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在るものを伝える

「聴く」×「よさカード」

「聴く」をテーマに「よさカード」を引いて、様々なことを語るシリーズ。
今回のよさカードはこちら。

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わたしが「聴く」際に、大切にしたいのは
そこに「在るもの」に目を向ける ということだ。

話す人の声、声のトーン、息づかい。
沈黙。
空気感。
そして、話しながら拡がっているであろうその人の世界。

例えば、「自分のこんなところが嫌だと思っているんですよね」と言われるとする。
「嫌だと思っているその人」がそこに在る。
「そこに至るまでの様々な体験、経験、そして感情」がそこに在る。

そして、一緒に少し違った視点から「在る」ことを改めて観てみる。
ときに「視て」みる。

嫌なことに守られていた、その人の大切にしたい心があったり。
嫌だと言えることで軽くなる想いがあったり。
実は好きの裏返しだったり。

「在る」ことを知って、受けとめることで、視点が拡がる。

なかったことにはせず、「在る」ものは「在る」と受けとめる。


* * *

そして少しだけ「聴く」から派生した話。

わたしは話を聴いた方には、「よいところを伝える人」だと言われることが多い。
確かに「その人のよいところ」を伝えた方が気持ちいいし、嫌な空気はあまり漂わない。

しかし、今現在それを意識しているわけではないのだ。

意識しているとすれば
「そこに在ること」をそのまま「言語化」することだ。

確かに、20年くらい前までは、その人のいいところを見つけて褒める。
ということを意識してやっていた。
でも言ってるときに違和感を覚えることがあった。
「なんかしっくりこない」という感覚だ。

まるで小さな石が靴の中に入り込んでいるような感覚。
歩けないわけではないけれど、すっきりしない。

それは、「褒める」という行為の矢印が自分に向かっていたからだ。
ということに、じわじわと気づいた。

「褒める」ことで、いい人だと思ってほしい。
「褒める」ことで、わたしの話をちゃんと聴いてほしい。
「褒める」ことで、わたしを受けとめてほしい。

違和感の正体はここにあった。
だから、「いやー、そんなことないですよ」という返事だと地味に落ち込んだし、自分を拒絶された気さえした。

本当に思ったことを伝えていたとしても、それを膨らませて「この人に喜んでほしい」つまりは「喜んでもらえる自分でいたい」という気持ちがあったのだ。

なんとなく気づき、そして話すとき、伝えるときには
「本当に思っていることなのか」
「そこに自分の承認欲求はないのか」を、少しずつチェックするようになった。

ちなみにわたしの承認欲求はなかなかの強者なので、なくなることはない。
だから「ある」と気づいたら「あるんだね~」と認めることにした。

次第に「褒めたい」ではなく、「ただいいと思ったところを伝えたい」という気持ちで伝えているようになっている自分を認め始めた。

わたしが「いい」と思った瞬間を捉え、それをただ伝える。
それを相手の人が「褒められた」と思ってもいいし、
「へーそんな風に思うんだ」と思ってもいい。
どんなふうに受け取ってもらってもいい。
なんなら受け取ってもらわなくてもいい(ちょっと寂しいけれど(笑))。
ただわたしは、キラリと光るものを見たら伝える。
それをし始めた。

そこに「在る」から伝える。

今、随分と伝えることが楽しくなった。

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