじまりの坂

懐かしい、というのは違う。
日常の中にいるようなのに、もう日常ではない、不思議な気持ち。

通り慣れたはずの坂を歩いている。これから秋と夕が暮れていく、暮れのはじまりの坂。
通り慣れた「はず」というのは、千と五百回は通っているはずのその坂が、まるで初めて訪れたかのように私を初々しく敏感にして、その敏感な場所に切ない幸福と爽やかな恍惚を無遠慮に持ち掛けてくるからだ。いつも。

確かに日常なのに確かに日常でない橙色の景色を、ここを流れるうちでとびきり大好きな季節の風が走っていく。

二年前とも六年前とも変わらない踏切の音を聞きながら、二年前とも六年前とも変わらないのにすっかり変わってしまった私が立っている。

明日を迎える度に私は生まれ変わっている。どんな生き方をしたってそうだった。この踏切の音を知らなかった日も、初めて耳にした日も、今も。変わりたいと願わなくても必ず生まれ変わってしまう時間を、生まれ変わりたいと願いながら生きつづけることはたやすくない。生まれ変わることを自覚していなかったり、変わることを止めてしまいたかった夜だってたくさんあった。

けれど、願う。変化を祝福して変わらない踏切の音にありがとうと言えるよう、時間を削って命を剥がしていけますように。生きている限り、変わらないのにすっかり変わってしまった私を幸せと呼び、止まらない変化を希望と呼べますように。

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