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2019年10月17日

2年振りに投稿する気になったので、思いつくままに拙文でも書いてみる。

この2年の間が、どんな毎日だったのかについて。

2017年4月のライブを最後にバンドが無期限活動休止というか、事実上の解散をして、僕らメンバーは文字通り、住む町も人間関係としても散り散りになった。

上京した頃は、近い将来にバンドが壊れて終わるだなんて、まったく想像してなかったんだけど。

正直に話せば、北海道時代はたのしかった。

東京にきてからは、いろいろとしんどかったな。

じゃあ、なぜ大好きで、暮らす環境としても僕たちの気質や肌身に合ってた札幌を離れることにしたのか。

それは、居心地の好さや友達と過ごす時間よりも、僕たちがバンドの可能性や未来を信じきってたからなんだよね。

みんな若くはなかったけど、思考が思春期の集まりだったから、人生を賭けちゃったんだね。

2014年の夏、某レコード会社のショーケースライブに出ることになって、そこで2曲だったか、3曲だったか、忘れたけど演奏した。

会場はduoで、たしかセットリストは、“バラリーナ”と、できたばかりの“あすなろを見上げて”だったと思う。

あともう1曲演奏してたとすれば、それは覚えてない。

覚えてるのは、前日に名古屋から渋谷のNHKに向かってたんだけど、事故渋滞があって、ラジオの生放送に間に合わないということになり、一同本当に焦った。

そのうちに焦りが苛立ちへと変わり、機材車の中で若干ケンカになった笑

一体どこで降ろされたのか、小さな無人駅から、隼輔とシゲと僕は電車で東京へ、ユッキーとケンちゃんはそのまま車で移動することになった。

乗り継いだ電車が渋谷駅に着いたのは集合時間の40分前くらいで、道玄坂のビルのトイレに寄って顔を洗ってから、走って局に向かった。

もうギリギリもいいところだったけど、緊張を緩和するために、直前にシゲが500mlの缶チューハイを胃に流し込んでたから、たぶん酒臭かったんじゃないかな。

なにも言われなかったけど笑

思い返せば、そんな些細な記憶の一片さえも貴重な経験だったし、いつもいろんなことが起こって退屈しなかった。

それからしばらく時間が経って、冬前だったか、あのショーケースを観たという事務所関係者からメールがきて、後に契約することになった。

ありがちな話かもしれないけど、僕たちは期待に胸を膨らませて東京へ引越すことにしたというわけ。

短絡的だよなあ…。

でもバンドマンの中に計算高い人を探す方が難しいと思う。

振り返って、ああすればよかった、こうすればよかったということも多少はあるけど、きっと結果は同じだった。

最後の方は、スタジオにいくことさえも苦痛になってたし、バンドたのしいって感じなくなってたから。

ざっくり言えば、通用しなくて、うまくいかなくなったということなんだろうね。

解散してからも、事務所のあるスタッフの人が、個人として一緒に仕事をしようと声をかけてくれたんだけど、なんだかやる気が失せてしまって、ずっと断ってた。

「今のバイト先で社員登用試験を受けて、サラリーマンになります」って。

そう決めてから1年くらいかけて、試験に漕ぎ着けたんだけど、落ちちゃった笑

まあ、あの時の感覚は絶望に近いものがあった。

だって、もういい加減おっさんなのにバイトのまま社員になれなくて、音楽の道も蹴っちゃってたから、そりゃあさすがに脂汗が滲んで心が路頭に迷うよね笑

東京って賃金が高いから、バイトでもひとりなら生きてはいけるんだけど、家族もいるから、これからどうしたらいいんだって頭を抱えた。

で、落ちたのに上司が研修に参加しなさいと言うから、周りは僕より上の職位の人たちに交じって、なんだか、いたたまれない空気の中で自己紹介したんだけど、好奇の目に晒されるとはあの状態のことを言うんだなと笑

「飯濱壮士、40歳、元バンドマンです」。

プライドなんか持ち得てないけど、羞恥心くらいは人並みにあるから、つらかったな。

ああ、なんで僕はこの場所にいるんだろう、なんのために東京にきたんだっけ?

故郷に帰るお金もないし、目標もなくなってしまったし、追いつめられたような気持ちになって、苦しかった。

そんな時、以前一緒に仕事をしようと言ってくれた人に、また声をかけてもらえたんだよね。

「最近どんな感じですか? 飲みにいきましょう」って。

それが、音楽の世界に戻るきっかけ。

その人と、事務所内にSuperSquallというクリエイティブルームを立ち上げることになって、僕も音楽家・プロデューサーとして今年の1月に契約した。

けど、今でもバイトはしてるよ。

前より出勤日数は減らしたけど、続けてる。

できるだけ早いうちに防音室のある部屋に引越したいから。

出勤日は、昼過ぎから深夜という時間帯に働いてるからという事情もあるし、友達も随分減ったから、ほとんど飲みにいく機会がなくなった。

昔は毎晩のように朝まで飲み明かしてたけど、今は全然そうしたいと思わなくなった。

帰省した時とか、仲間の大切な日とか、本当にそういう、たまにでいいかなって。

紙巻きの喫煙も2年前にやめて、健康に気を遣うようになった。

未練がましく電子タバコは吸ってるけど、あれはオモチャだから笑

出勤日以外は、ほとんど自宅作業メインで、パソコンと睨めっこしながら音楽制作の日々。

それとね、またバンドやりたいと思ってる。

実は仕事とはべつに1曲だけイメージを曲にしたデモがあるんだけど、聴いてもらって、気に入ってくれた人に話をしてたりする。

作家やプロデュースの仕事をしながら、けれども僕はやっぱりバンドマンだから、もう一度ステージに立つのが夢。

うまくいってることなんて、なにひとつなくて、ずっとそうだったから、がっかりするのが怖くて期待しなくなったし、来年さえどうなってるかわからないけど、今言えるのは音楽を嫌いにならなくてよかったなってこと。

登用試験の席で、面接官から「もう音楽はやめたんですか?」と訊かれて、僕はこう答えたんだ。

「はい。もしまたやることがあったとしても、音楽は趣味でいいです」。

うまく嘘をついたつもりだったけど、あの嘘を見抜かれたのかな笑

何歳になってもいい、小さなライブハウスでもいい。

作品を発表したい。

誰のためでもなく、表現したい音楽のために。


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