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ラテン音楽を聴きながらふと思った事

ラテンという言葉の定義は、奥が深そうなのでさておいて、ラテン音楽を聴いていてふと思った事を書いてみた。

私の中でラテン音楽というと何となくヨーロッパ、特に、スペイン、ポルトガルの音楽とタンゴ、ボサノバなどいろいろな南米の音楽のつながりは、深いような気がしていた。

過去の歴史、文化の影響を見れば、ヨーロッパからみた南北アメリカ大陸は、大西洋を跨いで身近な地域だったのだろうという事である。したがって、ラテン音楽とは、ヨーロッパとアメリカ大陸の文化の融合であり、私達アジアの者達からはわかりにくいけど、彼らからするととても身近な文化がそこに存在するのだろうと想像してみた。

そして、彼らが普段から見ている地球儀は、大西洋が中心にあり、西にアメリカ大陸、東にヨーロッパ大陸がある。

欧米から見ると大西洋が中心

アメリカや、ヨーロッパから見て東の方へ目をやると、陸続きで中東、中央アジアより先のイーストであるアジア、ましてや、さらに東のファーイーストである日本という国は、一番遠いところのようなイメージなのだろうなと、彼らが住んでいるところから見た視点で考えてみた。

子供の頃、FENという米軍のラジオで英語を勉強するというのが流行った時期があったが、子供の頃なぜFar East Networkなのか理解できなかった。しかし、大西洋を中心に東へ行けば、最果て、つまりFar Eastは、日本である。今思うときっとアメリカ東海岸の人たちには、Far Westという、太平洋の先という概念がなかったのではないだろうかとふと思ったのである。

地球儀の大西洋を中心に置いて、ヨーロッパや、アメリカの東海岸から見た、西は、サンフランシスコやロサンゼルスなどのアメリカ大陸の西海岸まではイメージできるけど、その先の太平洋の先という存在は、きっと薄いのではないだろうか?

アメリカ西海岸から太平洋の西は遠すぎる?

日本に住む我々が見ている地球儀は、どうしても、日本を中心に西に中国、そして、その遠方にヨーロッパ、東に太平洋の先にアメリカという見方をしているように思う。

今でこそ、インターネットが普及し、瞬時に世界と繋がると、地理的な遠さはあまり関係ないのかもしれない。しかし、大航海時代の西洋の人々からすれば、丸い地球とはわかっていても、日が昇る?大陸が地続きで広がってゆく?東の方ばかり見ていて、太平洋から西へ、西へと目を向ける事は、あまりなかったのではないだろうか?

東方向では、東方見聞録という言葉があるが、西側方向では西部劇(ウエスタン)という言葉ぐらいしか思い当たらない。

日付変更線も、太平洋にあるという事は、欧米の人々から見てカルフォルニアを超えた太平洋に日が沈むことで、1日が終わったとみなしたいからなのかもしれない。

と、ラテン音楽から派生して、勝手な想像をしてみた。