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生と死のあわいにて響く~岡井隆『暮れてゆくバッハ』解題

『暮れてゆくバッハ』は二〇一五年七月に現代歌人シリーズの六冊目として書肆侃侃房から刊行された歌集。歌誌「未来」および短歌総合誌や雑誌に掲載された作品を中心に、未発表の作品も含めておよそ編年体になっている。

 近年注目を集める出版社が力を入れて展開するシリーズの一冊としての刊行であり、新たな読者の出会いを意識したものか、これまでの歌集にはない特色が見て取れる。「花と葉と実の絵に添へて」の章などはその最たるもので、晩年の岡井がその研究をライフワークにしていた医師で詩人の木下杢太郎、彼が最晩年に記した『百花譜』を真似て花や実をスケッチしたノートを再現し、その横に手書きで歌を添えるという構成になっている。また、『閑吟集』『宗安小曲集』の詩を用いた折句(アクロスティック──歌の最初の一文字を拾っていくと詩の一節となる)のほか、エッセイや「おしやべり」──AとBとに分かれた岡井の会話──などの散文を取り混ぜて収録しており、読者を飽きさせない意欲的な一冊となっている。

 岡井は二〇一四年十一月に左鼠径部ヘルニアの手術を受けており、本歌集は術前術後の時間を描いた歌から始まる。だが手術を受ける岡井が声なき声で会話をするのは亡き弟の霊であり、思い浮かべるのは手術と同じくしてこの世を去った旧友田井安曇のことである。

 また中盤以降も、未来の創刊メンバーであった川口美根子の死の連絡を受けての歌群、評論家松本健一への挽歌、イスラム過激派のISILに殺害された後藤健二のニュースに触れて作られた歌など、岡井の視線は今ここにある命よりは失われていった生に、現実よりは過去に注がれているように思える。

 また終盤、昭和を思い返す歌群があることにも注目したい。契機はいずれも雑誌の特集への寄稿であるが、「私にまでこの質問が来とは」と歌いながらも岡井自身の言葉で紡がれる終戦前後の自らと周囲の様子は興味をそそられるものがある。

 表題は「ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ」(P44)から取られている。”Bach”は苗字の語源そのものではないがドイツ語で小川の意。西洋音楽の祖であり「音楽の父」とも称されるバッハに自らを重ねていたのだろうか。そして、小川が暮れて闇に沈んでゆく様子は、人生が暮れていく様を暗示したものか。

 あとがきに、長く続けてきた仕事をやめた岡井が「詩や歌をつくる悦びを覚えるようにな」り、「どうやらその流れが、この本の底のところで、ささやかな響きを立ててゐるやうに」思っている、と書いている。
 生と死のあわいにたまさか生まれたその響きに、耳を傾ける。本書は、まさにそのような歌集である。

ヨハン・セバスチャン・バッハの小川暮れゆきて水の響きの高まるころだ(P44)
虚(うそ)になる眞(まこと)もありぬ裏庭の闇をこのみて咲ける臘梅(P81)
思想家だ、思想史家だとかしましい。呼名は美しい家具に似てゐる(P113)
梅の花を見に行つてから二時間だ入り口つていつも昏いんだなあ(P126)
言の葉の上を這ひずり回るとも一語さへ蝶に化けぬ今宵は (化の題詠/P133)

『暮れてゆくバッハ』(岡井隆/書肆侃侃房・2015年)

初出/「現代短歌」2021年3月号

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