歴史は繰り返さない

今度の帝国主義の再来の先に、歴史は繰り返さない。なぜなら国家という概念が変貌するから。既存のコミュニティーに破壊的な解消を施さずとも、新たにできた水路によって国家の形態が変わり、コミュニティーの形が一新してゆく未来がある。その水路をこじ開けるコアは分散台帳技術だ。

これが、私がサトシ・ナカモト氏の発明に触れたときに感じたことである。どんな世界がくるのかと考えをめぐらせていると、その晩は眠れなかった。この未来は間違いなくやってくる。そして、これまでのイノベーションがいつも、我々が考えるよりずっと速く大きく世界を変えてきたように、分散型社会の到来もまた、耳を澄ませばもう足音が聞こえるほど、案外近くにあるにちがいない。その確信が、疾走る脳と逸る胸とを止めてくれなかった。

帝国主義の再来の先にあるもの

現代を「帝国主義の再来」と論ずることがある。

直近の例について話そう。18 世紀、第一次産業革命、即ち、およそ 100 年にもわたるイギリス一強時代は、イギリスが戦争に負け出した途端、近隣諸国が好き勝手暴れだし、紛争が相次いで、終わっていった。「独裁者の力が弱まっている。今なら勝てる。俺が領土を拡大し、世界の大国となろうじゃないか」これが帝国主義だ。やがて、支配する国家と支配される植民地国家、支配する者と支配される奴隷といった格差が最大限まで開き、それ以上どうしようもなくなるときがくる。硬直状態だ。それでも、人間というのは欲深いもので、もっともっと欲する。そうして起こったのが第一次世界大戦だ。硬直状態が生み出した緊張状態がついに限界を迎え、はちきれんばかりの不満や欲が軍を成し、力ずくで力関係を一新させた。二度に渡る世界大戦による、戦勝国と敗戦国の誕生である。

こうして「世界の工場」イギリスに代わって「世界の警察」アメリカの一強時代が訪れた。独裁政治のもとでは争いが起こりにくいため、イギリス一強時代と同様に、様々な新技術生まれた。軽工業から重工業へ。19 世紀、第二次産業革命だ。 その波はそのまま、20 世紀のデジタル革命へとつながる。
ところが、1975 年、10 年にわたってつづいたベトナム戦争でアメリカが負けた。それから現在に至るまでは、語るまでもないであろう。イラク戦争でもアメリカは多額な資金を費やして大失敗に終わった。各地で紛争が起こり、北朝鮮は好き勝手し、中国は手当たり次第領土を主張し、IS が旗を立て、イギリスは EU を脱退。帝国主義の再来である。

今まで、人間の歴史は繰り返されてきた。時代が変わっても人間は変わらない。歴史は繰り返す。それならば、この不穏な緊張状態の中、遠くない未来にまた大きな戦争が起こるのか。

この問いについて、私は NO だと答えよう。そう信じている。なぜなら、これから、分散台帳技術を中心にした技術革命によって、国家という概念が変貌するからだ。国家だけではない、ミクロにもマクロにも、世界中のありとあらゆる組織の在り方が変わる。

発散すべきものと収束すべきもの

話が変わるが、世の中には、発散すべきものと収束すべきものとがあるように思う。後者として卑近な例を挙げるとすると、キュレーションメディアやまとめサイトが役割を果たすようになった「情報の収束」が挙げられよう。多くの生まれたものは、まず発散し、それが収束して最適な形をとってゆくと考えたとき、通貨というのはまだ発散すべき段階にある。

熱力学第二法則を表す式として、
 dG = dH − T dS ≤ 0
というものがある。(T,p 一定、G:Gibbs エネルギー、H:エンタルピー、S:エントロピー、d:変化量、T:温度、p:圧力)

これを非常に平易に言い換えると「我々が住む世界の一般的な観測条件において、世界が自然と進む方向は、エネルギーを放出するような方向、つまり、必死にエネルギーを使わなくとも良い、楽な方向である。そしてエネルギーを放出する方向は、発熱する(dH < 0)項と、乱雑さを増す(dS > 0)項とに分解できる」という意味だ。

つまり、この世界は自発的に、乱雑さを増す方向に進んでゆく。 私が思うところによると、多くの生まれたものは、まず発散する。そして、発散しすぎて摩擦や発熱が大きくなるあまり、エンタルピー H の蓄熱的な不安定化効果がエントロピー S の安定化効果を上回ったとき、乱雑さが収束してゆく。(タンパク質のフォールディングと同様である)インターネットによって発散し乱雑になりすぎた情報をキュレーションメディアが収束させたように、成熟の段階に応じて最適な形をとってゆく。
とすると、通貨というのはまだ発散すべき段階にある。

国家の構成要素を、人・土地・通貨であるとしよう。すると、インターネットの誕生によって「土地」と「人」の 2 要素が解き放たれ、特定の場所に縛られなくなった今、最後に残っているピースが「通貨」だ。 つまり、現在の状況は 3 要素のエントロピーが不釣り合いで気持ち悪い状態なのだが、通貨の束縛はインターネットだけでは解決できなかった。

しかし、縛られ閉じこめられた通貨のエントロピーが、今、殻を破ろうとしている。分散台帳技術をベースとする暗号通貨が、それを可能にしたのだ。従って今後、国家そのもののエントロピーが増大するのは、自然な流れであるはずだ。

個人の自由の論理的な根拠を説いたジョン・スチュアート・ミルの著書『自由論』には、興味深い余白がある。 彼は、自分固有の幸福を万人が自由に追求し、且つそれを享受している状態を「最大幸福状態」と呼んでいる。そして、自由と権力の問題が、国民と政府との問題から、国民内部における多数勢力と少数勢力の問題へと拡張していることを指摘して「多数者の暴虐」と名付けた(さらに「危害の原理」として、個人の行為は、他人に明らかな危害を及ぼすものでない限り、抑制されることなく容認されるべきだ、としている) 。しかし、政府の権力の過大な増加に対して警鐘を鳴らす一方で、ミルは政府の正当性を否定していない。それでは、個人の自由と国家支配の必要性との適切な関係は、どのようなバランスによって達成され得るのだろう。ミルはこれを「未来の問題」であるとして、我々に託している。

人間は誰しも、なんらかのコミュニティーの中で生きている。そのうち最も巨大で、潜在意識性が高いのが、国家と宗教。そのうち特に国家は、後天的にはほぼ選択不可能だ(選択の不可能性でいうと、他は血縁関係だろうか)。

通貨という最後の 1 ピースの解放により、この「国家」という概念が変化する可能性は、歴史的に非常に興味深い。中に入って泥まみれになり、体感してみたくはならないか。

イノベーションを語るとき、GO or STOP の議論は無意味である。なぜなら、すべての答えは GO だからだ。

暗号通貨はいずれ滅びるのでないかと論じる声もある。しかし上述の通り、その議論は無意味だ。その時間を我々は、イノベーションをどう育て、どう使っていくかという議論に割くべきだ。事実、まだ世界に一つだけだが、ビットコインが金融の分野で次の世界を見せてくれている。種は蒔かれた。従って、これからあらゆる分野で同じことが起こる。

ミルは「最大幸福状態」と統治の関係性についてこう述べている。 「一切の統治は、最大幸福状態を実現するように方向づけられていなければならない。一切の統治は、最大幸福状態が達成できるような基本条件を整備する役割を担うものである。従って統治は、必然的に自由主義体制とならざるを得ない」と。

分散台帳では、明らかに、ルールをプログラムによって記述している。 例えばビットコインを「株式の移転を業とする組織」とすると、ビットコインのユーザーを株主、ビットコインを株式、ブロックチェーンを維持するマイナーを従業員とみなすことができる。この時ビットコインのプロトコルは、新しいブロックを発見したものに報酬を与えるという経営をしているとみなせるので「経営を記述した」と捉えることができる。(参考文献 1 )

また、現状から少し飛躍した話ではあるが、エストニアには CaaS(Country as a Service)という概念がある。インターネットで選挙の投票もでき、この仕組みを他の国でも使えるようにしようという構想もあるようだ。これを分散型システムと組み合わせると、地理的な制約に依存しない「エストニア国民」が出来上がるかもしれない。領土としてのエストニアではなく、エストニアという土地は謂わば会社でいう本社のようなイメージで「エストニアというサービスを使う人がエストニア人」というような概念だって技術的には不可能ではない。このとき、サービスのルールはプログラムにより記述され、分散して存在しているので、政権や主要な拠点が暴走したり力を失っても「エストニア国」に大きな影響はないであろう。

つまり、分散型台帳はあらゆる組織の「統治」を記述するものである。そしてその記述は、組織の運営における基本条件の整備である。分散システムの上では必然的に、それは自由主義体制的な記述にならざるを得ない。即ち「最大幸福状態」の記述である。従って、分散型社会は、ミルが我々に託した「未来の問題」をついに解決するだろう。

武力を用いて力ずくで緊張状態を破壊せずとも、国家という枠組みそのものが変化するだろうと述べた。そして国家というのは、最も強固なコミュニティーのひとつだと。けれど国家だけではない。同時に様々なコミュニティーの形が変わってゆくはずだ。 通貨の流動性が劇的に増大したとき、世界は変わる。 つまり、ミクロにもマクロにも、世界は、社会は、分散化されてゆく。

参考文献
1. http://member.wide.ad.jp/tr/wide-tr-ideon-dlt2017-00.pdf

この記事は、15 年 5 月の喫茶店談話でのメモを 17 年 8 月の談話にて編集したものに、再度すこしばかり手を加えた文章である。

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