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AIで作品創り、にまつわる話

AIにまつわる話をします。我ながら昭和脳どころか原始人だという自覚はあります

さっきYouTubeを見てたら、スマホのカメラの広告が流れたんです。旅行先で写真撮ったら目が半開きの変な顔になってたけど、このスマホなら大丈夫!AI技術で変な顔を笑顔に修正して、ベストショットに!・・・みたいな。

それってすごい技術だと思うんですけど、使い所はそれで良いんでしょうか。せっかくの旅行の思い出の写真なのに作り物のニセ写真って。目半開きの変な顔もその場であった事実で、それも思い出じゃないですか。

同じような感覚を、AIを活用した音楽作りというネット記事を読んで感じたことがあります。

メロディやベースライン、ドラムのフレーズ、コード進行、シンセサイザーの音色づくりなど、この辺をAIにやらせて音楽を作ることができるし、あたかも人間が作ったかのように自然だしクオリティの高いものができてすごいっていう話。確かにすごいんです。

でも、そんなことで音楽を作って、何が楽しいの?・・・って思っちゃいます。結果的に良い音楽ができたとしても、その過程でひとつも楽しくない、意味がないと思っちゃうわけです。

昭和脳原始人と言われようが何だろうが、そう感じるものはしょうがない。

ちょっと前に話題になったAI美空ひばりの歌とか、つい最近発表されたAI手塚治虫のブラックジャック(読んだけど面白くなかったです)みたいなやつは、やってみようという気持ちはわからんでもないです。

でも、こっから先AIがより進歩してよりリアルな美空ひばりや手塚治虫を再現できるようになったとしても、実験という意味合い以上のものはないように感じます。それを作品と呼ぶのには抵抗があります。バリあります。というか薄気味悪い。

実験という意味では非常に面白いし興味深いんですよ。

AI技術を使って、本来なら絶対に出ることのないジョン・レノンの新曲風の曲を作って、確かにジョン・レノンっぽいなあみたいに楽しむこととか、美空ひばりがアナーキー・イン・ザ・UKを歌ったらどうなるかみたいな実験とか、面白そうじゃないですか。

AIじゃなくて人間がそれをやって面白いってのがマキタスポーツのオトネタです。奥田民生風に作った曲とか、ミスチル風とか、確かにそれっぽいなあって感じで面白いんです。

でもあくまで実験として面白いって話で、作品というのとはたいぶ違います。ネタとして楽しむっていう方向性です。

つまり、AIでアートやエンタメの作品を作るっていうのは実験として面白がるにはいいネタだけど、作品を創るという行為、そこに意味はあるのかっていう感覚は拭えないし、結果いいものができたとしても何が面白いの?って思っちゃうって話。

固定観念、凝り固まっている、古い、そう言われようがなんだろうが、そう思うし感じるんだから仕方ないです。

じゃあAIによる音楽創りがダメなのかっていうと、実はそうは思ってないです。

AIのハルちゃんが勝手に作った曲を、ハルちゃんが自分の曲として世に出して、聴く人はそれを楽しむっていうのはアリというか、良いじゃないですか。

アトムやドラえもんが音楽活動して曲をリリースするっていうのと同じですから、ここには薄気味悪さはないです。

仮想人格による音楽だし、ハルちゃんやアトムやドラえもんがどんな気持ちなのかはわからないけど、普通に人間の音楽家が曲を出すのとそんなに違いはないように感じます。

むしろそんなAI音楽家がたくさん出てくれば良いと思います。そうなってくるとそれはもう実験とかじゃなくて、作品として世にでてしかるべきものです。

そういった音楽家AIが一般的になった暁には「え?ハルちゃんってAIだったの?」みたいなことになるかもしれません。それはそれで面白いです。

AIを活用して物を作る(創る)っていうことに関しては、産業を効率化させるとかそういう意味では価値があるものだと思いますが、アートやエンタメ分野についてはまた話が違うと感じるって話です。

AIに助けてもらって作品を創ることの何が楽しいのか、価値はあるのかっていう気持ちは捨てられないです。やらせるんなら全部勝手にやらせるのが良い、そんな話でした。

何度も繰り返しますが、原始人の感覚なんで時代遅れ甚だしいという自覚はあります。それでもそう感じるもんはしょうがないでしょう。

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