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【月曜:創作の話⑫】視点がばらつく~二時間ドラマで育った功罪?

こんにちは、アスカです。

特に今日について特筆すべきことがないので、いきなり本題に入ります。
月曜日なので、創作について。

ころころ視点が変わることはやっぱり良くない、というお話です。


<書いたものを見ていただきました>

先日、書きあがった長編を見ていただく機会がありまして、
その時に「視点があちこちにいく」点を指摘されました。

小説を書く場合って、視点は複数としても3が限界という説があります。
主人公、対立する存在、+αくらいですかね。
章で分けて、その章ごとに主人公を設定する形にするならば問題なさそうですが、
そういった書き方をしない場合は3が限界。
これ以上になると、読者が混乱してしまう。

私はストーリーを書いているつもりがキャラクターを描いている状態になりやすく、
キャラクターの数だけ視点を作ってしまいがちです。
各キャラに出番作ってあげたいとか思っちゃうのもある。。

視点について、原因を自分なりに考えて思ったのが、
自分の創作の型というか、原型が二時間ドラマにあるからなのかなあということ。

<すべてのキャラクターを描きたくなってしまうけど>

以前、作品について「組み立てが映像的」といわれたことがあります。
確かに、映像として見えていることを文章にしているので、おぉ…慧眼…と思いました。

幼い頃から母に付き合って二時間ドラマばかり見ていた(そして本を読んでいない)のでその影響なのだろうか、と思っています。

ただ、それの何がよくないって、
「定期的に視点を変えたくなる」という病にかかること。

「ずっと同じ視点じゃ画面が変わり映えしなくてつまらなくない?」という発想は、
あくまで映像作品での話。
文章では当てはまらないのは当たり前です。

映像は、説明しなくても目でそこにいるのが誰かわかりますし、背景含めて情報が多いので、受け止めるのはあまり難しくない。
一方、文章は「そこに書いてあることしか情報として提供できない」ので、
視点を変えすぎると読者の負担が重くなり、混乱だけが深まってしまうという…。
主要人物が誰なのかも見えにくくなってしまう。

しかしながら、誰をメインにしたものにするか、というのは私にとっては非常に悩ましいことでした。

なぜなら、当然ですが「登場するキャラクター全員に人生がある」から。

その人生すべてが交錯してできているのがお話だから。

でも、見せ方として、それを素直に並べるだけでは成立しない。

悩みました、というか目下絶賛苦悩中です。

今回のことで、”本編”と”外伝”という概念が存在する理由がわかった気がしました。
すべて本編の中で描ききれないのは仕方のないことなんですね。
視点を絞らないと、作品として破綻してしまうんだ。。

<ついさっきまで、早く書き直さないとと焦ってた>

上記のようなことがあり、視点の収束含め、
一回書き終わった作品をストーリーライン以外結構な割合で書き直さないといけない状況になっており、
先週はちょっと余裕をなくしていました。

でもいまは、そんなに焦ってやることじゃないかなと思い直しています。
というのも、その作品との付き合いが長くて、
「人生で私はこの物語を作ったんだ」という思いで終わりたいなあと
考えているお話だからです。

もっと大切に仕上げてもいいんじゃないかって。

キャラクターたちにも愛着がありますし、
丁寧に彼らと向き合い、仕上げていく方が、結果としては満足できるのかなあと。

急いてはことを仕損じる、といいますものね。

年初に立てた予定からは遅れてしまうけれど(毎度のこと)、
せっかくだからとことんやってみようかなあと思ったのでした。

…思い付きでnote始めちゃったから原稿の時間が圧迫された事実がある、というのは大いなる反省点…っていうのは秘密(笑)

違うよ! 六月まるまる体調不良で時間使えなかったせいだよ!!!
コロナになったのも完全に誤算だったんだ…!!

このnote投稿マラソンも終盤なので、
まずはこちらを完遂してからすっきりとした気持ちで仕上げをしたいと思います。

優先順位間違ってる気がするけど、まぁ死なない限り何とかなりますって。
最近はそんな楽観的な構えでいられるようになりました。
大人になったなぁ~。

何とかなるんですよ。そういうもんです、きっとね。
だから心配せずに、キャラクターたちと会話していようと思います。
それが楽しい。楽しければ、いい方に進むと思うので。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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2023年7月24日
アスカ
#asuka_86
#毎週月曜は創作の話

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