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目次を書いてみる

目次をたてるのは、わりと苦手です。
たとえば企画書を書く時に、最初に目次を箇条書きにしておいてから、中身を膨らませていく方式とか。苦手。

これは基本的に自分がアイデアを考える時にせよ、日々の生活にせよ「目的思考(指向)でない」ということだと思っています。目的なくしてアイデアもなにもあったものか、という意見もあると思いますし、目的を決めて計画的にものごとを進めること自体に反対というわけではないのですが。

いっぽうで、アイデアやデザインは必ずしも「課題解決のためのもの(ソリューション)」として生まれるものなのか?とは思っています。それについてはまた今度、追々書きます。

目的指向でなく計画的でないのに、なぜいま苦手な「目次」を書こうとしているのか。

なぜ目次を書くか

ひとつは、前回『名前をつけてみる』で書いたように、この連載(noteのマガジン)を本にしていきたいと思っているからで、これはまあ、目的といえば目的です。でも「それに向かって邁進している」というタイプの目的ではなくて、なんとなく頭の隅に「方向性」として仮置きしてる感じです。

本にするならそれなりの一貫性のあるテーマで、できれば読みすすめたくなる展開のあるコンテンツが揃うべきだろうな、とは考えるので、そうなりそうかを一応検証しておきたい、というふうに思いました。

もうひとつの理由は、さきほど冒頭にも出てきた「追々書きます」です。
第1回、第2回の記事を書くなかで、脱線的に、「これについても後で書いてみたい」「追々書きます」みないなものが何度も出てきたので、それをメモしておきたい。いったん並べてみよう。 ー これが今回「目次を書いてみる」意図です。

今後そのメモを元に、並べ替えたりバランスをみたりしながら、ちゃんとした「目次案」を構成したり、詳しく書きたくなったものから記事にしていったり、ということを考えています。

いずれにしても、つまりメモなので、これを「第3回」とするのは申し訳ないような箸休め回です(毎回そんなようなものだが)。

第1回記事の「追々書きます」

まずは、第1回『フレームワークについて語る』に出てきたものから。

・「フレームワーク」に、しっくり来ていないところ
・「フレームワーク」は本当に有効か?
・「最終形をイメージする」
・コラボレーションの「プロセス」は貴重な成果物でもある

この辺について「追々書いてみたい」と書いてました。

この1年ほどでコロナの影響もあり、今さらながらチームワークやコラボレーションに興味をもち、そのなかでの道具としてフレームワークやメソッドにも意識が向いた、というのが第1回の主旨で、だけどフレームワークって本当に役に立つの?必要なの?という反論的な気持ち(自分で)もある、ということですね。

第2回記事の「追々」

つづいて第2回『名前をつけてみる』に登場したもの。

・アイデアを形にしながら検証する
・入れ子構造(もしくはダジャレ)によるアイデア発見と検証
・アイデアは、ウラオモテから検証
・デザイナーか?ディレクターか?プロデューサーか?
・細部は仮でもいいから、コンセプトを明示すること

第2回に書いた「名前をつけてみる」の話は、言い方を換えれば仮定することだったり検証することだったりで、それには「名前をつける」以外にもいろんな方法や側面でやっていそうだな、ということを、書きながら気づいたもの。

その他の書きたいことメモ

ついでに、第1回・第2回に出てきたものではないですが、前から書きたいと思っていることで、いまぱっと思い出せるものを書いておきます。

コンセプトやアイデアの見つけ方、基本的な姿勢

・目的的な課題解決と、無目的な観察・発見
・ロジカルシンキングとデザインシンキング
・アイデアは創るのではなく、発見して検証する
・創造より想像
・ヒアリングは要望を聞くことではなく観察の一種
・抽象化・リフレーミング・具象化

プロトタイピングと検証

・ストーリーボードで見つけるUXコンセプト
・スタイルスケープで考えるビジュアルコンセプト、ブランディング
・なぜリアルなプロトタイプをつくるのか

本からの気付きや、尊敬する考え方

・『りんごかもしれない』はコンセプト発見の教科書かもしれない
・2つ以上の問題を解決するのがアイデア(宮本茂さん)

この辺は、何度かセミナーなどでも話したりしてきたものなので、だいたい言いたいことはまとまっているんだけど、改めてnoteなどに書こうとすると、けっこう後回しになっちゃうんですよね。自分で「知ってる話」だから。

なにか時事的なことや、日々の出来事とかで「そう言えばこれも、あの話だな」と思った時に、書くと思います。

あと全体に並べてみて気づいたこととしては、『フレームワークについて語る』というシリーズ・タイトルにしたものの、やっぱり「コンセプトの見つけ方・プロトタイピングでの検証」に関する内容が多いですね。このへんをうまく表現する名前を、今度もう一度考えてみたいです。

まとめに代えて : 「3番目」の価値

今回はほんとうにメモで、あまり内容がなかった。「第3回がこれで良いのか?」とちょっと思いました。

昔からレコードやCDの「アルバム」でいうと、3曲めはキラーチューンが入ってる印象ですよね。1曲めは1曲めで、挨拶代わり・起爆剤として大事なんだけど、3曲めで本当にノックアウトされる。
本や映画でも、3章目、物語の3割進んだあたりで、グイグイ引き込まれるか、ダレてくるかの大事なところだと思います。

いまは音楽はストリーミングで「アルバムの曲順」なんて意識されないことが多いでしょうし、本よりもネットの単体記事(まさにnoteのような)がバズって回ってきたものをスマホで「読了まで3分」を目安にササッと読み、Youtubeの人気映像はダレる間もないよう全体が15分に最適化されてます。

別にそういう「クイック化」を嘆いているわけではなくて、自分も実際スマホでのコンテンツ摂取はそんな感じですし、状況や文脈に沿ってコンテンツも変わるという話ですね。

では「3曲目の盛り上がり」や「展開」が全くいらないかというと、そうでもなく、ある程度の質量(ムダも含めて)に意味があるコンテンツや体験というのもあるはずだけど、でもそれは今の環境でいうとどんな場面なんだろうか?、というようなことをぼんやり考えています。

今回から、noteのタイトル画像に手描きの絵を添えて、基本的には意味ないなと思いつつ「03」などとナンバリングを入れてみました。マガジンの一覧で「順番で読みたい」という人も、居ないこともないかなと思い。
その方式で、第1回・第2回のタイトル画像も更新してあります。

この自分の描いた絵もそんなに気に入ってないのですが、前回までの「なんとなく関係ない写真が使われている」状態が、なんとなく嫌だったので。
すぐ変わるかもしれないけど、しばらくこのタイトル画像を続けてみたいと思います。

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