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百リモートは一対面にしかず

全てのことは二者択一ではない。

生きている中でのさまざまな場面でみんな感じてるはずなのに、その違和感に気づかない。
議論や喧嘩や争いの元にとなるのはいつだって対立構造。

物事はいろんな側面があるのに、あるひとつの側面からみた対立構造だけでは語れなかったり、突然別の側面からの視点やなんなら感情まで入ってくると、もう何の話をしているのかわからなくなる。

もしかしたらリモートの打合せは、正にこの状況に陥りがちなのかもしれない。

この2年ほどコロナ禍でなかなか遠方の取引先と対面で話すことが急速に減り、お互いに試行錯誤をしながらなんとか事業を続けてきた。

やっと落ち着きを取り戻しつつある中で、あらためて感じたリアルとリモートの役割について考えてみた。

約2年ぶりの対面商談


先週、久々の出張で地方へ。

当社商品の製造会社との商談でコロナ以降、約2年ほど直接会う機会が持てていなかった取引先への訪問。

2年ほど会っていなかったとはいえ、何度もリモートでの打ち合わせは行っていたし、担当者同士はコミュニケーション不足解消のために月一でのリモート商談に加え、毎日のように電話やメールのやり取りは行っていた。

にも関わらず、今回直接東北最北端の地を訪れたのは他でもなく「揉めているから」である。

正確には「揉めて”いた”」が正しいのかもしれない。

理由は単純で、コロナ禍における業績不振に伴う各種費用の削減等である。
当社としても売上が落ちている中で、これまでも原料価格の高騰を背景に仕入れ価格の値上げなどを受け入れてきていた経緯もある。

下請けいじめなどではなく、お互いに持続的に成長してくためにできる限り譲歩したギリギリの交渉をこの2年、リモートで繰り広げていた。

今回、担当者だけでなくお互いに上司を含めてご相談をしたい、と要望を受けたときは正直「またか…」といった雰囲気があった。

我々としても、毎年のように仕入れ値の値上げを受け入れていれば自分たちの利益を圧迫するだけになってしまうし、正直にいえば足元を見られてる感もあり、癪である。
かといって、販売価格を上げてしまえば最終消費者に購入してもらえず、せっかくこれまで育ててきた商品が売れなくなってしまっては元も子もない。

原材料費高騰が背景にあるにしても、毎年のように値上げをしていてはお客様からの支持も得られなくなってしまうだろう。

最大限の企業努力の上でも一般消費財としては割と高額な商品を、安易に値上げしてしまうことは当社全体のブランディングにも関わる大きな話だ。

かなり身構えて、事前の社内打ち合わせも入念に済ませていざ現地へ。


東京から約4時間かけてようやく現地へ到着。
久々に対面し、強ばりながらもどこかお互いに笑顔になっているようにも感じる。

「やっぱり寒いですね」「今年の初雪です」「まだまだこっちでは温かいほうですよ」などと雑談もそこそこに、本題に入る。

まずは先方が先制。
まぁ、ここは相手のホームグラウンドであるので先行は譲るとしよう。

今年も原材料が不作で価格が高騰している、という新聞記事の提示と共に切り出してきた。

「やっぱり値上げか…」

我々全員がさらなる値上げ要請を覚悟したとき、先方の口から出たのは
『なので商品は昨年ほどの数量を作れない』
という意外な打診。

「あれ、値上げ要請じゃない・・・?」

いや、たしかに当社としては売上が見込める商品であり、減産は痛い。
痛いのだが、かなり身構えていた我々にとって「それだけ・・・?」という肩透かしに近い状況になった。

実は、これまでのリモート商談の際に取引上のあるお約束を先方としていたわけだが、それがなかなか当社側でうまくコントロールできておらず約束を果たそうとはしているものの、スケジュールにやや遅れが出ていたのだ。

その点を指摘されて、その上で値上げを要請されるものと思っていたので、随分と理論武装をしてそれをどうにか突っぱねられないかと考えていた。

せっかく考えていたことでもあるので、後攻の我々は正直にこちらから約束を果たせていないことは申し出てしまったのだが、コントロールが効かないこと、スケジュールが遅れることは許容範囲と、なんとも懐の深い対応に逆に困惑するぐらいだった。

というのも、リモートでの打ち合わせでは無言の時間も含めて終始、非常に重苦しい空気で進行されており、平行線をたどる状況に幾度となくなっていたのだから我々が身構えるのも当然だったのだが、それが嘘のような懐の深い対応に心底驚いていた。

もちろん、これまでのリモート商談の中ではこちらも誠意を持って取り組んできていたし、先方の要求も随分と受け入れていた。
そんな経緯もあるのだろうと思うが、それくらい険悪な雰囲気であったものだから今回の訪問にはかなり覚悟を持って挑んでいた。

これほどまでに直接会うというのは、こちらの誠意が伝わるものなのかと痛感したできごとであった。

リアルとリモートの差は何なのか

このエピソードのすべてが”直接会ったからうまくいった”などというつもりはもちろんない。

だが同時に、リモートではここまでうまくはいかなかったようにも感じている。

リモートでの打合せではちょっとした会話のタイムラグや相手との話すタイミングの計り合い、極力余計なことは話さないことがなんとなくお互いに生じている。

「ちょっと思うことはあるけど、この場で言うほどではないか…」みたいなことが少しずつ少しずつ積み上がっていく。

対面であれば、なにか言おうとしているのは表情や動作で感じられるが、リモートの画角の中ではそれを感じ取るのが難しかったり、声だけの音声だけでは伝わらないことも多い。

リモートの画角で見える範囲の顔や表情以外でも、人間というのは様々な情報を総合的に感じ取ることで自然と相手の意図や意思を汲み取ろうとする。

そういった部分の伝わり方はリモートと対面では圧倒的な違いがありそうでだ。

使い分け、バランスを大切に

こんな話をすると「やっぱりリモートより対面の方がいい」とすぐに決めつけにかかるのがおじさんたちの悪いところ。

冒頭にも述べたように、全てにおいて二者択一ではないということは改めて申し上げたい。

リモートはリモートで、移動時間の大幅な削減や多様な能力を時間や場所という仕事とは関係のない都合で妨げられないという効率化の面ではメリットが多分にある。

重要なのは目的にあわせた使い分けなのであり、なんでもかんでもリモートで事足りる、対面の方が質の高い打合せができるという議論など、そもそも成立しないに等しいのだ。

数名で徹底的に議論をしたい場合は社内であってももしかしたら対面のほうが互いの意図や伝えたいことを事細かく理解することができるかもしれないし、スケジュールの確認や商品やプロモーションの紹介などであれば取引先との商談であってもリモートで十分事足りるかもしれない。

はたまた、なかなか会うことの少ないステークホルダーとは定期的に対面での打合せが持続的で好意的な関係性を築く上では重要かもしれないし、一緒に仕事をする仲間であればリモート、何ならチャットやメールでのコミュニケーションでも十分かもしれない。

もしかしたら人によってもそれぞれの捉え方は違うかもしれないし、それぞれの相性にもよるかもしれない。

必ずしも対面だから質が高いとか、リモートだから効率的というわけではなく、いろんな形があっていい。
むしろ、いろんな形をどれだけ許容できるかはこれからのビジネスにおいて、成長の一つのカギであるようにすら感じる。

リモート、対面、チャット、メール、電話・・・これらは結局はただの手段であって決して目的ではない。

どの手段を使ったから成功した、失敗したという話では決してなく、目的を達成するために最適な手段を使えばいい。

飛行機、新幹線、高速バス、鉄道、路線バス、タクシー、自転車…交通手段においても行き先によって最適な手段は変わる。

もちろん遠くに行きたければ飛行機や新幹線、近場ならタクシーや鉄道などを当たり前のように選択する。
飛行機や新幹線などは時間的には優位でも費用がかかることも計算に入れて、手段を決めていくはず。

ビジネスなら無条件に飛行機を選ぶだろうが、独身者の里帰り程度なら高速バスで安く済ませるかもしれない。

それらを総合的に判断して、交通手段というのは決めていく。

これらの交通手段と何ら変わらず、リモートか対面か、などの手段はそれぞれが一番最適がと思う手段を選べばいい。

関わる人全員がしっかりと成果を出すことに集中してさえすれば、その手段がどうであれ成果は出るもの。

たとえ、手段が間違っていたとすれば次回から変えればいいだけだし、手段が間違っていたから必ず成果が出ないわけでもない。

何度も言うが、重要なのは成果を出すこと。

みんなが成果を出すために何が最適なのかを自分自身で考え、行動することが一番大切なのである。



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