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「仲間を増やしたい」ということ

2021年11月21日(日) くもり
2ヶ月ぶりのカウンセリング。助かったと思った。息継ぎのタイミングを失って、ゆっくり溺れかけているような11月だった。

近況報告。まずは不眠について相談した。睡眠導入剤の服用については良いとも悪いとも先生から言われたことがないが、それは医者の領分だということなのだろう。自分の判断で少し減らしていたものをしばらく戻すことにした。ただ、不眠というのは怪しいもので、客観的には睡眠がとれているにもかかわらず本人が「眠れない」と感じていることが問題だったりする。俺だって、睡眠時間が短くても何も気にならない時期もある。問題の順序は簡単にすり替わる。精神的な不調の原因を睡眠に求めたくなる状態。俺はいまそれなのだと思う。

つづいて、アルバムの完成を報告し、その告知・宣伝について相談した。このことは音楽活動をするなかで自分がずっと抱えているジレンマで、今日相談するならそのことだろうと考えていた。

作ること、人前で演奏することについてはだいぶクリアになってきた。しかし、それを売る、広めるとなると自分のなかでうまく割り切れていない。自己肯定感の低さが絡まっているのか、「いらないモノを押し売りしている」「他人の時間を奪っている」ような抵抗感があるのだ。そもそも広める必要があるのだろうか?とも思う。カウンセリングで整理したいのは、それが「広めなきゃいけない」なのか「広めたい」なのかだ。他人の軸なのか、自分の軸なのか。義務感か願望か。自分でもよくわからない。

アルバムについて、曲について、自分が良いモノを作ったという実感はあるのだ。いま、それは揺るがない。そして友人が、まだ会ったことのない友人が、それを良いと言ってくれている。リアクションを受け取る。最高。幸運。感謝。しかし、それだけでもう満足だとも思う一方で、いやまだまだ、もっとほしいという気持ちがどこかにあるのも事実だ。
俺の作品が商品として売れるものだとは思っていない。多くの人に伝わるものでもないと思う。ただ、100人に1人、1000人に1人。俺の持っているイメージを共有できる人がいるのなら、その数を増やしてみたいとは思うのだ。いま10人いるとしたら、それが100人になってもおかしくはないと。もしそうなったら嬉しい?嬉しい。興奮する?興奮する。おそらく誰から押し付けられたものでもない、俺自身の願望なのだ。カウンセリングを通して少しずつ紐解いていった。ひとことで言えばそれは、「仲間を増やしたい」ということだろうと、先生は結論づけた。

「仲間を増やしたい」。なんてシンプルなんだろうと思った。そしてその言葉は、それは確かにそうだと自分のなかですんなり飲み込めるものだった。友人が一人増える。まだ会ったことない友人がもう一人。それはとても楽しそうだと思う。
売ることや広めることと、重なっているけどちょっと違う。ちょっと違うけど矛盾はしない。そこに混乱が生じるのだろう。さらに、俺が本来持っている不安の強さが、軽快なアクションを足止めする。
でももう一度安心したい。すべての始まりに作る喜びがあって、良いモノが出来たという実感が揺るがない。まずはそのことだけでも幸福だ。それが広まったらもっとおもしろい。幸運。その順序さえ間違えなければ、俺はこの遊びをもっと楽しめるようになるかもしれない。そう思った。

一段落ついて、カウンセリングの後半は別の話へ。前頭葉と大脳辺縁系のはたらきについて先生から説明を受けた。感情と反応の違い。人間と動物の違い。俺が絶えず振りまわされている脳の誤作動について。HSPについて。そのことも書きたいと思っていたけど、ページが足りないのでここまでにしよう。頭は何度でもこんがらがる。何度でも整理する。

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