安全地帯

何をするにも、それを「自由に」やるためには、「安全地帯」が必要である。玉置浩二のことではない。

安全地帯。それは「いざとなったら駆けこめる」場所。「最悪あそこに逃げ込めばどうにかなる」と思える場所。ホーム。

宇野常寛という評論家がいるが、彼は朝のテレビワイドショーにコメンテーターとして出演している。彼は他のコメンテーターと違い、空気を読まずに思ったことを述べる。芸能人スキャンダルを扱う番組の作りにツッコむような、メタ的な言及も行う。通常は業界的にご法度であるそういった発言ができる理由は、彼自身がそう語るように、彼が「テレビで生きていこうとしていない」からである。宇野は自らで「PLANETS」という批評雑誌を作り、コミュニティを形成し、それを発展させることで収益を上げ独り立ちしてきた。彼には「PLANETS」という「安全地帯」がある。だからテレビで「自由に」振舞うことができる。

「退路を断つ」という言葉がある。それがさながらポジティブな教訓として用いられることも多い。確かに退路を断つことで、つまり「これをやるしかない」と尻に火がつくことによって、発揮される火事場の馬鹿力もあるかもしれない。それが良い方向に転ずることもあるかもしれない。そういう成功譚もよくきく。しかし注意しなければならない。私たちは、実際に退路を断ってどうしようもなくなった人の「失敗譚」を聞くことはできない。退路を断って、たまたま成功した人だけが、広く自分の人生について語る発言力を持つのであるから。「生存者バイアス」と言われるこうした錯誤によって「腹をくくって、一つの道に身を投じる」ことを私たちは安易に賛美していないだろうか。

僕たちが本当に「馬鹿力」を発揮できる局面は、「退路を断った」状態とは全く逆の状態においてである。安全地帯をできるだけ多く持った状態、つまり「様々に退路を張り巡らせておいた状態」においてである。

ここがダメでもあそこに帰れば良い。あそこがダメでもこっちに戻れば良い。

それは行きつけの喫茶店を複数作っておくような、収入源を複数確保しておくような、色々な友人を持っておくような、例えばそういう話としても考えられるだろう。

「あなたなしでは生きていけない」という状態は極力避けなければならないのである。いや、そういう人生も一つ、いいのかもしれない。そういう人に、場所に巡り会えたなら、それは何にも増して素晴らしい、幸運な人生なのかもしれない。しかしそれは強烈な「依存」を生むのである。そしてその依存は高いリスクに曝されているのだということを意識しなければならない。重要なのは、依存しないこと、ではない。依存先を複数確保することである。「あなたがいなくてもあいつがいる」ことなのである。「あいつ」こそが「安全地帯」である。だから玉置浩二じゃねえって。


そして僕は今、それが「研究」においても言えることなのか、それを考えている。つまり研究を自由にやるためには、研究を仕事にせず、食い扶持にしないほうが良いのでは、ということである。研究を「余暇」にやるべきなのではないか、そういったことを考えるのである。今以上、それ以上、愛されるのに、研究とどう付き合うべきかを、考えるのである。これは玉置浩二だよ!!


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