fhanaライブレポ(後編)

(※以下の文章は筆者の極めて恣意的なfhanaに対しての解釈・嗜好に基づくことを冒頭で確認する。これはfhanaを通して考える、音楽と葛藤に関する小文である。)

前編:https://note.mu/igfuj8/n/n216e25f1d57c

 会場入り。一階スタンディング下手奥側、仕切りのバーにもたれられる場所。今回は腕でも組んで仁王立ち、ゆったり聴き入るつもりであった。
 すぐに本番前BGMがMy Bloody ValentineのLovelessが流れていることに気付いた。どれだけ僕の期待が高まったことだろう! さきのツイートとこのBGMで、fhanaが完全に(少なくとも僕にとり)良い方向へと向かっていることが分かってしまったのだから!
 MBVのLovelessはshoegazeの金字塔であり、これを流すことは今回のライブが轟音(ただ単に大きい音を出すという意味に非ず、テクニカルタームとしての「轟音」)に溢れ、音楽的原点にfhanaが立ち返ろうとしていることを示唆する。

 売れるところまで売れたfhanaは、メンバーそれぞれの素養を活かし、本当に好きな音楽を作り、鳴らし、歌うことができる世界線に辿りつく。

 以降、圧巻のライブであった。一曲目、最初期のアンセムであるkotonoha breakdownのピアノとボーカルのみのアレンジは、観客に静謐による一体感を与えるのに十分に魅力的であった。今回の”一体感”のベクトルの違いを感じる。僕がほとんど聞いていなかったアルバム曲はどれも珠玉のもので、ライブはそれぞれの曲をじっくりと聴かせる構成になっており、ヒット曲で会場ボルテージを無理矢理上げていく展開には決してならない。
 序盤から和賀さんのギターは鳴り響き、空間を切り裂くような轟音に震える。轟音、前年比10倍。トリガーのせいだろうか、粘度の高いドラムはポストメタルのようなヘヴィネスを演出。kevinさんが時折出すクリック音のような音は凪に焦燥感を効果的に与え、次の展開でのカタルシスを惹起していた。ベースの人なんかもうマジ巧い。towanaさんは遂にオタサーの姫から歌姫へと脱皮を果たし、ステージに華を添えていたと感じた。今晩の彼女は本当に魅力的な歌手だった。長く歌のない部分があったのがよりボーカルを惹き立てる。ポエトリーリーディングに挑戦したり、ジャズィーに攻める新曲や、名曲のカバーも素敵だった。

 終盤のMCで、佐藤さんがジャンルに関して言及した。これはfhanaの抱えていた葛藤を明示するものだったと思う。「アニソンとかJPOPとかロックとか/虚構のようなもの」「fhanaの本質は変わらないからついてきてほしい」という発言は、アニソンバンドとしてあまりに有名になってしまった彼らの、自分たちの音楽を大切に聞いてほしいという叫びに他ならないだろう。

 メンバー全員に通底していた今回のツアーのテーマは、思うに、原点に立ち返り、やりたい音楽を思いっきりやりたいということだったのではないか。それが和賀さん曰く「エモ散らかす」轟音セトリを生み、ヒット曲とそれを楽しんでくれるファンも勿論大事にしながら、”アニソンバンド”はここに轟音ポストロックバンドとなったのである。

 2018年6月24日のZepp Diver City TokyoでのWorld Atlas Tour東京公演を観て。

追記 後半は目の前に来た臭くてキモイ動きのオタクを通してしかステージを見れなくなったので、来年は二階席で観てみたいなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?