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メディアを利用して大きくなったWWE

割引あり

CyberFightの新体制が発表され、これまで社長だった髙木三四郎がDDTの運営に専念するため副社長に退き、親会社であるサイバーエージェントの執行役員副社長である岡本保朗氏が就任した。

岡本新社長は就任にあたってWWEとNOAHとの関係強化を掲げた

これまでWWEと日本マットと繋がりは、ほとんどなく、昨年2023年1月1日のNOAH武道館に中邑真輔が参戦した程度だが、これがきっかけになったのか、J-SPORTSが撤退して中断となっていたWWEの中継がABEMAで再開されることになった。

そもそもWWE(WWF)と日本マットの繋がりは1974年に新日本プロレスとの業務提携から始まった。全日本プロレスにも王者であるブルーノ・サンマルチノが参戦してきたが、それはあくまでジャイアント馬場とサンマルチノの個人同士での繋がりであり、サンマルチノが王者から転落すると、WWFは新日本プロレス一本に絞った。

その関係を一変させたのは1984年、WWEがビンス・マクマホン・シニアからビンス・マクマホンに代替わりし、全米で放送されるケーブルテレビを武器にして全米侵攻を開始してからで、全米侵攻の資金欲しさに新日本プロレスに対して億単位のブッキング料を要求したからだった。

外国人ルートはWWEに頼り切りだったこともあって、新日本プロレスも最初こそ応じて仕方なく支払ったものの、新しい外国人ルートが出来ると、新日本プロレスはWWEとの提携を打ち切ったが、このあたりからWWEがいずれ日本にも侵攻を始めるのではと噂されていた。

しかし、WWEは単独での日本侵攻は難しいと判断、日本の団体に協力を求めることになったが、その最初の標的は馬場の全日本プロレスだった。理由はWWEが全米向けに放送されていたケーブルテレビを武器にしてきたとおり、全国で放送網を持つ日本テレビを利用してWWEを放送させ、侵攻の足掛かりを作ろうとしたからだった。

ところが、日本テレビと全日本プロレスの間には、全日本プロレス以外の団体は放送してはいけないという契約が結ばれており、WWFと全日本プロレスは「日米プロレスサミット」だけで終わった。

その後でメガネスーパーが設立した団体SWSと提携したが、放送は設立したばかりのBS放送局であるWOWOWだったこともあって、地上波を欲したWWEにとっては、メリットはなく、SWSが崩壊すると、天龍源一郎との繋がりだけを残して、WWEは日本から撤退した。

そしてスカイパーフェクトTVが開局されるとJ-SPORTでWWEを放送を開始、WWEのプロレスも日本のファンに認知され、WWFも年に1~2度ハウスショーを公演するようになったが、放映権料が高くなるとJ-SPORTも撤退してしまった。

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