日本もしも話〜未来の流行ファッション?〜

子どもの頃に不思議に思っていた事が、大人になってから解ってくる事がある。現在の世界的な状況が、その頃の疑問の答えになる気がしている。


 有名なSF漫画などでは、未来の人々は、みんな同じ様なタイトでシンプルな服装だったり、浮いてこそいるが、今より明らかにカッコ悪い没個性な車だったりを利用していたりする。

 実際は、作者の創作であるのだけれど、子ども心に、何で未来の人々はこんな服装や車で生活してるんだろう?と、不思議に感じた記憶がある。

 ファッション雑誌では毎年、むしろ、季節が巡る度に、流行のファッションが取り上げられている。

 車であっても、SUVが流行ったり、家族が多い家庭はワンボックスが便利などと、話題になったりする。

 それなのに、何故、未来を描くと、服装や車の多様性が失われた描写になるのか?ずっと疑問だった。

 しかし、そんな未来も、昨今のコロナ禍の状況などから、何だか実際にやって来そうな気配を感じいる。的外れな描写じゃないのでは?と。


新しい日常は、物事の本質を気付かせるキッカケなのか?或は、ただの辛い日々なのか?


 2020年、中国の武漢に端を発し、世界的に新型コロナウイルスが猛威を奮い始めた。ウイルスの主な感染経路として、飛沫感染が挙げられることから、感染対策として人々の接触を減らす手段が多くの場所で取られている。また、日常的なマスクの着用も、もはや義務的な意味合いを伴いながら強く浸透した。

 日本では緊急事態宣言が発令され、外出自粛を強いられる様になった。世界各国では、日本より厳しい状況もあり、都市封鎖の様な強力な規制がなされている場合もある。

 世界中が長らくこれまでの日常から離れて生活している。むしろコレが新しい日常。ニューノーマルなんて言葉も聞かれる。

 外出自粛や外出禁止が続けば、人に会うために出歩くことも無くなる。人々の接触を減らすための対策として、ビジネスの場においてもリモートワークなどの非接触型の環境整備が進んだ。(日本の状況が進んだと言えるかは甚だ疑問だが)

 その様な状況では、外に出るためにオシャレをする頻度は減り、マスクで覆い隠した顔に対して、時間のかかるメイクを施すことの価値は、かなり落ちてきた気がする。

 そして、ビジネスであれ、私的な旅行であれ、非接触のためにリモート化し、移動が自粛され、車は、本当に物理的な人の移動が必要な時のみ利用することとなってきた。

 やがて人々は気がつく事になる。今までの習慣は、過去となった日常が前提の上に成り立っていて、それが今現在の状況の上では成立し難いことを。むしろ、現在の状況が、本質を気が付かせてくれるキッカケであっただけで、十数年前から通勤、通学、顔を合わせての会議などは、不要だったのかもしれない。

 「洋服」は、これまでの目的を大きく見直し、誰かに見られ批評される対象である「ファッション」から、肌を守り、外気温に合わせて適応し、外出時を快適に過ごすための機能を持つ「モノ」として位置付けが変化する。

 「車」は、運転する喜びや、所有する高揚感なども含めた「ステータス」から、目的地に快適に、安全に、そして時間通りに移動する「手段」としての位置付けが、より顕在化する。

 そのように考えると、未来の人々は、先に述べた様なキッカケにより、より一層その本質に目を向け、目的を達成するための「モノ」又は「手段」として位置付けたが故、服装も車も「シンプル」な「モノ」へと進化を遂げたのではないか。

 子どもの頃に読んだ漫画にあった未来は、実は今現在起きている世界的状況の延長線上にあるのかもしれない。

 そんな風に感じた「日本もしも話」でした。

※記載している新型コロナウイルス等の情報は鵜呑みせず、一次情報に基づき自己責任でご判断ください。責任は負いません。

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