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都市の神

ええ、その通り。この町には神がおわします。

この町の人草が生きるあらゆる場面を、髪呂市立伊津野大間見神(かむろしりついづのおおまみかみ)がご覧になっているのです。
例えばあの満員電車を見ていただきたい。7時10分発・紫景台行・10両編成のクハE631。

電車に乗る前に、人草は満腔の怒りや絶望ではちきれそうになっており
ます。通勤、謝罪、いつ終わるとも知れない苦役、まるで圧縮された火薬のようです。何が起こるかはすぐに分かりますよね?

あれなる満員電車に女、男、老人、病人、赤子から畜生(ペット)までわけへだてなく押し込まれるわけです。互いの体が枷になるようになるべく多く人を詰めなければなりません。車掌も駅員もそれはそれは苦労して乗客の
背や尻を押し、ドアを閉めます。
当然車内は人造の小さな地獄となります。
「虫の息」で長時間呼吸を強いられると、どうなるか想像したことはありますか。足を踏まれても身じろぎひとつ許されません。

他人の体、顔、手、尻、胸が容赦なく押しつけられ、ねじくれた異常な体勢をとり続ける。そうすると、自分の心が肉体という牢獄に入っているという感覚がするのです。心だけがぼうっと頭上を浮かんでこの惨状を眺めている感じです。いったいなんのため?どこにもいくことができず、やれることはなにもない。暗喩的だと思いませんか。

舌打ちの音はどこからも聞こえてきます。あの音がたくさん重なると、まるで地虫を食う飛べない鳥が鳴いているように聞こえるのですよ。ぢいっぢっぢっぢちっちっちぢ。

どんなに身だしなみを整えても、人の体臭と口臭は消すことができません。ですから車内は特有の獣臭がいたします。それに混じる香水、整髪料、朝食の臭い。あの中で食事をとるものもおるようですが、正気の沙汰とは思えませんなぁ。

空調など意味をなさず、季節を問わず車内の窓はいやらしい結露で濡れております。もとはヒトザルから排泄された水蒸気ですよ?それに押しつけられて全身が濡れた人草を見るとこんなにみじめな存在はほかにあるかという気もいたします。

だれかがしわぶきやくしゃみ、放屁などした場合は車内全体に「苦痛の波」がつたわっていきます。地を這う鳥が鳴くのもそのような時です。

目の前でくしゃみをされれば、喧嘩になるのは当然です。怒号が響き、押しのけられ、殴り合いの末に周りのものたちも耐えられずに逃げようとします。しかし多くはその場から動くことすらできないのです。誰かが倒れても助け起こすことはできません。仕方なくその体を踏みつけることになります。そうしてドミノのように苦痛が広がっていく。


身うごきひとつで痴漢扱いされてリンチのうえ圧殺された中年男性もおりました。電車を降りるなり、中年男はたくましい男性がたによって引き倒されました。何人もの正義漢が上にのしかかり、踏みつけ、中年男を罵倒するのです。上の正義に耐えかねて、男は文字通り「小さく」なっていきました。ことが終わるとホームにはだれもいなくなり、死体をベテラン駅員が片付けておりました。

駅員の目は実に生き生きとしておりました。当然です。この上ない奉仕の機会にいあわせることができた。薫風の中、朝日を浴びて車体もきらきらと輝いておりましたよ。

警察?監視カメラ?もちろんありますとも。しかし通報などする必要はありません。冤罪かどうかも全く関係ない。その場を神がご覧になっていたからです。どんな裁きよりもあきらかでしょう。

苦痛の波のお話しをしましたが、他県から観光で来たらしい三人の家族連れ、ケージにペットのミニチュアダックスフンドを入れて旅行していたそうです。そのうえで電車に乗った。つまりこの町と神についてはまるで何も
知らなかった。不敬にもほどがありますな。
一家まるごとケージ内に押し込められたそうですが、詳しい状況やそれが
可能かどうかは論じる意味もないでしょう。すべて神の思し召しです。

ある台風の夜、終電運行中に落雷があり大規模な停電になりました。周囲の都市機能はすべてマヒし、当然停車を余儀なくされます。そのまま一晩中
放置された。翌朝発見された車両内で、乗客が持っていた無数の携帯電話が大音響で鳴り続けておりました。曰く表現しがたい阿鼻叫喚で、鉄道職員の鼓膜が破れるほどだったそうです。しかし当の乗客は一人として見つかっておりません。

こういった話はいくらでもあります。ある酷暑の日の満員電車は終着駅に
ついたにも関わらず、自力で電車を降りたものは皆無でした。ドアが開くと、血肉のミンチがホームに雪崩おちたそうです。数百人分の完全に粉砕
された血肉に髪や骨片、衣服の破片と糞便が混じっていた。車内で何が
あったかは誰も分かりません。唯一目撃したはずの運転士は新人で、すぐ
あと駅のトイレで首を吊りましたから。

通勤に電車は使わないことにする?それは結構。
ですが引っ越しに関しての注意はこれだけではありませんよ。
電車だけではない。髪呂市の学校、遊園地、県庁、病院、歓楽街・・・
そのすべてを伊津野大間見神は見ています。

この町に神はおわします。今もあなたのそばにずっとね。

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