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俺たちが通り過ぎていく

2022年4月17日(日) くもり
弾き語りのライヴをやった。人前で演奏するだけなら2ヶ月ぶりだが、自分で企画して開催するとなると4年ぶりのことだった。
ここ数年は思うように動けなかった。その不自由さは俺にとって悪いことばかりではなかったけれど、こうやってライヴをやってみたあとで振り返ると心理的な拘束を強く受けていたのだとよくわかる。無事に当日を迎えることができてよかった。台風の接近も予報されていたけれど、ちょうどよく逸れていった。

中月ヘロン。新しい友人で、どこか懐かしさもある人だ。今回の企画は彼と協力して行った。とはいえ、タイトルもアートワークも場所借りも彼が都合をつけてくれたので俺はほとんど何もしていない。でもきっとお互い、一人ではできなかった。3月の少しだけ暖かい日に彼は横浜まで来てくれた。二人ともアコースティックギターを背負って、臨港パークで遊んだ。これでも充分楽しいけれど、お客さんのまえで演奏して、お互いの演奏を聴ける場所があったらおもしろいねという話をしていた。そして、その話を話だけで終わらせるのは寂しいなと思った。

「俺たちが通り過ぎていく」

二転三転して企画のタイトルがそう決まった。中月ヘロンが提案してくれたものだ。「俺たち」というのは俺の歌詞からとってくれたのだと思うけれど、それはまさしく俺たちのことであった。家族にも学校にもいなかった、あなたに出会うまで長生きしなければならない。しなければならないってこともないけど、死ななかったおかげで中月ヘロンと会えた。「通り過ぎていく」っていうのはどこからやってきた言葉かわからない。「やって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」ではなく、「通り過ぎていく」。企画名としてはよくわからない感じがとても良いと思った。

ライヴは楽しかった。ライヴは楽しかったけれど、その先週、4月10日に合同練習をしたときが一番楽しかった。
アンコール代わりに二人で何か一緒に演奏しようと提案をして、ザ・フォーク・クルセイダーズ「悲しくてやりきれない」とThe La’s「There She Goes」の2曲に決めた。それは3月の臨港パークでそれぞれがおもむろにつま弾いていた2曲だった。ぶっつけ本番でもいけるだろうとタカをくくっていたけれど、いざやってみると全然うまくいかなくて笑った。お互いの歌もアコースティックギターも独特の癖があっていまいち馴染まない。最後の最後でPAシステムを切って生音だけで演奏してみたらようやくいい感じになった。不思議なものだと思った。

スタジオ練習を終えて、俺は次の予定があったのだけれど、中月ヘロンが多摩川に行くというのでついていくことにした。もう少し練習をしておきたかったし、川沿いでギターを弾くことに憧れがあった。横浜のどぶ川とは違う、多摩川の河川敷。そこでギターを弾くなんてかっこよくてロマンチックだと思った。暖かくて、良い天気だった。
何度か合わせたら演奏もだいぶまとまってきたし、そろそろ帰ろうと思ってギターをケースに入れて片付けた。中月ヘロンは「僕はもうちょっとここにいます」と言ってザ・ビートルズの曲をつま弾き始めた。知っている曲だった。俺はもう一度ギターを取り出してもうしばらくそこに留まることにした。

楽しかった。ライヴを企画してよかった。本番を一週間後に控えて、まだ何も始まってすらいないのにそう思った。こんなふうに過ごせたんならそれだけでも価値があった。何かトラブルが起きてライヴが中止になってもそれはそれでいいかもしれない。心配や緊張にとりつかれる自分にそう言い聞かせた。

心配も楽しみも、ライヴを終えた今となってはもう通り過ぎたあとだ。台風のように、どこかへ消えていった。

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