2022.3.26 私が分からなかった苦しみ

私たち日本語教師の仕事は直接コロナの影響を受けている。入国制限のあおりを食っている。

採用は昨年秋。でも一度も教壇に立っていない。学生がいない(入国できない)からだ。学校によっては来日しないままオンラインで授業をしているところもあるようだが、私の勤務校はそれはしていない。

私は本当に日本語教師なのか?と思う。自称:日本語教師でしかないのではないか。

それでも、学校側は最大限の誠意をもって接してくださり、数か月間、専任の先生による研修があった(しかも有給で)。

しかしもうできることもなくなり、今年2月から自宅待機となった。無給である。

当初4月くらいから授業ができるかもと聞いていたが、それも怪しくなってきた。5月末、あるいは6月からか・・・?

5月くらいからは授業できるかと思っていたから、自分でもびっくりするくらい折れてしまった。

この生活をあと2か月か・・・。

2か月間、オンラインの生徒(子ども)と、土日のアルバイト数人としか話さない日々。

たまに大勢の人に会う機会があると、どっと疲れるようになってしまった。。。

家でやれることはやっているし、ちょうどいい機会だから本も読んで、マンボウも明けたし旅行もしたい。そうやって、人生の(何度目かの)夏休みを謳歌し、できることをしていればいいのだが、すべきなのだが、不安だけが膨らんでいく。

当たり前だが、とにかくお金が減っていく。。。「飼い殺し」のような日々。。。

それでも私はいい方だ。6月からは確実に学生が来ると分かった。契約関係も維持してもらえた。まずは喜ばないと。

本当にひどい話だが、私はコロナが始まった当初、飲食店や観光業の人たちの嘆きを真剣に聞いていなかった。まだ日本語教師になるなどと露とも考えていなかった。自分にコロナが直接関わると想像していなかった。

だってその職業を自分で選んだんだから、そういう時もあるでしょう。

でもそれは違った。そんな話じゃなかった。そういうことじゃない。

みんな不安なのだ。しかしその不安は「共有できない不安」である。「不安がある」ことは共有できるかもしれないが、不安の種類は人それぞれ異なる。コロナ禍における、職業(存在意義、雇用≒給与)にまつわる不安はそういう種類の不安であると思う。

飲食店や観光業は(社会が不安そのものを共有できないまでも)気づいてもらえた。一応、補助制度もある。でも、もともと超マイナーな日本語教師という仕事の人が”困っている”などとは誰も知らない。そしてそういうことを口にしても仕方がない。日本語教師が納める税金も少ないだろう。(学校は営利法人だからある程度税金を納めているかもしれないが)ほとんどの教師は給与が低く、非正規あるいはボランティア。人数が少なく経済に与えるインパクトは小さい。誰が気に留めるだろう。誰も助けてくれない。

かといって、私が「最後の職業」として選んだ職業をあきらめるという選択肢も、今はない。

これもまた違う話だが、オリンピックが1年延期され、後に選手が「あの時はモチベーション保つのが難しかったです」と言っていたことについて、スポーツに興味のない私は「ふーん」としか思わなかった。今ようやく、その10億分の1くらい、分かった気がする。もちろんアスリートの苦しみや努力に比べたら私の不安なんて大したことないかもしれないけど、、、

私は、体験しないと、人の苦しみ・悲しみが分からないという、残念な人間である。共感力が低く想像力も乏しい。だから、1つずつ「学習」していくしかない。今回、ちょっとだけでも、分かって良かった。

自分で決めた、自分が好きだと思っている仕事ができるって、とても大事なことだ。

自己責任でしょ、とかそういうことじゃなくて、ただ「つらいね」「つらかったね」「でもいつか終わるから」「ただ待ちましょう」っていう気持ちを持つことが大事だったのだ。

違う仕事はいくらでもあるし、おそらく私にできる仕事もある。私は別に病気ではないから、別の場所で別の仕事で働くことはできるだろう。私には養う家族もいない。贅沢だ。もっとつらい境遇の人はいくらでもいる・・・。

でも全部わかった上で、私は早く日本語教師としての仕事がしたいと思う。


これからも書き(描き)続けます。見守ってくださいm(__)m