飯濱 壮士

普段は音楽業界の裏方。朔というバンドの歌とギター。 tsuitachi-jpn.ba…

飯濱 壮士

普段は音楽業界の裏方。朔というバンドの歌とギター。 tsuitachi-jpn.bandcamp.com/releases

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2024年4月22日

新ベーシストとして、テイイチくんが朔Tsuitachiに加入してくれた。 先週の金曜日、3人で初めてスタジオに入ったんだけど、本当にたのしくて、幸せで、バンドって最高だなって噛みしめながら演奏してた。 若い頃、僕たちは人生をバンドにベットしてた。 そしていつしか壊れてしまって、楽器を置いたんだよね。 使い込んだ機材を棄てて、もう戻れないように蓋をしたんだ。 けれど時間が過ぎて、気づけば歳も重ねて、たとえば眠れない夜に、「できることなら、またやってみたいな」って、「で

    • 2024年4月12日

      久々にブログを書く気になったので、先月の札幌レコーディングのこと、それから自分のバンドのことを記しておきたいなと思う。 仕事とはいえ、3月のレコーディングは関わるアーティストや札幌という地に対する思い入れと、そして北海道在住時代に多くの作品を制作したスタジオで作業させてもらえるという環境や幸運にも恵まれて、とてもたのしみだったし、実際幸せな時間を過ごさせてもらった。 あのスタジオには、天国にいった植松さんの息吹が今も残っていて、かつて笑いながら一緒に煙草を吸った換気扇の下

      • 2023年7月21日

        この記事のヘッダー画像は、10年以上前のシンジと僕。 いつかの札幌ライブの打ち上げで撮られたものだと思う。 当時シンジはThe Homesicksのドラマーで、僕はmondaysickのギタリストだった。 何度も競演したし、The Homesicksのレコーディングを手伝ったこともあった。 彼らがOasisの前座として真駒内アイスアリーナのステージに立った時も、僕は映像スタッフとして現場にいた。 あの頃は、まさか一緒にバンドを組むことになるとは想像もしてなかったな。

        • 2023年7月20日

          昨年の12月25日、クリスマスに華やぐ街の雰囲気や電飾の明かりが、ひとつひとつ消えて静けさを取り戻しつつあった夜が今日の朔に繋がったという話。 当時の僕は、年内最後の納品を済ませたばかりで、数ヶ月間に渡る制作や編曲、レコーディングやミックスの重責から解放されて、精神的には一息つける時期ではあったものの、副業が小売業で仕事内容がほぼ肉体労働、そして小売業者にとっては12月が一年で最も書き入れ時のため、年末年始の休暇というものはなく、故郷に帰省するわけでもないので、残った記憶と

        2024年4月22日

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        • 日記
          60本
        • 写真
          8本

        記事

          2022年6月3日

          最近、またプロデュースワークに復帰した。 自分では平気なつもりだったけど、以前にはもう戻りたくないな。 デルタ株のコロナ禍、かつて担当したアーティストの訃報もあって、きつかった。 僕は神経質なところがあるから、世の中に浸透した感染対策にサードパーティーのプラグインを挿したような生活をしてた。 メジャーデビューしたばかりの、とあるバンドのディレクターが後輩で、昨年末にサウンドプロデュースのオファーを頂いたのだが、気分が乗らず、断ってしまった。 口実の中には幾つかの嘘も

          2022年6月3日

          2022年1月1日

          あけましておめでとうございます。 クリスマスから大晦日にかけて、人や街が華やぐ感じとか、年を越した元日の穏やかな空気と澄んだ冬の青空、それらは、僕の幼少期から変わらないですね。 この雰囲気が、とても好きです。 本来であれば、年末年始くらいは生まれ故郷である北海道の旭川に帰省して、両親や祖母と話をしたり、友人と酒を酌み交わして笑ったり、そんな当たり前のことがしたかった。 それが叶わなかったのは、もしくは叶えようとしなかったのは、この時勢だけが理由ではなく、僕は音楽以外に

          2022年1月1日

          2021年12月27日

          昔は歌うことが苦痛だった。でも今は、やっと歌って表現したいと思えるようになった。 なんでもかんでも遅いな僕は。 音楽を始めた思春期の頃は、理想とするミュージシャンとしての在り方みたいなものがあった。 つまりは、己の中での格好のよさってやつ。 けれど、実際に音楽業界で裏方の仕事をするようになった20代、たくさんの波が押し寄せて、そんな考えは、あっという間に飲まれてしまった。 携わったアーティストの心を深く傷つけたこともあった。 本当にごめん、当時の僕にはわからなかっ

          2021年12月27日

          2020年5月30日

          先日Twitterでもお伝えしたけど、札幌のSPiCEというライブハウスの存続支援プロジェクトの一環として、コンピレーションアルバムに参加する。 随分前に解散したmondaysickのメンバー5人が集まり、未発表曲1曲の制作をすることにした、その理由や経緯、今思うことについて、少し話しておきたくて、この記事を書いてます。 きっかけは、ベーシストのユッキーからの相談だった。 彼はPAエンジニアとしてSPiCEに勤めており、想像に難くないだろうけど、新型コロナウィルスの影響

          2020年5月30日

          2019年10月17日

          2年振りに投稿する気になったので、思いつくままに拙文でも書いてみる。 この2年の間が、どんな毎日だったのかについて。 2017年4月のライブを最後にバンドが無期限活動休止というか、事実上の解散をして、僕らメンバーは文字通り、住む町も人間関係としても散り散りになった。 上京した頃は、近い将来にバンドが壊れて終わるだなんて、まったく想像してなかったんだけど。 正直に話せば、北海道時代はたのしかった。 東京にきてからは、いろいろとしんどかったな。 じゃあ、なぜ大好きで、

          2019年10月17日

          音楽やる上で、ひとりは寂しいから嫌だったけど、今は自分だけの方が気楽でいいなって思ってる。無理に人を引っ張る必要がないし、気苦労や苛立ちに時間を割かれることも少なくなった。たのしかったのは、船に乗って旅をしたり、重たい機材の積み降ろしをしたり、数えきれない道の上を車で走ったこと。

          音楽やる上で、ひとりは寂しいから嫌だったけど、今は自分だけの方が気楽でいいなって思ってる。無理に人を引っ張る必要がないし、気苦労や苛立ちに時間を割かれることも少なくなった。たのしかったのは、船に乗って旅をしたり、重たい機材の積み降ろしをしたり、数えきれない道の上を車で走ったこと。

          あんなに夢だったバンドに、疲れちゃいました。

          あんなに夢だったバンドに、疲れちゃいました。

          140字って難しい。伝えるのが。誤解や曲解ばかり。

          140字って難しい。伝えるのが。誤解や曲解ばかり。

          事実上の解散だとしても、名前くらい残しておきたいなって、それだけ。復活に向けて動くつもりはないし、人との巡り合わせでね、いつかやれるようになったら、その時考えるよ。音楽はやめない。昔みたいに個人として仕事をしながら、趣味でバンドやろうかなって気分。で、またライブできたらいいな。

          事実上の解散だとしても、名前くらい残しておきたいなって、それだけ。復活に向けて動くつもりはないし、人との巡り合わせでね、いつかやれるようになったら、その時考えるよ。音楽はやめない。昔みたいに個人として仕事をしながら、趣味でバンドやろうかなって気分。で、またライブできたらいいな。

          ame full orchestra 無期限活動休止のお知らせ

          Photo by YURI こうなることが決まってから、振り返ってみました。上京したばかりの春の発言を読み返してみたんです。あの頃、僕らはどんな気持ちだったんだろうって。 すると、そこにいたのは、まるで知らない5人組で、写真に切り取られた笑顔は希望を映した硝子のようで、眩しくて、今の僕にとっては目を背けたくなるくらい痛かった。 終わること、止まることは空虚で、円満な別れなんてないはずだけど、ame full orchestraとして活動した4年間は素晴らしい毎日の連続で

          ame full orchestra 無期限活動休止のお知らせ

          歳を取ってわかったことは、歳を取っても中身は大して変わらないってことだね。

          歳を取ってわかったことは、歳を取っても中身は大して変わらないってことだね。

          バンド2つやって気づけばもう10年近くの時間が経った。いろんなことがありすぎて、たくさんの気持ちが溢れてきて言葉にならないんだけど、すべてのメンバーに対しては感謝しかない。バンドって結成して足並み揃えて活動するってだけでもハードル高いからね。大人になってから追う夢には痛みを伴う。

          バンド2つやって気づけばもう10年近くの時間が経った。いろんなことがありすぎて、たくさんの気持ちが溢れてきて言葉にならないんだけど、すべてのメンバーに対しては感謝しかない。バンドって結成して足並み揃えて活動するってだけでもハードル高いからね。大人になってから追う夢には痛みを伴う。