ゼロ年代の遺児:再び

※この記事は去年書いた「ゼロ年代の遺児」という記事の精神的続編、あるいはリブートである。
 まあ要するに人並みの文章を書けるようになった気でいるので改めて自分のコアな部分を曝け出そうという友達の居ない奴特有の自分語りの語り直しだ。
↓ちなみにその記事がこちら

 まず、ゼロ年代の遺児とは声優の杉田智和さんが「2000年代の亡霊」と自称し、それに倣って僕ことらくやを定義した言葉である。
 主な活動はKindle Unlimitedで狼と香辛料が読めることに大喜びして一気読みしたり、川田まみさんの曲を聴いてニヤニヤすること。また、時折15年前のネットラジオのネタを壊れたラジカセの如く繰り返す。要するにゼロ年代に心を囚われたもの、過去に縛られたバケモノである。

 何故亡霊ではなく遺児かと言うと、ゼロ年代後半にオタクコンテンツにハマり、さてこれからという時にゼロ年代が終わってしまったからだ。ここで言うゼロ年代は作風としてのゼロ年代っぽさという意味で、セカイ系に代表されるボーイミーツガールや終末っぽい雰囲気が漂っていたり、おおまかに現代伝奇あるいは現代異能モノと括られるような作品のことを指す。
 勿論、そんなの2010年以降もあるだろ! と言いたい気持ちも分かる。とりあえず落ち着いて欲しい、そしてゼロ年代の作品を各々よく思い出して欲しい。言語化は出来ないけれど、それ以降とは「何か違う」と感じないだろうか?
 断っておくが、ゼロ年代以外を批判するつもりはない。それにただノスタルジーという名の病に冒されているだけの可能性だってある。実際にゼロ年代にオタクをエンジョイした人から見れば的外れかもしれない。でも僕は顔も知らぬ母の面影を追い求める光源氏のように、あの頃感じたゼロ年代の魅力に取り憑かれている。だからこそ亡霊ではなく遺児と名乗るのだ。

 僕の場合はアニメやマンガがそうだったけれど、世間には音楽や文芸、絵画など他ジャンルにもゼロ年代の遺児も居ると思っている。そして僕がついついFGOに文句を言いそうになるように、他ジャンルでもそういう発作に苦しんでいる人達が居るだろう。
 そんな時は源氏に思い出して欲しい。彼は逢引した女性が御簾を上げた時に母と似ていなくても邪険にはしないし、逆に母の面影があれば幼い子だろうと…これ以上はやめておこう。
 とにかく、色んなコンテンツに触れていれば思ってたのと違うなんてことは日常茶飯時だし、新進気鋭のクリエイターから少しでも自分と同じようなニオイがしたなら全力で応援すべきだと思う。あるいは僕のようにサブスクを活用し「あの頃」を全力で楽しむのもいい。
 過去の物に思いを馳せることも、光源氏と同じだと思えば少しは気が楽になるはずだ。
 あと、多分光源氏にとって2000年も2023年も大して変わらないだろうし。


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