眠れない
2022年7月13日(水) くもり
最近はだいたい22時に布団に入って、睡眠導入剤を飲んだら23時には眠っている。それでも夜中に目が覚めてしまったのには理由があるかもしれない。iPhoneの電源を切らなかったこと。作文に集中し過ぎてパソコンの画面を見続けていたこと。住宅から聞こえる謎のノイズ。波打っている気圧の変化。定まらないエアコンの適正温度。先週噛んでから全然治らない口内炎。
暗い気分ではないけれど、どうも落ち着かない感じ。おとなしくもう一度目を閉じればいいのに、SNSアプリを起動してiPhoneの画面を連打する。スマホを見る時間を減らそうって、スクリーンタイムを気にしていたのもほんの数日だけだった。
子どもの頃は毎日21時には眠っていた。中学生くらいまでその生活リズムだったから「ダウンタウンのごっつええ感じ」をリアルタイムで観たこともない。そのうち深夜ラジオを聴くようになったり、ちょっとエロいテレビ番組を見るようになったり、少しずつ夜ふかしできるように努力して身体を慣らしていった。大学時代はそれが行き過ぎて、深夜に公園のベンチで寝っ転がってみたりしたこともあった。その訓練にいったい何の意味があったのかわからない。
30歳を過ぎた頃、ようやく夜ふかしをあきらめることにした。散々努力してみたけど、自分には合わないと思った。終電を逃すのも嫌だし、風呂に入って一人で眠りたい。坂口恭平も言っているように、子どもの頃に自然と選んでいた過ごし方がきっと今の自分にも合っているのだ。
それでも、夜遅い時間になるといまだにそわそわする。世界に自分一人だけしかいないような、何かとんでもない罪を犯しているような気持ちになる。そして、明日の自分はまったく使いものにならない最低の状態になってしまうんじゃないかと不安になる。まだ幼かった頃、「なんだか悲しくなってきちゃった」と泣きながら母親に訴えたこともあった。ただ眠れないだけだったのに、それをどう表現したらいいかわからなかった。
仕事で出会ったカウンセラーに睡眠導入剤のことを話したら、「きっと子どもの頃から不眠があったんだと思いますよ」と言われたけど、実際どうだったんだろう。幼稚園のお泊まり保育のときも、小学校の臨海学校のときも、眠れなくて一人で泣いていたけれど。
眠れないだけで泣いていた頃に比べれば、こうやって文章にできるだけでもだいぶ成長しているのかもしれない。眠れないときは眠れないなりの過ごし方をしよう。カーテンの向こうは白んでいるけれど、気づかないふりしてもう一度目を閉じよう。あ、いま誰かの声が聞こえた。夢の中に入っていく。いい感じ。あと少し。でももうすぐ起きる時間。そして昨日だか今日だかわからないような気分で一日が始まるのだった。
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