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やっぱりnoteで日記を書こうと思う。

note公式からクリスマスプレゼントのようなメールが届いた。今年1年で書いた記事のまとめがギュッと詰まったメールだ。

私は今年の10月半ばから毎日日記を書くことを目標にして来た。だから、記事数とかビュー数とかが数字で表れるのは嬉しいことだった。

しかしTwitterを見てみると、自分よりも少ない記事数で万単位のビュー数やスキの数をもらっている方がたくさんいた。

今月は田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい』を読んで感銘を受けていたこともあって、読まれる記事には綿密な調査や思考が必要で、そうした記事はそれなりの時間をかけて作られることを学んでいた。それに、人は他人の感情よりも事実を読みたいということも。

だから、今自分が毎日「感じた」ことを感じたままに綴っているこの日記は、まぁ考えてみれば万単位のビュー数がある記事よりもよっぽど読まれないことは明白だった。

けれど変なところで悔しさを感じてしまう私は、その読まれなさにどこか引っかかりがあった。やっぱり書くからには読んでもらいたいという気持ちがあるのだ。だから、本当に深く考えてよく調べ込んだものだけをnoteに投稿することにして、これからはこういう日常の感情は手元の手帳に記そうか、なんていう考えが頭をよぎった。

そんなことを思いつつ書いた先日の記事。

すると、この記事に使わせていただいた「イチロー」の写真の投稿者の方が、なんとコメントを送って下さった。

お礼にここにコメントを下さった方のリンクを貼らせていただきます。


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イチローのニュースを取り上げて日記を書いたので、みんなのフォトギャラリーで「イチロー」と検索して、いちばんピンと来た写真がこの写真だった。ほんの偶然だ。

でもこうして写真の投稿者の方からコメントをいただくことができた。とても嬉しいことだ。

こういうやり取りが生まれるのが、noteの良さだと思う。日記を書いている場所が手帳だったらこういう出会いは生まれなかっただろう。

だから、たくさんのビュー数を得られない、「感情」を思うままに綴った文章であっても、やっぱり私はnoteに書こうと思う。この出来事があって、そう思い直すことができた。

それに、もともとの目的を考えてみれば「読んでもらうため」に書いているのではなかった。自分の考えを整理し、自分の「好き」のアンテナを敏感にし、思いを「言語化」する力をつけるためであった。だからこれは「読んでもらう」ことは目的外のnoteなのだ。

ビュー数のことは割り切って、でも他の媒体にはないいろんな関わり合いが生まれるnoteという場所の恩恵にはあずかりつつ、今後も個人的な「いいなぁ、好きだなぁ」を投稿していこうと思う。

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