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終わりへと挑む~岡井隆『鉄の蜜蜂』解題

『鉄の蜜蜂』は二〇一八年一月に角川書店から刊行された第三十四歌集。生前最後に出された歌集となる。黒一色の表紙を、斜めに裁断された白そして黒のカバーが違いちがいに覆い、その上にタイトルがくすんだ金色で箔押しされている。帯はなく、その横には本書を「甘美なる挑戦状」とする煽り文が印字されており、装幀の重厚さも相まって手にするだけで緊張感を生む歌集となっている。

 本歌集は二章構成であり、Ⅰ章は歌誌「未来」の発表作品、Ⅱ章は短歌総合誌などへの掲載作品からなっていて、どちらも年代順に並んでいる。時期としては二〇一五年初夏から二〇一七年初秋までの作品で、あとがきには卆寿を自らひそかに記念して編んだとある。

 一月あたり七首掲載されていた詠草がまとめられたⅠ章は、後の章の歌と明確な差異があるわけではないものの若干の口調の違いはあって、「そりやああなたぢやないが。」と釘を刺すような結句(P50)、「行きたくない。」という端的な初句(P79)など、どこか気安さを感じさせる表現が垣間見える。自らが作り守ってきた未来という場を慈しみつつ、どこか遠くから眺めている風だった晩年の岡井の眼差しを思う。

 歌集のタイトルである「鉄の蜜蜂」は、Ⅰ章の最後に登場する。他にも、立ち上がらない馬や迫る終局など、出てくるモチーフが終わりを見据えている気配を漂わせており、前歌集よりも残り時間への意識の強さを感じさせる。

 Ⅱ章には、天皇皇后両陛下へのご進講や年賀の儀などから講演会や授賞式、果ては確定申告や排水管点検まで、機会ごとに作られた歌が並ぶ。そばにいる人を見つめ、或いは去りゆく人を見送りながら、穏やかに一首一首を作り上げる岡井の姿が目に浮かぶようである。

 章の後半の「父 三十首」も興味深い。高島裕の個人誌「黒日傘」に寄稿された連作で、高島と岡井が「父」というテーマについて競詠を行ったもの。長子の来訪をきっかけに父でありながら父親ではない己を述懐し、そして歌の道を岡井の前に示した自らの父への思いが入り組むように示される。

 そして末尾に置かれている「大震災以後に作った歌二十首」、巻末では初出不詳となっているが、『ヘイ龍(ドラゴン)カム・ヒアといふ声がする〈まつ暗だぜつていふ声が添ふ〉』に収録された歌から掲出されている。岡井が何を思って二〇一一年ごろに作られたこれらの歌を編年体の本歌集の最後尾に配置したのか、そして初出をあえて不詳としたのか。最後の最後に投げかけられた謎のようでもある。

 そうすると、表紙にある「挑戦状」もどこか腑に落ちてくるものがある。本書は、読者への問いかけでもあり、また岡井が残り少ない自らの時間を見つめ、自らに挑み続けたその結果のように思えるのだ。

いつか来た道だとしても俺はいい花びらを踏み光を踏んで(P46)
詩はつねに誰かと婚(まぐは)ひながら成る、誰つて、そりやああなたぢやないが。(P50) 
今日もまたぱらぱらつと終局は来む鉄の蜜蜂にとり囲まれて(P88)
〈すみません、おくれまして〉と声きこゆなあにまだ間に合ふさ死まで(P145)
わが生はそれにかも似むをののきて雨にあらがふ銀杏の並木(P192)※詞書あり

『鉄の蜜蜂』(岡井隆/角川書店・2018年)

初出/「現代短歌」2021年3月号

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