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友人に就いて 2

 俺がタワーレコードアリオ川口店で働いていたのが今からちょうど10年まえのことだ。毎週毎週アイドルのCDが発売されて、その付録であるイベント参加券のおかげでかろうじて日々の売り上げがまかなえていた。仮面ライダーカードとポテトチップスの関係のように、音楽もまた捨てられているような気がした。自分だったら買わないであろう何かを売り物にしている。そんな漠然とした居心地の悪さを感じてからそう長くは続かなかった。
 斜陽も沈みかけていることは重々承知だったが、せめて地元のバンドやアーティストを応援してみるかと思って独自のインディーズコーナーを立ち上げた。フライヤーやデモCDも置けるようにして、売り上げと関係なくTwitterで宣伝した。それを知ってか知らずか、ある日やってきたのは野暮ったい男性二人組だった。そのうちの一人は、胸にデカデカと"左右"の二文字がプリントされたTシャツを着ていて、それが俺の友人のバンド左右のグッズであることは一目でわかった。こちらから声をかけて話を聞いてみると彼らは"kumagusu"というバンドで活動しているとのことだった。その、左右Tシャツを着ていた野暮ったい彼こそがベーシストの佐藤モジャだった。

 気のいい奴。初めて会ったその日から、今でもまったく同じ印象だ。彼は俺が当時活動していたバンドのことも知っていたみたいで、意気投合というか、アイドルのCDをばらまくよりよっぽど愉快な出来事だった。kumagusuのボーカル井上Yも紹介してもらって、川口駅の高架下、立ち飲み焼鳥日高で一緒に飲んだ。あの店は仕事終わりで何度も行った。当時俺はpennyと呼ばれる小型のスケートボードにハマっていて、それを職場まで持って行っていたことも合わせて思い出す。
 そのあとすぐに俺はタワーレコードもバンドも辞めて、ついでに坂道で派手にすっ転んだからpennyも辞めて、鬱々とした日々を過ごしていた。バンドをやっていない自分には価値がないだろう、仕事に就いていない自分が他人に合わせる顔はないだろう、友人が俺と会うメリットなんてないだろう、そう思っていた。それなのに、そんなときでも、横浜までふらっとやってきては一緒に飲んだりしていた佐藤のことが不思議だった。俺なんかと会って何の意味があるんだろうと思っていた。結局なんの意味もなかったのだが、そのことが人知れず俺の魂を励ましてくれたことは間違いなかった。それは佐藤だけではなく、今でも付き合いのある友人はみんなそうだった。
 2015年頃、俺が気まぐれで活動していた"Back to the vagina"という短命のラップグループもあったのだが、そのライヴを観に来てくれた数少ない証人の一人もまた佐藤だった。だけどそのことに恩を感じるよりも、こいつはよっぽどヒマなのだろうとしか思わなかった。これなら少しくらい雑に扱っても許してくれそうだ。たとえ俺が精神的に混乱しても一緒に溺れるようなことにはならないだろう。いつかドラマーが見つかったら彼に頼んでベースを弾いてもらおうと思った。
 実際にそれが叶ったのは2018年のことだ。とにかく、なによりもまず、曲を覚えてきてくれる。それだけのことがめちゃくちゃ嬉しかった。再開発の途中で廃墟同然と化していた渋谷駅を眺めながら、だらだらとビールを飲んだ。

 それからしばらくしてまたバンドを辞めて、ついでにもう一度仕事を辞めて、身内に不幸が続いて、感染症やらなんやらで市民生活にも変化があって、眠剤を処方してもらうようになったのが2020年頃だった。つい最近のことなのか遠い昔のことなのかわからない。だけど、ライヴハウスで声を上げることにも後ろ指さされなくなったのはまだつい最近のことだろう。奪われた時間を取り戻すように、街には無軌道な開放感が漂っていた。斜に構えているつもりだったけど俺もその空気に乗せられていたのかもしれない。もう一度自分のバンドをやりたいな、今ならできるかもしれないなって、それが2023年の春だった。
 ただ俺は薄情なことに、そのときは佐藤に声をかけなかった。これまでの流れを断ち切って、何か想像のつかないような、新しい出会いに開かれていたかった。それに佐藤は最後の切り札として残しておきたかった。すべてのベーシストに断られても佐藤がいる。そのセーフティネットがあるからこそできる挑戦もあるはずだと。だけどその計画は思い上がりもいいとこだったって今は反省している。いくつか候補を当たってみたけど思うようにいかなくて、舌の根も乾かないうちに佐藤に連絡した。数秒後にOKの返信がきた。そして初めてのスタジオに入ったとき、なんだかんだで俺は緊張していて、そこに佐藤モジャが一人いるだけでどれだけ安心できたことか。練習後は当然のように飲みに行った。本当は別の人に頼もうと思ってたんだ、とそこで打ち明けると、そんなこと正直に言わなくてもいいじゃん、と彼は笑っていた。気のいい奴。初めて会ったその日から、今でもまったく同じ印象だ。

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