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【7/25】かがやけみらい――Dannie May自主企画『Welcone Home!』ゲスト小林私、感想【@渋谷O-nest】

インディーズミュージシャンを応援していると、必ずと言っていい程ファンの多くが「売れてほしい、でも売れてほしくない」というような葛藤に駆られている場面に遭遇する。いわゆる「安易な売れ線になってほしくない、でも彼等の音楽は広く認められてほしい」というような批評的な目線もあるかと思うし、「まだ知られてほしくない(=遠い存在になってほしくない)、でも彼等の生活は保障されてほしい」というようなある種何様感ある(でも気持ちはわかる)身勝手なファン心理もあるかと思う。オタクやってる限り逃れられない罠のような思考回路ではあるが、我々がどう思おうが思わなかろうが良い作品は評価されるしそのうち売れるし、本人達が売れる気満々なら応援して差し上げるのが当然のことだろうと僕は思う。御託を並べてゴタゴタ思い悩む方が、烏滸がましいのだ。

 

エントランスで「どちらの出演者がお目当てですか?」とお姉さんに聞かれた際、前に並んでいたお嬢さん約2名が立て続けに小林私だったもので思わず張り合って「Dannie Mayです!」と元気に答えてしまったが、出来ることならどっちもじゃ駄目ですか……とおずおず聞いてみたいぐらいだった。この日の対バンは筆者にとってはそれぐらい思い入れの強い2組の共演で、今夜は万難を排してでも行かなければならない後世に残る伝説の夜になるだろうだなんて、軽口だって叩きたくもなる。

細い螺旋階段をおっかなびっくり(ここに来るといつもそうである)降りてフロアへ向かうと、観客の多さに少し面食らった。それはこのご時世だから、というのもあるかもしれないが、たったの数か月前の事である前回の自主企画の際と比べて、目視で1.5倍ぐらい観客が増えているような気がしたからだ。それだけこの数ヶ月にDannie Mayが重ねてきたリリースは確実に彼等に関心を持つひとを増やしていたという事になるだろうし、そして対バン相手もまた然りという事なのだろう。

 

件の小林私は、しかし以前自身のnoteでこんな事を書いていた。

「正直な話、小林私はどうせ売れる。一発屋になるか長生きするかは知らないが、少なくとも日本中が俺を知る。」

内容に反して、何処か投げやりな物言いだ。無根拠な自信と誰もが頷く実力と、そして不思議な達観の入り混じる眼差し。最近はテレビ露出や映画主題歌、CMソングの提供なども増えてきて(本人はテレビも持ってないというのに!)スター街道まっしぐらという感じだが、売れてしまえば制約も増えるだろうし、奔放な彼のキャラクター的にも素直に諸手を挙げて「売れてくれ」とは言いにくいのが個人的な感想だ。しかし彼には、知ってしまったからには自分以外の誰かにも知ってほしくなってしまう不思議な魅力がある。


 ワンマンでのパフォーマンスや複数バンドが出演するイベントの経験の方が多い小林は、この日なんだかバツが悪そうな趣きでざわつく観客の前にやにわに登場し、挨拶もそこそこにギターを担いで歌い始めた。バキバキのバンドセットのDannie Mayに対して彼はどんなアプローチを仕掛けてくるのかと楽しみにしていたのだが、まるでインストアライブかオープニングアクトのような“いつもの小林”感に呆気に取られてしまう。しかも今回のセットリストは先日発表された映画主題歌にもなっているシングルリード曲はなし、少し前にリリースされたアコースティックアルバムからの披露が多く、メロウな曲が多いためか一見すると慎ましやかにも思えたが、その歌声は確実にDannie Mayを目当てに来たファンさえも魅了したに違いないと断言出来る。

 夏の小林はトレードマークの綺麗な長髪が少し短くなり、赤いアロハシャツにダボッとしたジーンズ、サンダル履きでまるで“酒場の流し”という風体が強くなっており、言わば裸一貫、アコギ1本での勝負のスタイルとの親和性が非常に高かった。「ツーマン久しぶりすぎてライブの仕方忘れちゃったんですよね」などと嘯きながら合間にスマホで何度もセトリを確認したりどさくさに紛れて自撮りしたりするマイペースさを見せながらも、彼の歌声はブレスひとつ、単語ひとつでフロアの空気を一変させる。特に、件のアコースティックアルバム『包装』収録の女性詞のバラード曲『飛日』から、今年2月のバンドセットワンマンでの“グランジ歌謡”とでも言うべき迫力の演奏も記憶に新しい『恵日』への流れは圧巻だった。Dannie Mayの最近の殺傷能力の高いリリースを意識しているのかはたまたしていないのか、この日の小林はまるで聴き手の胸の奥の奥に仕舞い込んだやわい感情に抉り込むかのような歌声を響かせ、まるでYouTubeに怒涛のようにアップされているあの弾き語り音源達をそのまま目の前で再現されているかのような、浮世離れした生々しさをいつも以上に強く感じられた。

掠れたようなトップボイス、情念の塊のようなこぶしの効いたロー、メランコリーを凝縮したような歌を歌っていながらもその表情は晴れやかですらあり、真っ赤な照明の中で赤いアロハと白い横顔が映える。伸びた前髪が歌う度にブレスではためき、前日に足の小指を負傷していたとは思えない程に楽しげにステップすら踏んでみせる。


アコースティックの小林私を観ると、やはり彼の本質はギター1本の弾き語りにあるのではないかと思う。歌とメロディしかないからか、普段は作り込まれたトラックとあの独特なハスキーボイスによって撹乱されていると言っても差し支えないメロディメイクの上手さがよくわかるのだ。それは彼がカバー楽曲でも遺憾なく発揮し続けてきたアコースティックでの抜群のアレンジセンスに寄るところも大きいのかもしれないが、既存の楽曲にアドリブでどんなに大胆なアレンジを加えても全く違う曲のようにハマって聴こえるのだ。その理由はやっぱり、元々の曲の歌メロディが何よりもよく出来ているという事に尽きるのではないかと思う。

その証拠に、最後の1曲として披露された『生活』なんかはほぼ全く違う曲になってしまっていたのに、原曲のあの夜行バスで過ごす夜半のような特有のもの寂しさが、より凝縮されたものとして再現されていて凄まじかった。同業者とのコラボが元々盛んな彼だが、これだけ確固たるメロディメイクのスタイルが確立されているのだから、そりゃ楽曲提供などにおいても引く手あまただろうと思う。


しかし、一方であの“言葉と声”だけは小林私以外の何者のものでもないとも思う。やはり彼のあの歌声と歌詞で綴られる言葉は、あくまでも“小林私”という作品を構成する一部なのだろう。彼は“小林私”としての生活、自分自身の人生をやるために音楽をやっている。そういった点ではほぼ丸腰、片手で足りる武器で闘うアコースティック演奏というのは彼を象徴しているように思える。


つい最近まで「現役美大生シンガー」などと俗っぽいキャッチフレーズをつけられていた程、アートワークなども自ら手がける才能溢れる彼には、自己表現=自己実現の方法は決して歌という手段ひとつしかないわけではない。なんなら彼の人生が歌なしにでも充実してしまえば、我々は彼の人生に自己表現を期待する権利すらないのだ。

しかし、そんな中から彼は音楽という普遍的な素材を選んでくれた。そのことによって、我々は恒久的な“小林私”を想像する事が出来、勝手に彼の今後に期待する事も出来る。それはとても喜ばしい事だ。


「Dannie MayがTwitterを誰もフォローしてくれてなかった」とせっかくの共演者に笑顔で毒づいたり、「今回は物販の準備が間に合わなかった、以前は物販ない時ビニールシート切って1枚10円で売ったりしてた」なんてパンクな話をとりとめもなく繰り広げていたかと思いきや、信じられないぐらい長いお辞儀をしてから暗くなった舞台を後にする小林。シールドを肩にかけて担ぎながら、尚熱い視線を向ける観客に「見せもんじゃねえぞ!!!」と噛み付いて去って行くその後ろ姿は、彼の思惑通りかはたまた余計なお世話か、今よりももっと沢山の同胞にその歌声ごと愛されうるチャームを湛えているように見えた。

 

 Dannie Mayのリーダー/ギターボーカルのマサは、バンドとして初めてとなったWEB媒体でのインタビュー内で、「まずは渋谷WWWでのワンマンライブ」が目標だと語った。少しずつ会場のスケールを広げ、「日本武道館でワンマンライブを目指します」とバンドマンらしい野望を掲げる彼に並び、DJとMV監督を務めるYunoは「僕達の音楽を聴いて、自分の人生に落とし込んで、どう生きていくか、を考えてもらえたりしたら最高です」と、ミュージシャンとしての自分達への期待を彼らしい聡明な言葉で綴る。対して、ボーカル/キーボードのタリラは「シンプルに音楽で食っていくことです」と、言葉少なながらも力強く、地に足のついた目標を語っていた。

バンドを組む前からそれぞれで音楽をやってきたというのもあるのか、三者三様ながら、Dannie Mayには「音楽をやって生きていく」という屋台骨の揺るぎなさが既にあったように思える。そんな人生を賭けた信念が表れているのか、近年の彼等のリリースから感じ取れるのは、曲毎に洗練されていく音楽性とはうらはらな、泥臭い剥き出しの感情だ。


狼の遠吠えのような、赤ん坊の産声のような音声がミックスされたアンビエント的なSEと共に姿を現した彼等は、予想通りのバンドセットバキバキのフルスロットルスタイルだ。まるで一大スペクタクルか洋モノホラーでも始まりそうな禍々しい出囃子に度肝を抜かれているうちに始まった1曲目は、まさかの寿ぎのようなミディアムバラード『バブ28』。相変わらずの涼しげな佇まいのYuno、充電中のサイボーグのように舞台の端にしゃがみこんだタリラ。マサがゆっくりとマイクに近づき、天を仰ぎ、よく通る高音で第一声を聴かせた瞬間、Yunoは熱っぽくフロアに語り掛け、タリラもスイッチが入ったかのように立ち上がり、鍵盤に触れる。


MVで描かれるストーリーが曲の根本的なアイデアやテーマとなる事が多いDannie Mayだが、ライブでも場数を重ねる毎にパフォーマンス全体にストーリー性が生まれてきているように思える。特に今回は曲間の繋ぎやイントロのアレンジが光っていて――これはDJのYunoの手腕なのだろうか――瞠目するばかりだった。すべての曲が繋がっているわけではないが、完璧に組み上げられたセットリストはまるで要塞のようで、その中で3人がどんなにボーカリスト/プレイヤーとして暴れ回っても絶対に壊れない盤石さを感じる。


斬新なMVの記憶も未だ新しい『灰々』や『針よ墜とせぬ、暮夜の息』は、最早抜群のキラーチューンとして定着しつつある。マサのフロントマンとしての存在感は当然ながら、リリースを重ねる毎に熱を孕んでいくタリラのボーカルの変化が印象的だった。時に焦燥感に駆られたように、時に叩きつけるように紡がれる歌声、そしてアドリブのアレンジも見事な鍵盤さばきには嘆息するほかない。彼がメインボーカルを執るEP『タテマエ』収録の新曲『If you イフユー』も、サビのどこか吐き捨てるようなニュアンスを感じる歌と鍵盤やシューゲイズしたサウンドが圧巻で、バンドとしても新境地を開拓したようだった。間奏でピンクの照明に照らされ、緑の髪を振り乱しながら鍵盤を叩く彼には畏怖の念すら抱いてしまう。

しかしなんと言っても今回のハイライトは連続リリースとなった件のEP『タテマエ』と、その姉妹編とも言えるフィジカルEP『ホンネ』にそれぞれ収録されているリードトラック『適切でいたい』『ええじゃないか』の2曲だろう。どちらの曲もまだライブではほぼ場数を重ねていないはずだが、兄弟分とも言えるこの2曲のパフォーマンスは、今のDannie Mayの魅力がぎゅっと凝縮されていると言っても過言ではない。

たっぷりと尺をとってアレンジされた『クシコス・ポスト』がマッシュアップされたイントロ、打ち込みのクラッシュした音に合わせてYunoが指を銃口に見立て、こめかみに当てる。クレイジーな素振りで鍵盤を叩いていたかと思いきやくるくると楽しげに踊り始めるタリラ。そしてそんなふたりに時折優しげな眼差しを向けながら、跳ねるようにギターを掻き鳴らし、時に繊細なファルセットを駆使し、時に胸を射るような勇ましいこぶしを効かせながら表情豊かに歌うマサのアジテーションがフロアの熱量をぐんぐん上げていく。なかでも『ええじゃないか』のパフォーマンスは最早ロックバンドのフェスアンセムのようで、次々と繰り出されるハーモニーやユニゾン、ボーカルの掛け合い、クラップに一見さんも多いはずのフロアからは自然と手が挙がっていた。

 
「『タテマエ』と『ホンネ』の曲が出来た時、Yunoからもタリラからも聞かれたの。“マサは今後バンドをどうしたいの”って」

MCでそう語り始めたマサの表情は、いつもの明るさと少し違ってやや強ばっているようだった。まるで、何かを決意したような表情だ。そのまま、彼は言葉をしっかりと選びながら、観客の顔をひとりひとり見据えるようにして話を続ける。

「おれ、中学生の頃すごいいじめられてて、そういう時って大事なひとほど巻き込みたくなくて、気軽に相談とか出来ないじゃん? おれは、このバンドの音楽でそういうヤツが逃げ込めるような場所を作りたいの」「そういう時って、“頑張れ”なんて励まされても素直に受け取れないし。だから、ただそういうヤツらの居心地の良い場所を音楽で作りたい」

噛み締めるように言った彼がその後続けて告げたのは、11月のワンマンライブの開催。Dannie Mayにとって、念願の単独公演だ。フロアからは自然と拍手が沸き上がり、メンバーの表情も柔らかく綻ぶ。リーダーであるマサがいつになくふたりを優しく見つめていたのは、この発表があったためなのかと腹落ちした。その後、アンコール前最後の1曲として演奏された『御蘇-Gosu-』の3人のハーモニーは、前回の自主企画の際にマサが「バンドを救ってくれた曲」と言っていた事を裏付けるかのような多幸感に満ちて聴こえた。

 
対バンの小林の楽屋でのゲーム事情なども暴露したりと、終始和やか且つアグレッシブだったDannie Mayのライブ。彼等が舞台の上に築いた要塞は、報われない悲しみを抱えて生きる誰もがいつでも逃げ込める優しい要塞だ。三者三様それぞれの“音楽”を守るために存在しているDannie Mayは、いつかきっと誰かの誇りを守るバンドになるに違いないし、なんなら今だってきっと、何処かの誰かを救っているに違いない。

 

我々が望もうが望まなかろうが、小林はイイお兄さんになってもあの天衣無縫なライブやネット配信を続けるだろうしそのうち彼憧れのゴッドタンにも出るかもしれないし、Dannie Mayはそのうち武道館だろうとアリーナだろうといっぱいにするバンドになるだろう。根拠なんて全くないけれど、そもそも未来自体が来る根拠でさえこの世にはないのだからそれで良いのだ。

半ばネオンの落ちた円山町のホテル街を照らし出す、頭上の満月ですら疎ましい程未来の見えない毎日の中で、今一番必要なのは彼等のような存在なんじゃないかとすら思った、“後世に残る伝説の夜になるだろう”対バンだった。




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